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身体には、予定のない4日間が必要だ。
と言う事で、
もうすぐ沖縄で、3泊4日間の合宿をします。
まあ、なんか変わった台風が近づいてますが。
合宿と言っても、
朝から晩まで予定を詰め込んで、
何かを勉強するわけではありません。
観光地を回る予定も、
今のところありません。
海に入ったり、
身体を動かしたり、
話したり、
ぼーっとしたり。
お腹が空いたら何か食べて、
行きたいところが出てきたら行く。
そんな4日間です。
考えてみれば、
普段の生活は予定だらけです。
仕事に行く。
人と会う。
家事をする。
子どもの予定に合わせる。
LINEを返す。
買い物に行く。
次に何をするかが、
だいたい決まっています。
休みの日でさえ、
「せっかくの休みだから」
と予定を入れてしまうことがあります。
旅行に行けば、
何時にここへ行って、
次はここを見て、
何時に予約した店へ行く。
気づけば、
休みに行ったはずなのに、
予定をこなして帰ってくる。笑
もちろん、
それも楽しい旅です。
でも時々、
人生には、
予定のない時間も必要なんじゃないか
と思います。
予定がないということは、
何もしないということではありません。
「次はこれをする」
というレールが、
少しなくなるということです。
すると、
今まで予定の陰に隠れていたものが、
出てくることがあります。
本当は疲れていたこと。
意外と海をずっと眺めていたいこと。
誰かと話したかったこと。
逆に、
誰とも話したくなかったこと。
身体を動かしたくなることもあれば、
何もせず、
ただ風に当たりたくなることもある。
それは、
頭で考えて決めた
「やりたいこと」とは少し違います。
予定がなくなったところに、
今の自分が、
そのまま出てくる。
そんな感じです。
だから今回の合宿も、
何かすごい答えを
持って帰る必要はありません。
人生を変える必要もない。
成長しなくてもいい。
海に入って、
身体を使って、
飯を食って、
話して、
笑って、
眠る。
その中で何か起きれば、
それを見ればいい。
何も起きなければ、
それもいい。
もしかすると、
僕たちは普段、
人生を良くしようとして、
少し予定を入れすぎているのかもしれません。
何をするか。
どこへ行くか。
何を学ぶか。
どう成長するか。
どう変わるか。
それを決めることも大切です。
でも、
何も決めていない時間にしか
現れない自分もいます。
空白は、
何もない時間ではなく、
まだ何になるか決まっていない時間。
だから時々、
人生には、
予定のない4日間くらいが
必要なのかもしれません。
普段の整体の教室や、武術稽古では、
やりたくてもやれないところになります。
さて、
何が起きるんでしょうね。
決めてないので、
誰にもわかりません。😊
ただ、整体技術にせよ、
身体の在り方にせよ、
余白という可能性の中から、
たくさん降りてくる気はしています。
^ ^
こんにちは。
お盆明けから暑い日が続いていますが、
ミネラル不足には気をつけて、
残暑を過ごしていきましょう^ ^。
今日のお話は、
「友達が少ないんです」って話題。
カウンセリングをしていると、
若い方からも、そんな話になることがあります。
休日に遊ぶ人がいない。
向こうから誘ってくれる人も少ない。
何でも話せる親友もいない。
SNSを見ると、
みんな楽しそうに集まっている。

そんな時、
「自分って、人とのつながりが少ないのかな」
「なんだか寂しい人生なのかな」
と思ってしまうことがあります。
でも、ここで少しだけ、
「人とのつながりって、何だろう?」
と考えてみたいんです。
人間関係を考える時、
「家族」「親友」「友達」「恋人」「同僚」「知人」など、
そんなふうに、
関係に名前をつけて考えることがあります。
もちろん、それは便利です。
でも実際の一日を見てみると、
人との関わりはそんなにきれいに分類できません。
いつもの店員さんと、
「今日も暑いですね」と笑うことがある。
美容院へ行って、髪を切ってもらいながら一時間ずっと喋っていることもある。
仕事でしか会わないけれど、なんとなく雰囲気良いなと思う人もいる。
習い事の先生。
近所の人。
患者さん。
お客さん。
旅先でたまたま隣になった人。
名前すら知らないのに、
少し話しただけで妙に心に残る人もいます。
こうした人たちは普通、
「友達は何人いますか?」
と聞かれても、
その人数には入れません。
でも、だからそこには「つながりがない」と言えるのでしょうか?
本当の関係って何?

美容師さん、整体師さん、カウンセラーさんも、仕事として人と接しています。
そこにはお金が発生しています。
だから、「お金を払っているから会ってくれているだけ」
と考えることもできます。
それも一面では事実です。
でも、
お金が発生していることと、
その時間に何が起きたかは別の話なんです。
美容師さんの一言で元気になることもある。
先生との何気ない会話が、
何年も心に残ることもある。
たった一度会った人の言葉が、
その後の人生を変えることだってあります。
お金を払ったかどうかは、
その関係についての一つの情報です。
でも、
一緒に笑ったこと。
安心したこと。
相手を好ましく思ったこと。
話を聞いてもらってホッとしたこと。
相手の幸せを嬉しく思ったこと。
それらまで全部、
「お金が発生しているから」
で消えてしまうわけではありません。
人間関係で苦しくなっている時、
知らないうちに、
「向こうから誘ってくれるか」
「大切にしてくれているか」
「親友だと思ってくれているか」
「必要としてくれているか」
というように、
相手から見た自分を
確認し続けていることがあります。
もちろん、
一方通行の関係ばかりでは疲れてしまいます。
お互いを大切にできる関係も必要です。
ただ、
相手が自分をどう位置づけているかと、
自分の中にどんな気持ちが起きたかは、
別のことです。
相手から見れば、
「先生」かもしれない。
「患者さん」かもしれない。
「お客さん」かもしれない。
「仕事関係の人」かもしれない。
「今日たまたま話した人」かもしれない。
それでも、
その時間に相手を好ましく思った。
一緒に笑った。
話を面白いと思った。
幸せになればいいなと思った。
相手が自分をどれくらい好きかは
分からない。
でも、
こちらがその人を好ましく思ったことまで、
相手の評価によって消えるわけではありません。
そこには確かに、
人と人との間に何かが起きています。
「友達が少ない」と「つながりが少ない」は、
同じなのか?
ここを少し分けてみると、
景色が変わります。
休日に遊ぶ友達は少ない。
でも、
仕事ではいろんな人と話している。
近所に挨拶する人がいる。
いつものお店に顔を覚えてくれている人がいる。
月に、もしくは週に一度会って、
楽しく話す人がいる。
家族とくだらないことで笑うこともある。
そう考えると、
「人とのつながりがない」
と思っていた一日にも、
実はいろんな人との関わりが起きています。
人間関係の豊かさは、
「親友が何人いるか」だけでは測れないのかもしれません。
関係の「名前」より、
そこで何が起きているか。
長く付き合っているから深いとも限りません。
毎週会っているから親しいとも限らない。
逆に、
たった20分の会話が、
何年も心に残ることがあります。
「友達」
「夫婦」
「親子」
「先生と生徒」
「患者さんと治療家」
こうした名前は、関係を説明するには便利です。
でも、
名前が関係そのものではありません。
大切なのは、
その間で実際に何が起きているか?
だから、
「友達が少ないな」
と思った日は、
無理に友達を増やそうとする前に、
少しだけ一日を振り返ってみてもいいかもしれません。
今日は誰と関わっただろう?
その人といる時、どんな気持ちだっただろう?
挨拶しただけでもいい。
ちょっと笑っただけでもいい。
誰かの一言にホッとしたことでもいい。
誰かを好ましく思ったことでもいい。
そこには、
「親友」や「友達」という
名前がついていなくても、
確かに人と人との間に起きたものがあります。
もしかすると、
人とのつながりが少なかったのではなく、
「友達」という名前がついた関係だけを、
つながりとして数えていた、、、
そんなこともあるのかもしれません。
今日一日を振り返ってみると、
名前をつけていなかっただけで、
人との間に起きていたことが、
思っていたよりたくさん見つかるかも
しれませんね。
こんにちは。
台風の影響で涼しい毎日が来てくれてますが、
お盆休みはゆるゆるされてますか?^ ^
今回のタイトルは、
骨盤って、本当に「歪む」のでしょうか?
です。
「骨盤が歪んでいますね」
整体などで、そう言われたことがある方もいるかもしれません。
一方で最近では、
「骨盤なんてほとんど動かない」
「骨盤矯正なんて意味がない」
という意見を見かけることもあります。
では、どちらが本当なのでしょうか?
まず知っておきたいのは、
骨盤にある関節は、腕や脚の関節のように
大きく動く場所ではないということです。
ですから、
「骨盤が大きくズレているから、グイッと押して元の位置に戻す」
というほど単純な話ではなさそうです。
それでも実際の施術では、骨盤周辺を調整することで、
「腰が軽くなった」
「立ちやすくなった」
「歩きやすくなった」
と感じる方がいます。
では、なぜでしょう?
骨盤は「骨」だけではないからです
骨盤の周りには、筋肉や靱帯などがあり、
背骨や股関節とも関係しながら
身体を支えています。
歩けば骨盤も動きます。
呼吸をすればお腹の中の圧も変わり、
横隔膜や骨盤底も一緒に働きます。
つまり、
「骨を正しい位置に戻したから楽になった」
と考えるだけではなく、
骨盤周辺を調整したことで、身体全体が動きやすくなったと考えることもできます。
また、
「歪んでいる=悪い」とも限りませんね。
そもそも人間の身体は、完全な左右対称ではないですし、
利き手もあれば、利き足、
立ち方や座り方、仕事やスポーツによっても
身体の使い方は変わります。
多少の左右差は、誰にでもあるものですから。
大切なのは、
「左右が同じ形になっているか」
だけではなくて、
高さ、幅、硬さ、重さ、感触、流れ、
そして
その身体が楽に動けているかどうか。
こちらの方が大切だと考えています。
では、「骨盤を整える」とは?
施術の中では、
頭から、手足から、調整することもありますが、
先ず骨盤を調整することもあります。
ただ、
「歪んだ骨を正しい位置にはめ込む」というより、
骨盤の周辺の緊張や、重さ、
動きを見ながら、
腰や股関節、
背骨なども含めて、
身体全体が楽に動けるように整えていきます。
だから、
「骨盤は歪むのか?」
「骨盤矯正は意味があるのか?」
どちらか一つの答えに決めるのは雑で、
施術のあとに、
「腰が軽い」
「立ちやすい」
「なんとなく身体が楽」
そう感じられるなら、
身体のどこか一か所だけではなく、
全体の動きやバランスが変わった結果
として見る方が臨床的です。
身体は、思っているより複雑です。
でも難しく考えすぎる必要もありません。
形を無理に揃えることよりも、
その人の身体が、
少しでも楽に働けること。
どうせなら、
そんな「整える」も大切にしていきたいですね。
こんにちは。
八月も始まりましたね。
各地で花火大会も開かれ、
長い夜が続いてます。
今日はひと足先に、お盆を題名に書いていきます。
来週になると、お盆を迎えます。
「ご先祖様が帰ってくる日。」
「お墓参りをする日。」
そんなイメージを持たれている方も多いのではないでしょうか。
もちろん、
それは日本の大切な文化です。
今日は、その意味を少しだけ
違う角度から眺めてみたいと思います。
身体には、命の歴史が流れています。
そう、
身体には、ご先祖様から受け継がれて
きた命があります。
骨格や体質だけでなく、
ものの見方や感じ方。
頑張り方や我慢の仕方。
気づかないうちに受け継がれている
ものも少なくありません。
ふとした瞬間に、
「親と同じ言葉を口にしていた。」
「昔は分からなかった親の気持ちが、少し分かるようになった。」
そんな経験をされたこともあるのではないでしょうか。
身体は、いつも「今」を生きています。
荻野接骨院では、
「肩の力が抜けない。」
「無意識に歯を食いしばってしまう。」
そんなご相談をいただくことがありますが、
姿勢や筋肉、
生活習慣が関係しているのはもちろんです。
しかし、それだけでは説明できない身体の緊張に出会うことも少なくありません。
頑張らなければ認めてもらえなかった。
迷惑をかけてはいけないと思ってきた。
弱音を吐いてはいけないと思ってきた。
そんな日々の積み重ねは、
身体にも静かに残っていきます。
頭は過去を思い出し、
未来を心配することができます。
でも、身体が生きているのは、
いつも「今、この瞬間」だけです。
だから身体は、
呼吸や鼓動、痛みや疲れを通して、
「少し今に戻りませんか。」と、
静かに教えてくれているのかもしれません。
忙しい毎日では、
自分のことは後回しになりがちです。
だからこそ、お盆という節目に、
ほんの少しだけ立ち止まってみる。
深呼吸をする。
ゆっくり食事をする。
家族と食卓を囲む。
静かに手を合わせる。
そんな時間が、身体にも心にも
小さな余白をつくってくれることがあります。
供養とは、命をつないでいくこと。
お墓参りをしたり、
ご先祖様に手を合わせたりする時間は、
とても尊いものです。
そして、もう一つ大切な供養の形が
あるようにも感じています。
受け継がれてきた苦しみや思い込みに気づき、それを次の世代へそのまま渡さずに済むこと。
供養とは、
過去を否定することではありません。
受け継がれてきたものを静かに見つめること。
そして何かを残そうと力むのではなく、
身体や暮らしが整う過程で、
本当に必要なものが、自然と次の世代へ受け継がれていく。
そんな生き方も、
一つの供養なのかもしれません。
最後に。
お盆は、ご先祖様を迎える日。
そして、命のつながりに静かに思いを向ける日でもあるのでしょう。
身体は、今日も休むことなく働いています。
心臓は鼓動を続け、
呼吸は繰り返され、
傷は少しずつ癒え、
眠れば回復しようと働いています。
そんな姿を見ていると、
命にはもともと「治ろうとする力」が備わっていることを感じます。
荻野接骨院では、痛みだけを追いかけるのではなく、
その回復する力が働きやすい身体の環境を整えるお手伝いをしています。
このお盆が、ご先祖様への感謝とともに、
身体の声にそっと耳を澄ませる時間になれば幸いです。
こんにちは!
夏のイベントも次々と過ぎていき、
暑さも酷暑へと進んでいますが、
みなさん体調はいかがでしょうか?
今日の話題は、酷暑の夏バテ対策です。
何回も伝えているので、
重なる部分もありますが、
また違う表現などを使って書いみます。
先ず夏バテとは「気合い不足」ではなく、
身体からのちょっと休ませてよ!
と捉えてみましょう。
「身体が、首から肩がだるい」「胃腸が重くて食欲がない」「寝ても疲れが取れない」
夏になると、このようなご相談が増えてきます。
夏バテは、
決してあなたが怠けているからでも、
暑さに弱いからでもありません。
猛暑、いや酷暑の中での24時間の体温調節、
想像を超えた大量の発汗、極端な冷房による末梢の冷え。
これらは寒暖差の激しい環境で、
自律神経の緊張スイッチ(交感神経)
が入りっぱなしになり、
身体が休むモードに切り替えにくく
なっている状態です。
身体が怠けているのではなく、
暑さに対応しようと24時間フル回転で働きすぎている証拠。
まずは「よく頑張ってくれているな」と、
肩の力をフッと抜いてあげてください。
こうも暑いと汗が滝の様に流れてきますが、
汗をかくと、水分だけでなくナトリウムなどのミネラルも一緒に外へ出ていきます。
普段の水分補給は、お水や麦茶で十分です。
ただし屋外作業や運動で
大量に汗をかいたときは、
適度な塩分補給も大切になります。
反対にあまり汗をかいていない日に
スポーツドリンクや経口補水液を
何本も飲む必要はありません。
糖分の多い飲み物は、
腸内の浸透圧の関係で吸収が遅くなったり、
血糖値の急激な乱高下を起こして、
余計なだるさを生むこともあります。
喉が渇く前に、ちびちび味わう。
夏場はそれくらいが、身体にとって一番負担の少ない給水です。
またら夏は、そうめん、パン、アイスなど、
のどごしの良いものに偏りがちですよね。
炭水化物は大切なエネルギー源ですが、
それを体内で「使えるエネルギー(ATP)」に変換するには、
ビタミンB群やマグネシウムといった
助っ人が欠かせません。
どれだけガソリンを入れても、
エンジンを動かす部品や潤滑油が足りないと、車はうまく走り出せないのです。
もし今日そうめんを食べるなら、
主食だけで終わらせず、
無理のない範囲で一品足してみてください。
例えば、
豚肉、卵、豆腐、納豆(たんぱく質・ビタミンB群)オクラ、海苔、ゴマ(ミネラル)
「主食に、小さな一品を添える」
これだけで、身体の中でエネルギーを作る仕組みがぐっとスムーズになります。
夏に、身体が静かに求めている栄養として、
ビタミンB1(糖質をエネルギーに変える)
豚肉、うなぎ、大豆、など
マグネシウム(筋肉・神経・代謝を整える)
豆腐、納豆、海藻、ナッツ、ゴマ、緑の野菜など
がオススメです。
また、女性の方で
立ちくらみ・息切れ・頭痛・動悸・月経量が多い、と
いった症状がある場合、
夏バテの陰に「鉄不足や貧血」が隠れていることも少なくありません。
ただし、自己判断だけで栄養不足と断定し、
鉄やマグネシウムなどをサプリメントで極端に摂るのは注意が必要です。
サプリメントは無理を続けるための燃料ではなく、足りない部分を優しく補うための道具として使いましょう。
(無理は続けると身体を壊す)
夏バテ対策の本質は、身体を無理やり元気にすることではなく、
負担を減らして回復できる余白を作ることです。
水分をこまめに、ゆっくり飲む。
主食だけで終わらせず、たんぱく質をひとつ足す。
冷房を我慢せず、羽織るもので調節する。
夜更かしを減らし、身体を休める。
体調不良のときはサウナや激しい運動を休む。
ゆったりと、体温以下くらいのお風呂に浸かる。
立派な目標や、
特別な健康法に走る必要はありません。
無限の可能性を語る前に、
今日のそうめんへ卵を一つ。
夏バテ対策は、それくらい現実的な足元からで、十分すぎるほどかも知れません。^ ^
こんにちは。^ ^
今日のタイトルは、強さとは何か?!です。
今回はちょっと男っぽく書いていきます。
押忍。

今週末とある場所で「ガチ男塾」をやる!
男塾という名前だけ聞くと、
根性。気合い。筋肉。大声。我慢。
みたいなものを想像する人もいるかもしれない。
もちろん、肉体を使い、
そういう熱さも嫌いではない。
でも、今回やりたいことは、
ただ男らしく見せるための場ではない。
強がるための場でもない。
誰かに勝つためだけの場でもない。
むしろ、
強がっている自分。
怒りでごまかしている自分。
不安を見ないようにしている自分。
寂しさをプライドで隠している自分。
認められたくて力んでいる自分。
そういう内側のものを、
ちゃんと見る場。
先日、こんな広告を見かけた。
「弱い男になるな。王になれ。」
黒い背景。刀を持った男。鋭い目つき。筋肉。
威圧感。そして、強そうな言葉。
たしかに、パッと見た瞬間は刺さる。
このままではダメや!
もっと強くならないと!
自分を変えないと!
そんな気持ちに火がつく人もいると思う。
でも、少し立ち止まって考えてみたい。
強さとは、本当にそういうものなのだろうか?
![]()
声が大きいこと?
怖そうに見えること?
人に負けないこと?
感情を出さないこと?
弱音を吐かないこと?
誰にも頼らないこと?
いつも余裕があるように見せること?
それは一見、強さに見える。
でも実際には、ただ傷つかないように、
心や身体を固めているだけのこともある。
鎧を着込んでいる人は、強そうに見える。
けれど、鎧を脱げない人は、本当は少し苦しい。
ただ、その鎧にも理由がある。
鎧を着込まなければ、守れなかった何かがあったのだと思う。
馬鹿にされたくなかった。負けたくなかった。
認められたかった。家族を守りたかった。
期待に応えたかった。
弱い自分を見られたくなかった。
だから、無理に鎧を脱ごうとしなくていい。
大事なのは、鎧を着ている自分を責めることではない。
「いつでも脱げるし、必要ならまた着てもいい」
そう選択できる余白が、内側にあること。。
本当の強さは、弱さを消すことではない。
弱さに気づいても、そこから逃げず、飲まれず、責めすぎず、ちゃんと扱えること。
怒りが出た時に、怒りそのものにならないこと。
不安が出た時に、不安に人生のハンドルを渡しきらないこと。
寂しさが出た時に、誰かで埋めようとしないこと。
劣等感が出た時に、他人を下げて自分を保とうとしないこと。
承認欲求が出た時に、必要以上に大きく見せようとしないこと。
それが、強さではないかと思う。
![]()
武術で言えば、力んでいる身体は意外と崩れやすい。
本当に安定している身体は、余計な力が抜けている。
力を入れて固めているのではなく、抜けているのに崩れない。
これは、人生でも同じだと思う。
強く見せようとしている時ほど、
実は内側が揺れていることがある。
正しさで相手を黙らせようとしている時ほど、
自分の中の不安を見たくないだけのことがある。
家族や仲間を守っているつもりで、
本当は自分の思い通りにしたいだけのこともある。
ここは、なかなか痛い。
でも、ここを見ないまま強くなろうとすると、
強さの顔をした支配になる。
整体でも同じで、身体は頑張りすぎると固くなる。
固くなると、感覚が鈍る。
感覚が鈍ると、自分の状態がわからなくなる。
自分が疲れていること。
本当は傷ついていること。
本当は怖かったこと。
本当は助けてほしかったこと。
そういう声が、だんだん聞こえなくなる。
だから、強くなろうとして固めすぎると、
かえって自分を見失うことがある。
![]()
「王になれ」という言葉も、
誰かを支配する王ではなく、
自分の内側を静かに治める王なら、いい。
焦り。怒り。欲。見栄。恐れ。承認欲求。
正しくありたい自分。評価されたい自分。
助けたい自分。わかってほしい自分。
そういう内側の住民たちを、力で黙らせるのではなく、
ちゃんと見て、ほどよい場所に配置し直す。
それが、自分を治めるということ。
男の強さとは、
自分の感情をなくすことではない。
感情に毎回、乗っ取られないこと。
怒りを感じてもいい。
悔しさがあってもいい。
嫉妬があってもいい。
不安が出てもいい。
情けない自分が出てもいい。
ただ、その反応のままに言葉を投げない。
その反応のままに人を傷つけない。
その反応のままに大事なものを壊さない。
ここに、かなり大きな強さがある。
もちろん、現実的な強さも大事だ。
体力。お金。仕事。生活力。約束を守る力。
言葉にする力。断る力。謝る力。続ける力。
休む力。決める力。背負いすぎない力。
こういうものがなければ、
きれいな精神論だけでは生活は守れない。
宇宙を語れても、
部屋が荒れて、身体が壊れて、
人間関係が崩れていたら、
足裏が地面から浮いている。
だから強さとは、
壮大な覚醒だけではない。
今日のベッドを整えること。
顔を洗うこと。
身体を動かすこと。
腹が立った時に、すぐ言葉の刃を抜かないこと。
やるべきことを一つ終わらせること。
疲れている時に、ちゃんと休むこと。
大切な人に、ちゃんと言葉で伝えること。
間違えた時に、静かに謝ること。
そういう小さなことの中にも、強さはある。
強さは、派手じゃない。
本当の強さは、静かなことが多い。
強く見せる必要がないからだ。
![]()
弱さを否定するほど、人は弱さに支配される。
弱さを見れるほど、人は少しずつ自由になる。
だから
「弱い男になるな」よりも、
「弱さに飲まれるな」の方がしっくりくる。
そして、「王になれ」よりも、
「自分の内側を荒らさず、静かに治めよ」
の方が、身体に合う。
硬さではなく、中庸。
威圧ではなく、余白。
支配ではなく、選択。
我慢ではなく、調整。
無敵になることではなく、傷ついても戻ってこれること。
力を入れることではなく、
力を抜いても崩れないこと。
誰かを従わせることではなく、
自分の反応に従いすぎないこと。
そして今日、ちゃんと足裏で立つこと。
以上、塾長より、
ガチ男塾の始まり挨拶でした。
こんにちは。
スマホ時間を減らしたいから、
スクロールを少なくして欲しいとの相談があり、
ちょっと間を少なくしてみました。^ ^
今日は、過酷な環境を越えていく。
クマムシに学ぶ「本当の強さ」です。
クマムシという生き物がいます。
ご存知でしたか?
名前はかわいいですが、
なかなか只者ではありません。

体の大きさは、多くが1mm以下。
湿ったコケ、水辺、土の中、海の中など、世界中のさまざまな場所にいる小さな生き物です。
別名は、water bear。
水のクマです。
見た目は、ちょっと宇宙服を着たミニ怪獣みたいです。
クマムシの強さは「いつでも元気」なことじゃなくて、
このクマムシが有名なのは、
極端な環境にとても強いからです。
乾燥、低温、高温、真空、放射線。
普通の生き物なら耐えられないような状況でも、クマムシは生き延びることがあります。
宇宙空間にさらされても、条件によっては復活したという研究もあります。
ただしここで大事なのは、
クマムシは、何をしても死なない不死身の生物ではない!
ということです。
強いのは主に、ある準備ができた時です。
それが、tun状態です。
![]()
危ない時、クマムシは一度「止まる」んです。
クマムシは環境が悪くなると、体の水分を抜き、樽のように縮こまった状態になります。
この休眠状態を、tun状態といいます。
この時、代謝は限りなく低くなります。
ほとんど生きていないように見える。
でも、死んではいない。
そして、水分や環境が戻ると、
また動き出します。
ここが面白いところです。
クマムシの強さは、
「どんな時でも頑張り続けること」
ではありません。
むしろ逆です。
危ない時に、ちゃんと止まれる。
無理に動かない。
水が戻るまで待てる。
これが、クマムシの生存戦略です。
人間も、ずっと動き続けるようにはできていないんです。
つい勘違いしませんか?
強い人とは、
いつでも前向きで、
いつでも元気で、
いつでも頑張れて、
いつでも人に優しくできる人だと。
でも、そんな人間はたぶんいないかもです。
![]()
きっと、時に
身体が重い日もあります。
心が動かない日もあります。
誰にも会いたくない日もあります。
何もしたくない日もあります。たぶん。
それをすぐに、
「自分は弱い」
「怠けている」
「もっと頑張らないと」
と責めてしまう。
でも、もしかするとそれは、
身体や心が壊れないために、
いったん出力を落としている状態なのかもしれません。
人間版のtun状態です。
もちろん、人間はクマムシではありません。
ずっと止まっていたら、生活は回りません。
ご飯もいる。
仕事もある。
家族もいる。
請求書は、宇宙の真理を待ってくれません。笑

だからこそ大事なのは、
ただ止まることではなく、
回復できる形で止まることです。
休んでいるつもりで、消耗していることもある
スマホを見ながらダラダラ休むのと、
呼吸が深くなるように休むのは、
少し違います。
不安を反芻しながら寝転ぶのと、
「今は回復の時間」と決めて力を抜くのも、
少し違います。
休んでいるつもりでも、頭の中ではずっと戦っている。
身体は横になっているのに、心は会議室で徹夜している。
そんな休み方では、
なかなか水は戻ってきません。
クマムシは教えてくれます。
強い命とは、
いつも前に進む命ではない。
時には、縮む。
時には、静かになる。
時には、世界との接続を最小限にする。
そして、また水が戻った時に動き出す。
![]()
今日できる小さな回復
どうにも動けない時、
「自分はダメだ」と責める前に、少しだけ見方を変えてみてもいいかもしれません。
今は、命が自分を守る形に入っているのかもしれない。
ただし、ずっとそのままでいいわけではありません。
水が戻ってきたら、少しずつ動く。
水を飲む。
深く息を吐く。
外の光を見る。
首や背中の力を抜いて動かす。
スマホを置いて、目を休める。
誰かにひと言だけ連絡する。
大きく変わらなくていい。
クマムシだって、復活していきなりフルマラソンはしません。
命は、ちゃんとスペースを知っています。
大事なのは、
無理に殻を破ることではなく、
水が戻る環境を整えること。
本当の強さとは、
ずっと頑張れることではなく、
必要な時に止まり、
必要な時にまた動き出せることなのかもしれませんね。
こんにちは。
今日は、
準備された状態でのみ、扉は開く。
について。
ソツタクドウキ。
漢字では、
「啐啄同機」という言葉があります。
啐啄同時とも言われます。
本来は禅の言葉で、
卵の中の雛が内側から殻をつつくことを「啐」、
親鳥が外側から殻をつつくことを「啄」といいます。
内側から、
「もう出たい」
という合図がある。
それに合わせて、外側から親鳥が助ける。
この内と外のタイミングがぴったり合った時、
雛は無事に殻を破って生まれてくる。
これが、啐啄同機です。
この言葉は、
整体にも、カウンセリングにも、
武術にも、人生にも、
とても大事なことを教えてくれている
ように思えます。

人は、外からどれだけ良いことを言われても、
まだその準備ができていない時は、
なかなか受け取れません。
正しいことを言われても、
ありがたいアドバイスをもらっても、
有名な先生に教わっても、
タイミングが合っていなければ、
それはただの「圧」になることがあります。
逆に、本人の中で何かが熟している時は、
たった一言で変わることがあります。
たった一回の施術で、
たった一本のブログで、
たった一つの出来事で、
人生の見え方が変わることもあります。
でもそれは、
その一言が魔法だったというより、
その人の中で、
すでに準備が進んでいたのだと思います。
扉は、いつでも開くわけではありません。
準備された状態でのみ、扉は開く。
だから、無理に変えようとすることは、
時にその人を傷つけることがあります。
まだ内側から音がしていない卵を、
外から割ってしまえば、
それは誕生ではなく、破壊になります。
子育てもそうかもしれません。
親としては、
早く気づいてほしい。
早く成長してほしい。
早くちゃんとしてほしい。
そう思うことがあります。
でも、子どもの中に
まだ「啐」が起きていない時、
外からいくら「啄」をしても、
ただうるさい音にしかならないことがあります。
夫婦関係も似ています。
相手に変わってほしい。
わかってほしい。
気づいてほしい。
そう思うほど、
こちらの言葉は強くなり、
正しさの形をした圧になっていくことがあります。
でも、相手には相手の間があります。
もちろん、
何でも待てばいいという話ではありません。
危険なこと、
身体を壊すこと、
人を傷つけること、
生活が崩れていくことに対しては、
ちゃんと線を引く必要があります。
ただ、
「今この人の中で何が育っているのか」
「今は開く時なのか、それとも温める時なのか」
そこを見る目は、とても大切ですね
整体の現場でも、
身体は急に変わることがあって、
ずっと痛かったところが、
ふっとゆるむ。
動かなかったところが、
急に動き出す。
呼吸が深くなる。
顔つきが変わる。
でも、それもこちらが無理やり
変えたというより、
身体の中で準備ができていたところに、
少しだけきっかけが入ったのだと思います。
本当の手助けとは、
相手をこちらの理想の形に変えることではなく、
その人の中にあるスペースを聴くことなんじゃないかなと。
早すぎず、遅すぎず。
押しすぎず、放置しすぎず。
言いすぎず、黙りすぎず。
その間合いに、
本当の導きがあるように思います。
内側からの小さな音を聴く。
外側からの一打ちを焦らない。
扉は、力でこじ開けるものではない。
今日も、誰かを変えようとする前に、
その人の中で何が育っているのかを、
少しだけ聴いてみたいし、
そして自分自身にも、
同じように問いかけてみたいですね。^ ^
今は、殻を破る時なのか。
それとも、もう少し温める時なのか。
焦らなくていい。
でも、眠り続けなくてもいい。
内側から音がした時、
扉はちゃんと開いていくかも知れません。
こんにちは。
今日はAI相談についてです。
AIは、
今では特別なものではなくなってきました。
仕事だけでなく、
悩みごとや人間関係について、
AIに相談する人も増えています。
それ自体は、
言葉にできない気持ちを整理したり、
自分の考えを客観的に見たり、
誰にも言えないことを
一度外に出したりするのに、
AIはとても便利な道具です。
実際、AIの進化には本当に驚かされます。
以前はプロンプト、
つまり指示文を細かく工夫しなければ、
思うような答えが返ってこないことも
ありました。
でも最近は、
普通に話しかけるだけでも、
かなり自然に、
そして深く返してくれるようになりました。
ただ、
便利になればなるほど、
少し気をつけないといけないこと
もあります。
それは、AIに相談することで、
自分の心、
あるいは自我が、
さらに「正しさ」を所有してしまうことです。
AIを使うこと自体が
怖いのではありません。
怖いのは、
AIの答えを読んだあとに、
「やっぱり自分は間違っていなかった」!
「やっぱり相手がおかしい」!
「ほら、AIもこう言っている」!
という形で、
自分の見ている世界が
さらに固まってしまうことです。
人は誰でも、
悩んでいるときは、
自分を守りたくなるものです。
傷ついたときは、
自分が間違っていない理由を
探したくなります。
怒っているときは、
相手が悪い証拠を集めたくなります。
寂しいときは、「自由じゃない、大切にされていない」と
いう物語を強めたくなることがあります。
そこにAIが、
とても整った言葉で返してくれる。
「あなたは悪くありません」
「その相手とは距離を置いた方がいいかもしれません」
「もっと境界線を引くことが大切です」
こういう言葉も時には必要ですし、
実際に、
危険な関係や、
いわゆる暴力や強い不安がある場合などは、
AIじゃなくて信頼できる人や、
専門機関に相談することが何より大切です。
ただ、
日常の生活での会話のすれ違いや、
夫婦、親子などの人間関係の中では、
この「正しい言葉」が必ずしも
関係をやわらかくするとは限りません。
むしろ、自我の牢屋になるというか。
正しさは、
ときに光になります。
でも、
ときに鎧にもなります。
その鎧を着たまま相手を見ると、
相手の言葉も、
態度も、
過去の出来事も、
すべて「やっぱりこの人はおかしい」と
いう証拠に見えてくることがあります。
ここが、
AI相談の難しいところです。
もう少し言い替えるならば、
AIは、
いわば「高性能な鏡」のようなものです。
けれどその鏡は、
こちらが投げかけた言葉を中心に
映し出します。
怒りながらのぞけば、
怒りの物語が整って返ってきます。
寂しさでのぞけば、
寂しさの理由がきれいに並びます。
被害者の立場でのぞけば、
相手が加害者のように見えてくることもあります。
それが事実の場合もあります。
けれど、事実の一部だけを
切り取っている場合もあります。
画面の中には、
現実のすべては入りきりません。
その場の空気。
表情。
声の強さ。
言いすぎたあとの沈黙。
本当は助けてほしかった気持ち。
そうした人間関係の機微を、
AIが身体で感じ取ることは
できないからです。
だからこそ、AIに相談したあと、
少しだけ問い直してみることも大切です。
「これは本当に事実なのだろうか」
「今の感情が見せている世界ではないか」
「この答えを読んで、身体はゆるんでいるか、それとも緊張しているか」
「相手を理解しようとしているか?それとも悪者に固定しようとしているか」
AIに、
現実を明け渡してしまうこと。。。
AIの答えを、
感情の武器にしてしまうこと。。。
そこには、少しだけ注意が必要です。
道具は使い方によって、
現実に戻る助けにもなれば、
現実から離れる理由にもなります。
気持ちを整理するために使うのか?
それとも、
正しさを補強するために使うのか?
そこには大きな違いがあります。
そして
大事なことは、
画面の中だけで完結させないこと。
最後は、身体に戻る。
呼吸に戻る。
目の前の人の声に戻る。
暮らしの手触りに戻る。
そこに戻れたとき、
情報はただの情報になり、
AIはただの道具に戻ります。
そして、握りしめていた正しさも、
少しずつゆるんでいきます。
人生は、いつも思い通りに
コントロールできるものではありませんから。
むしろ、無理にハンドルを握りしめるほど、
心も身体も硬くなってしまうことがあります。
だから、これからの時代に大切なのは、
人生を思い通りに操ることではなく、
もう少し、喩えるなら、
たんぽぽのように
生きることなのかもしれません。
根は大地にそっと張りながら、
風が吹けば、風にまかせる。
飛ばされることを失敗とせず、
留まることを遅れともせず、
その時々の流れの中で、
静かに花を咲かせていく。

そんな生き方を、
少し冗談まじりに、
「たんぽぽ人生」
と呼んでみてもいいでしょう。^ ^
スマホも成長するAIも、
現実から離れるためではなく、
その自然な感覚に戻るための、
小さな補助輪くらいでいいのだと思います。
こんにちは。^ ^
今日は、
ショート動画のあとなぜ現実が重くなるのか?
スマホに麻痺された意識を、
身体に戻すためには?
について書いていきます。
先ずは質問。
あなたは一日、どれくらいスマホを触っていますか?
スマホのスクリーンタイムを見てみると、
思っていたよりも長く使っていて、
少し驚くことがあるかも知れません。
1時間。
2時間。
3時間。
気づけば、5時間、6時間。
人によっては、
一日のうち7時間、8時間、9時間近く、
画面に意識を向けていることもあるかもしれません。
もちろん、スマホを使うこと自体が
悪いわけではありません。
仕事の連絡。
家族とのやり取り。
調べもの。
買い物。
動画。
SNS。
今の生活の中で、
スマホはとても便利な道具です。
ただ、健康づくりの目安としては、
余暇のスクリーン時間を長くしすぎないことが大切だとされています。
大人の場合でも、
余暇のスクリーン時間は一日最低3時間以内を目安にする考え方がありますし、
子どもや若い世代では、一日2時間以内がひとつの目安とされています。
これは、
「それを超えたらすぐに身体に害が出る」
という意味ではありません。
けれど、毎日のように長時間スマホを見続けていると、
髪、歯、首肩、腰、
目、睡眠、集中力、気分。
そういったところに、
少しずつ影響が出てくることがあります。
気づけば、スマホを見ている。
少しだけ見るつもりが、
気づけば30分。
気づけば1時間。
気づけば、今日という日が、
画面の中で細かく切り刻まれている。
Instagram、ショート動画、
ニュース、LINE、通知。
どれも一つひとつは悪くありません。
便利ですし、楽しいですし、
人とのつながりを感じられることもあります。
けれど、身体の側から見ると、
長時間のスマホは、なかなか静かな負担になります。
首は下を向き、
背中は丸まり、
呼吸は浅くなり、
目は近くの光を追い続けます。
スマホを見ている間、身体は止まっているようで、
実はずっと小さな緊張を続けています。
スマホの使いすぎが身体への痛みのリスクと
関連することはもちろんですが、
でも、本当に怖いのは、
首や腰だけではないのかもしれません。
スマホは、身体の姿勢だけでなく、
意識の姿勢も少しずつ変えていきます。
ショート動画は、数秒ごとに刺激をくれます。
面白い。
かわいい。
驚く。
腹が立つ。
羨ましい。
もっと見たい。
脳にとっては、
小さな花火が連続で上がっているようなものかもしれません。
けれど、現実の暮らしは、
そんなふうには進みません。
洗濯物は、数秒で感動させてくれません。
食器洗いは、派手な効果音を鳴らしてくれません。
子どもとの会話も、
毎回ドラマのように盛り上がるわけではありません。
家族との日常は、バズりません。
現実は、もっと地味です。
もっと遅いです。
もっと手触りがあります。
だからこそ、スマホの刺激に慣れすぎると、
現実の静けさが「退屈」に感じられることがあります。
本当は、退屈なのではなく、
刺激が強すぎる世界に、
神経が慣れてしまっているのかもしれません。
ショート動画の使用量が多い人ほど、
不注意傾向と関連するという研究や、
短い動画への依存傾向が、
睡眠や注意、判断に影響することを示す
研究も出てきています。
まだまだ将来たくさん出てくるでしょう。
さらに、SNSには「比較」があります。
誰かの楽しそうな生活。
誰かの成功。
誰かの美容。
誰かの家族。
誰かの仕事。
誰かのキラキラした一場面。
でも、それは人生の全部ではありません。
切り取られた一瞬です。
それを毎日見続けると、
自分の生活だけが、くすんで見えることがあります。
本当は、目の前にある暮らしにも、
小さな光はあるはずなのに。
スマホを長く使うことが、必ず悪いとは思いません。
ただ、
見終わったあとに元気が減っている。
首肩や腰が重い。
眠りが浅い。
家のことをする気力が出ない。
現実に戻るのが面倒になる。
人と比べて気分が沈む。
そういう感覚があるなら、
それは身体からの小さなサインかもしれません。
「スマホをやめなさい」ではなく、
まずは、スマホから少しだけ身体を取り戻してみる。
食事中はスマホを置く。
寝る前30分だけ見ない。
朝起きてすぐには開かない。
トイレや布団にスマホを持ち込まない。
10分見たら、一度立って呼吸する。
それだけでも、身体は少し現実に戻ってきます。
スマホを見ているとき、私たちの意識は、
小さな画面の中にきゅっと集まりやすくなります。
目の前の四角い世界に集中するほど、
自分の周りにある空間や、身体の広がりを忘れてしまうことがあります。
だからこそ、スマホを置いたときは、
ただ遠くを見るだけでもいいのですが、
もう少しだけ、
自分の周りの空間を思い出してみてください。
自分の前。
後ろ。
右。
左。
そして、頭の上。
存在を取り囲んでいる空間に、
意識をそっと開いていく。
それだけでも、呼吸が少し深くなったり、
首や肩の力が抜けたり、
現実に戻ってくる感覚が出てくることがあります。
スマホの中に、世界はあります。
でも、生命が回復する場所は、
画面の中だけではありません。
呼吸。
足裏。
台所の音。
子どもの声。
洗濯物の重さ。
部屋の空気。
自分の身体の奥にある、静かな疲れ。
そういうものに気づいたとき、
人は少しずつ、自分の場所に戻ってきます。
スマホを敵にしなくてもいい。
ただ、スマホに自分の一日を明け渡しすぎていないか。
そこを、たまに身体に聞いてみてもいいのかもしれません。
画面を見る時間を少し減らすことは、
情報を減らすことではありません。
自分の生命に戻る余白を増やすこと。
身体の奥にある静かな感覚を、
もう一度思い出すこと。
現実は、スマホの画面ほど刺激的ではないかもしれません。
けれど、そこには、
呼吸があり、
重さがあり、
ぬくもりがあり、
自分の身体があります。
その何気ない現実に戻ってこられること。
それが、今の時代には、
とても大切な回復なのかもしれません。




























































