Blog記事一覧 > 4月, 2025 | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院の記事一覧
こんにちは。
4月も終わりゴールデンウィークが始まりますが、とても気持ちの良い温度が続きますね。![]()

今は子育てについて書いてたんですけど、
途中から、ちょっと深い話になってしまったかもです。
まあ、なんとなく書いてたんですけどね。
何でもそうなんですが、
悩んでいる人の特徴として、
だいだいが真面目で、
1つの選択肢しかないパターンが見えるので、
また違う選択肢をお伝えしたいと思います。
子育てに悩んだことはありますか?
子育てに限らず何事もですが、
悩むことは実際のところ、
良いとか悪いとかではなく、
ただ、じつは、
その悩みが今、
ここに“ある”というだけのことなんですね。
例えば、
「子どもに好かれたい」
「嫌われたくない」
その気持ちも、
良いとか悪いとかはありません。
ただ湧いてくる感情です。
そう思っている“存在”が、
今ここにいるということ。
親である存在も、
子であるその存在も、
いつも、
今しかなくて、
「こうしなければならない」
「こうあるべきだ」
という声は多くの場合、
過去に誰かがそう言った、
言葉の残響かもしれません。
例えば、
「愛とはこういうものだ」
「厳しさが愛の証だ」
そんな“定義”も、
本当に自身の感覚から出たものでしょうか?
それとも、
誰かの目を通して見た“正しさ”かもしれません。
子どもがどんなふうに育っていくのか。
それは、
誰にも分からないことです。
育てようとしても、
育ってしまうこともあれば、
育てようとして、
何も変わらないこともある。
そこに因果を求めすぎると、
疲れてしまうこともあります。
「しつけが大事」
「徳性が大事」
「知識よりも心だ」
それも視点のひとつかも知れない。
その視点があなたの中で静かに響いたならば、
それを大切にするのもいいですね。
でも、もしその言葉があなたを縛って
苦しくするなら、
いったん置いてみる。
という選択もあっていいかもです。
見える世界では、子どもは親を選べません。
でも親もまた、
「親という役割」を突然与えられ、
戸惑いながら、
その日々を生きていきます。
うまくいかない日があっても、
感情に振り回される瞬間があっても、
それすらも、
「あなたという存在」
がただ在るという証です。
子育ての本質とは、
教えることでも、
正すことでもなく、
ただ「共に在る」
ことなのかもしれません。
これからも、どれだけ
時代が変わっても、
知識が増えても、
「共に在る」ということだけは、
いつまでも変わりません。
共に在るだけで良いのなら、なんだか少し軽くなりませんか?
今そこに、
あなたと子どもがいる。
そのこと自体が、
何かを教えようとしても、しなくても、
もう既に、尊いのかもしれませんね。
それでも悩み、
例えば、
「そんなこと自分にできるわけがない」
その思いが浮かぶとき、
それもただ、
心がそう言っているだけです。
それは真実でも、
嘘でもありません。
浮かんだだけなんです。
「私にはできる」と言ってみても、
その声にどこか違和感があったなら、
それもまた、
ただそのままで良いのです。
変えようとしなくていい。
押しのけようとしなくていい。
「できない」と思う自分もいていい。
「できるようになりたい」と、
願う自分もいていい。
「頑張りたくない」と、
思う日もあっていい。
どの瞬間も、
どんな自分も、
ただそこに“在る”だけで
もう充分に生きています。
ただ、
「そのままの今の自分に何も足さなくてもいい」
本当にそう感じられたとき、
世界は鏡のごとく、
いつのまにか、
あなたにしかない光がにじんできます。
人間は、
何かにならなくてもいいし、
能力が発現しなくてもいいし、
愛を与えられなくてもいいし、
何も実現しなくてもいいし、
ただ“存在している”ということだけで、
もう言葉にならないほど豊かなことなのです。
それでもふと、
「~してもいいな」
と感じたなら、
それは、
命のほうからあなたに語りかけている声かもしれません。
その声もまた、
信じすぎなくていいですし。
ただ、耳を澄ますだけで充分です。
悩んでいるお母さんが、
もし今日、
「何かを変えよう」とするかわりに、
「いまのままでいい」と、
ひと息つけたなら
それはすでに、
あなたという命が、ほんとうに開きはじめた証、
なのかもしれません。^ ^
こんにちは。
急激に夏日の様な暑さが来ましたね。
もう4月半ば過ぎたので、
そんなもんなのかな。^ ^
大阪万博も始まり、外人さんが
更にたくさんいらしてますね。

今日のお話は、
伝わることについて、
そして「少しずつ」の話です。
みなさんは伝わるって
どんなイメージや思い込みがありますか?
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きっと人間での
伝わるというのは、
一度で分かり合うことでは
ないのかもしれないって思っています。
何かを言って、
すぐに相手が「なるほど!」
と頷いてくれたら、
少しほっとするし、
安心もします。
でも、
その安心の中には、
どこか、不安も隠れてたりします。
それは、
本当に伝わったことなのか?
ただ形だけ整ったものだったのか?
その判断はきっと、
ずっと後にならないと分からない事ですから。
というのも最近、
沖縄空手の兄弟子さんの本を読んでいて、
こんな言葉に出会ったのでした。
「継続も、
その間隔が重要であり、
間隔が短ければ短いほど
多くの気づきがあります。」
それは武術の稽古の話ですが、
実は日々の対話などにも、
そのまま通じるような言葉だなぁと。
何度も、少しずつ、間隔をあけずに。。。
これはカウンセリングや、気づきのセミナーでも同じことをお伝えしていたことと同じで、
この世界に気づくには、
質、頻度、状態、が、
大切だと。
ここから、
それを「しつこい」と取るか、
「丁寧」と取るかも、
きっとその人の状態によるのでしょう。
一度で届かなくても、
何度も話してみる。
触れてみる。
試してみる。
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その中で、
あるときふと「うん、わかった」と、
言葉を超えて伝わる瞬間がくることがあったりする、
その感じは、
自転車に乗れるようになったときと
よく似ているかも知れません。
あれこれ考えるよりも、
身体の中で「こうか」、と腑に落ちる感覚。
それは“分かった”ではなく、
“感じた”!という領域に近いかな。
そして健康も、
身体も同じでしょうね。
一度きりの刺激ではなく、
間隔をあけず、
少しずつ丁寧に触れ続けていくこと。
それがいつか、
身体の奥で、細胞なのかわからなけれど、
「もう、戻らんでもええかもしれん」
という安心に変わる。
そういう整い方が、
ほんまの意味で
“伝わる”ってことなのかもしれません。
焦らず、詰め込まず、
今日もまた「少しずつ」。
それがきっと、
なにより強くて、
静かで、
信頼できる方法なのかもです。^ ^
こんにちは。^ ^
世間の入学式に合わせて桜も満開でしたね。
柔らかい風に吹かれて、
散る桜のいさぎよさ。
言葉がいらず、
そこにいるだけで身体の流れが良くなりそうですね。
今日は、
最近、不安や混乱の中にいて、
何をどうしたらいいのか分からなくて、
どこに立っているのかも分からないような感覚に包まれているの方に向けて、
少し書いていきます。
まさにそんな状態ときは、
自分は、
「こんなんじゃダメだ」
「ちゃんとしなきゃ」
「早く抜け出さなきゃ」
なんて、
そんな思いが心の中で、
渦巻いているんじゃないでしょうか。
でもそれは、
間違っているわけではないですが、
一つの囚われた見た方であり、
何かがおかしいという
サインという訳だけではなく、
今までの形が崩れ、
新しいスペースが生まれようとしている
サインであるとも受け取れます。

少しでも、
早く
脱出したい、
原因を解りたい、
解決法を知りたい、
目標に辿り着いていたい、
これらの思考がきっと湧いてきて、
それらさえ手に入れば、
安心をもたらすのにと、
考えてしまうかも知れませんが
それらは同時に、
どこかで新しい可能性を
閉じ込めてしまうこともあります。
どんな状態であれ、
今やることは見つかるはずです。
そのやる事はタンタンとやり、
その上で、
わからないものは、
“分からないまま”でいいんです。
そのままで、
“分からないまま”で、
身体の呼吸して、
今この瞬間に戻ってみましょう。
そこには、
思考では届かない静かな気づきが、
ふと、
立ち上がってくるように、
顔を出してたりします。
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何も進めていないように感じる時ほど、
実は内側では、
静かに整えが
起きていますから、
そういうときは、
身体に、
こまめなケアや隙間を作るゆるめる時間に
集中してみては?
“余裕がないからこそ”、
休む、
あたためる、
ほぐす、
など、
そうしたスペースを先に取ってもいいかもですね。
“分からないこと”を、
そのままにしておく。
“答えのない問い”を、
ただ抱えてみる。

それだけで、
呼吸が深くなり、
その場に静かな風が通っていくような瞬間が生まれます。
今日という一日、
「何がどうあると、分からないままでいられるだろう?」

そんな問いと共に、
答えを直ぐに求めず静かに、
そこに、ある問題から離れて、
ゆるやかに過ごしてみる。
気づきはすぐそばにありますから。
こんにちは。
今日のお話は、花粉症は「敵」か?
はたまた身体の声か?
かゆみって?
です。
まだまだ花粉症(環境汚染症)の季節。
鼻水、くしゃみ、かゆみ…
「なんでこんなに反応するんやろ」
って、
つらくなることもあるある?
でも、
その裏側には身体が、
一生懸命やっていることがあるんです。
先ずは復習にもなりますが、
ヒスタミンは“悪者”じゃないってこと。
ヒスタミンって聞くと、
「アレルギーの元」
「かゆみの原因」って思われがち。
でも実は、
ヒスタミンには大事な役割があるんでした。
• 異物を排除する警報係(免疫)
• 胃酸を出して消化を助ける
• 脳内では覚醒を保ち、集中力に関わる
• 炎症を起こして、修復を始めさせる
つまり、
ヒスタミンは身体を守るための味方でした。
ただ、
出すぎたり、
分解がうまくいかなかったときに
“暴走”するだけなんです。
そして、
ヒスチジンとヒスタミンの関係です。
ヒスタミンの材料になるのが
「ヒスチジン」という魚に多いアミノ酸。
(肉食が原因って言う仮説はこれ。)
ただ、ヒスチジンは、
筋肉の材料になったり、
抗酸化物質(カルノシン)になったりと、
本来とても大事な栄養素ですね。
ちなみに筋肉以外に、神経や細胞やホルモンなど、身体のほとんどは
タンパク質からできていますよ。
そして、Tレグ細胞を覚えてますか?
Tレグ細胞(制御性T細胞)は、
免疫の世界でいう「ブレーキ役」。
アレルギー体質の人は、
このTレグが少なかったり、
働きが弱いことが多いんでしたね。
そしてTレグがしっかり育てていると、
ヒスタミンの反応も穏やかになります。
Tレグ細胞を育てる栄養素や生活習慣に、
ビタミンD、ビタミンC、オメガ3、亜鉛、マグネシウム、プロバイオティクス
が必要で、
何より腸内環境の改善
は土台となり、
出来れば、動物として、
自然とのふれあい・ストレスケア
がありましたね。
では、
かゆいのを掻くとなぜ悪化するのか?
ですが、
誰もが痒みは掻くとその瞬間、
一時的に気持ちいいです。
何故なら脳内ドーパミンやエンドルフィンなど快楽物質がでるから。
でもそれは、
ヒスタミンもが、
さらに出てしまうきっかけにもなるんです。
• 掻く→皮膚が刺激される→ヒスタミンが追加放出
• ヒスタミン→血管拡張・神経刺激→かゆみが悪化
• 掻く→また出る…というスパイラルに。
それでも掻くことには、
意味があるのでしょうか?
実は掻くことで、
一瞬の安心感や快感を得て、
感情や不安を逃がして、
身体とのつながりを取り戻しているです。
更に、
掻く=「自分を撫でる」ことで、
迷走神経を整えて、
緊張を解放しようとしていたり。
掻くこと自体が「悪い」じゃなくて、
掻くことで何を補ってるのか?
何を感じたいのか?
そこに耳を傾けることが、
大きなケアになるんですね。

例えば、
まぶたを掻いたり、
触れる意味。
まぶたって、
全身で最も皮膚が薄く、
神経が豊富な所。
それは交感神経が豊富でもあり。
そこを掻いたり触れるのは、
刺激から自分を守ろうとする反応
安心したい、
情報から離れたいという無意識の声
(あくまで無意識の話。
意識は勘違いした欲求不満があったりもするので、情報を見るわけです。)
眠気、疲れ、内にこもりたいサイン
だったりもあるかも知れません。
そして
それでも「見ること」に疲れた身体が、
「ちょっと目を閉じさせて」と、
言ってるのかもしれません。
「もう休みたい」
「自分の中に戻りたい」ってサイン
※赤ちゃんが眠いとき目をこするのもこれと同じ。
どうしても掻きたい時は、
その前に、
因みに手で目を覆ったり、
アイマスクをしたり
なんかはオススメですね。
“掻く”じゃなくて“覆う・包む”という、
手や物の使い方によって、
まぶたと神経の安心スイッチが入りますから。
後は冷やしたり、
トントンと圧を加えたり、
圧迫したりも良いですね。
それでも掻いてしまうなら、
それを観察してみましょう。^ ^
と、言うことで、
かゆみは“邪魔”じゃなく“メッセージ”でもありました。
花粉症、かゆみ、
まぶたを掻くこと、
それらはすべて、
今の状態を映し出しているメッセージ。
ヒスタミンもTレグも、
私たちの身体を守り、
整えようとしている存在です。
「反応する身体」=「生きている身体」
そう思えると、
ちょっと見え方が変わってくるかもしれません。




























































