Blog記事一覧 > 院長の考え方 | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院の記事一覧
こんにちは。
以前、Mr.Childrenの『ヒカリノアトリエ』についてブログに書いたことがありますが、
あの曲には、
日常の中にある小さな光を見つけていくような温かさがありました。
そして今回、Mr.Childrenのアルバム『産声』を聴いていて、
また違う形で身体の奥に触れられるような感覚がありました。
特に表題曲の『産声』を聴いたとき、
なぜか涙が流れました。
悲しいという感じでもなく、
感動したと簡単に言えるものでもなく、
何かよくわからないところに触れたような涙でした。
頭では説明できないのに、
身体の奥では先に何かを受け取っている。
そういう反応だったのかもしれません。
「産声」という言葉に感じたもの。
産声というのは、
生まれた瞬間に出る声です。
それは、
誰かに評価されるための声ではありません。
何かを達成した声でもありません。
上手に話そうとする声でもありません。
ただ、生まれてきた命が、
世界に触れたときに出る声です。
大人になると、
社会の中でいろいろな役割を持ちます。
仕事をする自分。
親としての自分。
子どもとしての自分。
誰かに迷惑をかけないようにする自分。
ちゃんとしていようとする自分。
そうした役割は、
もちろん大切です。
でもそれが重なりすぎてると、
なんだか、間が埋まり、
「本来の声」が奥の方に隠れてるというか、
わからなくなってしまうことがあります。
しっかりしなければいけない。
前向きでいなければいけない。
人に迷惑をかけてはいけない。
ちゃんと結果を出さなければいけない。
そんな自分を保っているうちに、
身体も心も少しずつ力んでいく。
気が付かないように。
『産声』を聴いたときに反応したのは、
そうした役割の奥にある、
もっと裸の生命のようなもの。
頭の中では、
記憶や後悔や願いがめぐり、
いろいろな意味を探し続けています。
あの時こうすればよかった。
もっとちゃんとできたのではないか。
これでよかったのだろうか。
そうやって考えたり、
意味を探したり、
過去を振り返ったりすること、
けれど、
それらの言葉や思考の奥にも、
言葉になる前の命の響きのようなものがあるのかもしれません。
「考える私」の奥にある
「ただ生きている命」
今回はそこに音楽を通して、
触れたような感覚がありました。
あと、
アルバムの中には『Again』という曲もあります。
なんかのドラマの主題歌になってたんですかね。
「もう一度」という言葉を聞くと、
つい、もう一回頑張ること、
立て直すこと、
前を向くことを想像します。
だけと身体の世界では、
変化は必ずしも「頑張ること」だけで起きるわけではありません。
むしろ、力が抜けたとき。
守っていたものが少しゆるんだとき。
もうどうにもならないと感じたあとに、
ふっと呼吸が戻るとき。
そういう瞬間にこそ
身体が静かに変わりはじめることがあります。
「もう一度」って、
自分で無理やり人生を動かすことだけではなく、
なんだか奥の方から、
自然に動きが戻ってくることなのかもしれません。
暗がりの中で、
ふっと灯りが戻るように。。
それは、日々人の身体に触れている中でも
感じることがあります。
こちらが無理に変えようとしすぎると、
身体はかえって身構えることがあるんですよ。
けど安心できる余白が起こった時、
身体はちょうどのタイミングで反応しはじめます。
それは奥の方から小さな産声が上がるように。
言葉になる前のもので、
うまく説明できないものですけどね。
でも、わからないから
意味がないわけではなくて。
むしろ、
言葉になる前のところにこそ、
身体の本音が隠れているというか、
生命が現れているというか。^ ^
痛みや違和感も、
嫌ですけどね。
そやから
消そうとするだけではなく、
身体からの、
小さな知らせとして聴いてみると、
そこには筋肉や関節だけではなく、
緊張、我慢、不安、寂しさ、責任感、
そういったものも
含まれていることを感じれたりするかもです。
身体には、
その人が生きてきたおもいが静かに刻まれていますから。
これまで守ってきたもの。
こらえてきたもの。
言葉にできなかったもの。
それらが、
身体を通してね。
しずかーに。
そこでふっと戻ってくる瞬間は、
余分な緊張がほどけていくような。
無理にポジティブになるのではなく、
今の自分の状態を静かに感じられるような。
小さな反応ですよ。
それは。
大きな変化ではなくて、
小さな、身体にとっての「産声」のようなもの。
何者かにならなくても、
ちゃんとしていなくても、
今ここに生きていることそのものからやってくる。
そんな感覚です。
痛みを消すだけではなく、
自分の内側の音を聴き直せる状態へ。
本来施術とは、
身体を外側から思い通りに変えることではなく、
その人の中にすでに芽吹いている小さな声が、
そっと聴こえてくるための間なのかも、
そんなことを感じました。^ ^
こんにちはー。
立夏に入りましたねー。
新学期が始まって、
少し学校生活にも慣れてくる5月。
実はこの時期、
子どもたちのケガが増えやすい季節
でもあります。

体育、部活、クラブ活動、運動会の練習。
4月はまだ様子を見ながら動いていた身体も、
5月になると急に、
走る、跳ぶ、蹴る、踏ん張る
といった動きが増えてきます。
その中で出てきやすいのが、
成長期特有の痛みやケガです。
大人の場合は、
筋肉や靭帯を痛めることが多いですが、
成長期の子どもは少し違います。
まだ骨が成長している途中なので、
筋肉が骨にくっついている部分や、
骨の成長に関わる部分に
負担がかかりやすい時期でもあります。
ダッシュをした時。
ジャンプをした時。
ボールを強く蹴った時。
急に方向転換をした時。
こうした瞬間に、
筋肉が骨を強く引っ張ることで、
骨の付着部に負担がかかることがあります。
場合によっては、
「剥離骨折」や「裂離骨折」と
呼ばれる状態になることもあります。
特に成長期では、
骨盤や股関節まわり、膝、かかとなど、
筋肉が強く引っ張る場所に痛みが
出ることがあります。
では、なぜそのような負担が
起こりやすくなるのでしょうか?
もちろん、
運動量が増えることは
大きな理由の一つです。
ただ、
それだけではありません。
5月の子どもたちは、
身体だけでなく、
心も新しい環境に適応している途中です。
新しいクラス。
新しい先生。
新しい友達。
新しい部活。
先輩との関係。
「頑張らなきゃ」
「迷惑をかけたくない」
「レギュラーに入りたい」
「ちゃんとしなきゃ」
こうした目に見えない緊張が、
知らないうちに身体へ
影響していることがあります。
緊張が続くと、
呼吸は浅くなりやすくなります。
大人でも自分の緊張に気づかずに、
呼吸が浅く肩こり頭痛を引き起こしているパターンは沢山ありますが、
肩や背中、
股関節まわりにも、
余分な力が入りやすくなります。
身体の中のゆとり、
つまりスペースが少なくなっていくのです。
スペースが少なくなった身体は、
動きに余裕がなくなります。
本来なら柔らかく受け流せるはずの力も、
逃げ場がなくなることで、
一部分に集中しやすくなります。
その状態で急に
走る、跳ぶ、蹴る、踏ん張る。
すると、
筋肉や関節、骨の付着部に
大きな負担がかかることがあります。
ここで大切なのは、
「歩けているから大丈夫」
と決めつけないことです。
もちろん、
歩けているなら重症ではない場合
もあります。
ただ、成長期の痛みは、
我慢して運動を続けることで
長引くことがあります。
特に、
走ると痛い。
ジャンプすると痛い。
ボールを蹴ると痛い。
股関節や骨盤まわりに鋭い痛みがある。
足を引きずる。
数日たっても痛みが引かない。
こうした場合は、
無理に続けず、
一度きちんと確認しておくことが大切です。
子どもは
「休みたくない」
「みんなについていきたい」
と思って、痛みを隠すことがあります。
親御さんから見ても、
普通に歩いていたり、
家では元気そうにしていると、
つい大丈夫かなと思ってしまいます。
でも、
身体の中ではまだ回復の途中
かもしれません。
痛みは、
単なる邪魔者ではありません。
身体が、
「少し負担が強すぎるよ」
「今は休ませてほしいよ」
「このまま続けると長引くかもしれないよ」
と教えてくれているサインでもあります。
もし今夜、お子さんが寝静まったら、
少しだけ寝姿を眺めてみてください。
呼吸が浅くなっていないか。
肩や首に力が入ったまま眠っていないか。
歯を食いしばっていないか。
身体が安心して休めているか。
何かを見つけようとしなくても大丈夫です。
ただ、少しだけ見守る。
その時間だけでも、
親御さん自身の呼吸が少し
深くなるかもしれません。
そして親御さんの呼吸がゆるむと、
家庭の空気にも少しゆとりが生まれます。
子どもの身体は、
そうした空気をとても敏感に
感じ取っています。
「早く治さないと」
「休ませた方がいいのかな」
「でも試合があるし」
そう思うのは、
親として自然なことです。
ただ、
不安の圧が強くなりすぎると、
子どももまた身体を固めてしまうことがあります。
まずは親御さん自身が、
少しだけ肩の力を抜いてみる。
それも、
子どもの身体を見守るうえで
大切なスペースになるかもしれません。
荻野接骨院では、
痛みの出ている場所だけを局所的に見るのではなく、身体全体の使い方を見ていきます。
股関節や骨盤の動き。
筋肉の緊張。
呼吸の浅さ。
足のつき方。
姿勢のクセ。
そして、
身体全体にどれくらい余分な力みが
入っているのか。
そうした部分を確認しながら、
回復しやすい土壌を整えていきます。
もちろん、
骨折や剥離骨折が疑われる場合は、
まず整形外科での画像検査が大切です。
そのうえで、
今は安静が必要な時期なのか。
少しずつ動かしてよい時期なのか。
どこに負担が集まっていたのか。
復帰に向けて何を整えていけばよいのか。
そうした部分を丁寧に見ていくことが、
再発予防にもつながります。
5月は、子どもたちが新しい環境の中で
少しずつ動き出す季節です。
そのぶん、
身体には目に見えない力みが
蓄積していることがあります。
「少し痛いけど大丈夫」
その一言の奥に、
身体からの大事なサインが
隠れているかもしれません。
子どもの痛みを、
ただの甘えや気合い不足として片づけず、
成長途中の身体からのメッセージと
して見てあげる。
それだけでも、
ケガとの向き合い方は大きく変わってきます。
頑張る子どもたちの身体が、
無理な力みなく、
自然に成長していけるように。
痛みや違和感が出た時は、
早めに一度ご相談ください。
こんにちは。
今日はすり減らない身体について。
頑張れば進めれる!
気合いを入れれば、成果も出せる!
評価もついてくる!
でも?
どこかで乾いてくることはありませんか?
達成しているのに、
満たされない。。。?
それは性格の問題でも、努力不足でもありません。
もしかすると、いつもお話している
神経の順番が、少し入れ替わっているだけかもしれません。
身体は脳の認識よりも、
いつも先に知っています。
呼吸が浅い。
眠りが浅い。
お腹が固い。
甘いものがやめられない。
しかも、
イライラが増えてて、
焦りが強くなっていて、
新しい刺激を求めてしまう。。。
身体は、静かにサインを出しています。
それでも多くの場合は、さらにアクセルを踏んでしまう。
学校教育で、
真面目な人ほど、そうなりやすい。
刺激は悪くない。
挑戦も成功も、
悪いものではありません。
ドーパミンはエンジン。
進むための大切な力なんです。
でも、エンジンだけでは長く走れません。
土台が必要です。
土台とは何でしょうか?
具体的には、
血糖が安定していること。
腸が静かであること。
副腎が落ち着いていること。
皮膚が安心していること。
などです。
どれも派手ではありません。
SNSにも映りません。
でも、
ここが整っていると心も揺れにくくなります。
ここが崩れると、
どんな成功もどこかで苦しくなります。
腸は境界。
腸は、外と内のあいだです。
ここが疲れていると、
間が埋まって、
世界に対しても少し警戒が増えます。
呼吸が浅くなり、
知らないうちに力が入ってしまってる。
そして安心が減ると、何かの動画や、
何かのイベント、
とりあえず手っ取り早い刺激で埋めたくなる。
でも本当に必要なのは、安心、
そのものかもしれません。
血糖は感情の地盤です。血糖が落ちると、
交感神経が立ち上がります。
焦る。
怒る。
不安になる。
それは弱さというよりも、
エネルギー不足ってこと。
土台が揺れているだけです。
整えば、
気持ちも自然に落ち着いてきます。
触れるという回復、
強い刺激ではなく侵入しない触れ方。
ゆっくり、ふわっと、あたたかく。
皮膚が安心すると、
脳の感情を司る扁桃体が静まり、
内臓へ巡る迷走神経が戻ります。
身体は思い出します。
守らなくても大丈夫なんだと。
そこから回復は始まります。
副腎が疲れていませんか?
成功欲求の奥にあるのは、安心したい気持ちでは無いですか?
慢性的なストレスは、副腎を静かに消耗させます。
疲れているときほど、
成果を求めてしまうんです。
それも理由は簡単で、
認められれば安全だと、アタマが思い込んでいるから。
でも本当に必要なのは、
楽しいとか、役に立つとか、自信がどうとかではなくて。
休める神経です。
守られながらやってくる順番は、
先ず整う。
いわゆるセロトニン的な「安定」
朝日浴、リズム運動、深い呼吸、
腸内環境への食事。
↓
そしてつながり。
オキシトシン的な「つながり」
信頼、安心できる関係で触れられること。
↓
そして淡々と動くです。
仕事、勉強、遊び、エンジョイ。
ドーパミン的な活動です。
この順番を守るだけで、挑戦は続きます。
順番が逆になると、
どこかで燃え尽きます。
ですので荻野接骨院は、
治す場所というより、取り戻す場所です。
呼吸を。
体温を。
安心を。
何かを足す前に、
何かを証明する前に、
身体がそっと静かであること。
その上に、
仕事も、夢も、成功も、自然に乗っていきます。
最後に、
もし少しすり減っているなら、
刺激を増やさなくて大丈夫です。
まずは、
血糖を整え、
腸を休め、
副腎をいたわり、
触れられてゆるむ。
すると不思議と追わなくても進んでいます。
満たされている身体は、
強いんです。
焦らないんです。
そして、壊れにくいんです。^ ^
こんにちは。
立春も訪れて、
新しい春がやってきましたね。
今回の内容は、
「治してほしい」から「整えながら生きる」へです。
身体が痛くなったら治す。
とか、
悪くなったら治療する。
とか。
これらは当たり前のようで、
実はとても現代的な考え方かもしれません。
健診で異常がない。
病名がついていない。
だから健康。
でも、実際の現場ではよくあります。
検査は正常。
けど、しんどい。
数値は問題なし。
けど、身体が重たい。
「病気じゃない=元気」
とは限らないんですよね。
臨床で、
よく聞かれる質問があります。
「何が原因ですか?」
「何をしたら治りますか?」
その気持ちは自然やと思います。
でも正直に言うと、
身体の不調はほとんどの場合、
ひとつの原因だけでは起きません。
神経。
血流。
内臓。
呼吸。
栄養。
睡眠。
感情。
我慢や思考のクセ。
気温や見えない電磁波など。
いろんなものが重なり合って、
今の状態ができています。
だから
「これが原因です」
「これだけやれば治ります」
という答えの方が、
実は不自然なんです。
病気の域に入ったときは、
医療による治療が必要です。
これは大切なライン。
ただ、それよりもっと手前の世界があります。
それが
日々の暮らし。
毎日の姿勢。
呼吸の浅さ。
スマホを見る角度。
寝る時間。
食べ方。
人に気を遣いすぎる癖。
そういう積み重ねが、
静かに身体をつくっています。
そう、これは「治療」ではなく
「養生」と呼べる領域。
整体も本来は、
治す場所というより
整えて、
気づく場所やと思っています。
でも、
「私は身体の専門家じゃないから」
そう言って、その身体を
全部誰かに預けてしまう人も多いです。
でも本当は、
その身体に一番長く向き合っているのは誰なんですかね?
違和感に気づくのも、
疲れを感じるのも、
無理してるサインを受け取るのも。
自分って呼んでるもの。
ですよね。
専門家に任せる前に、
ちょっと立ち止まって
その身体に興味を向けてみる。
それだけでも、
身体から少し静かさが伝わってきます。
施術でよく感じるのは、
身体は生活だけで固まるんじゃなくて、
「無意識の緊張」
「守ろうとする力み」
でも固まるということ。
がんばりすぎてるとき。
我慢してるとき。
気を張り続けてるとき。
首やお腹や骨盤に、
それが現れることもあります。
そんな時に大事なのは、
治してもらう、よりも
整えながら生きる意識。
完璧じゃなくていい。
ちゃんとできなくてもいい。
ただ、
その身体を
雑に扱わない。
それだけでそれだけで、身体は少し安心するんです。
「治してほしい人」から
「整えながら生きたい人」へ。
その変化は、
ゆっくりで大丈夫。
身体はちゃんと、それについてきます。
応援してます。
こんにちは。
お正月と言う特別な時期から、
日常へとリズムは整ってきましたでしょうか?
今日は細胞の中にいて、
エネルギーを作り出してくれている、
ミトコンドリアについてです。
最近になって、
「ミトコンドリアが大事」という話をよく耳にします。
確かに、
ミトコンドリアは、
エネルギーを生み出すとても重要な存在です。
疲れやすさや、
回復力の低下を語るときに、
避けて通れないテーマやと思います。
ただ、
少しだけ立ち止まって
見ておきたいことがあります。
身体を発電所と配線に例えてみます。
ミトコンドリアは
発電所の役割。
でも、
発電所がどれだけ元気でも、
配線が絡まっていたり
途中で漏電していたり
スイッチが入りっぱなしやったりすると、
電気は
うまく必要な場所まで届きません。
実際の身体でも同じことが起きています。
眠りが浅い
呼吸が詰まっている
常に緊張している
血糖の波が大きい
不安や焦りが抜けない
こういった
「配線側の乱れ」がある状態で、
ミトコンドリアを上げる・活性化する
という刺激だけを入れると、
エネルギーは増えても身体は楽にならず、
逆に、
ソワソワしたり
眠れなくなったり
落ち着かなくなることがあります。
これはサプリメントでも同じです。
COQ10
NMN
NAD+
これらは良い・悪いで分けるものではなく、
身体に入る「刺激」として捉えた方が
分かりやすいと思います。
刺激はその人の状態によって全く違う反応を起こします。
楽になる人
動きやすくなる人
呼吸が深くなる人
そういう方もいれば、
ソワソワする
目が冴えて眠れない
気持ちが落ち着かない
そうなる方もいます。
この違いは、
ミトコンドリアが良いか悪いかではありません。
多くの場合、
エネルギーが増えた分だけそれを制御する
神経・血糖・ホルモン・炎症の
バランスの弱さが表に出ているだけです。
発電量の問題ではなく、流し方の問題です。
身体は頑張らせるほど元気になるとは限りません。
むしろ、
静まる
緩む
抜ける。
そういう方向を求めていることも少なくありません。
整体でも
栄養でも
先ず大切なのは、
何かを足すことより邪魔を減らすこと。
流れが整えば、ミトコンドリアはこちらが意識しなくても自然に働き始めます。
ミトコンドリアは大切です。
でも主役ではありません。
主役は今この瞬間の身体の状態です。
本来ならば、
エネルギーは作り出すものというより、
整った状態から自然に湧き上がってくるもの。
そんなふうに捉えてみても
いいのかもしれません。^ ^
こんにちは!
今日のタイトルは、
若いうちから健康を意識したほうがいいの?
です。
これを正月明けの身体から考えてみてみましょう!^ ^
今日は1月3日です。
年末年始は、
食べすぎたり、飲みすぎたり、
知らん間に生活リズムが少し乱れた人も多いと思います。
まあでも、それでもいいんです。(^^)
お正月ですから。笑
ただ、ここでひとつだけ。
それは、
身体の感覚に目を向けてみてほしいんです。
例えば、
胃が重いとか、
体がだるいとか、
朝が起きにくいとか?
むくみやすくなってるとか。
これらは「失敗」ではなく、
実は、
身体がちゃんと反応しているサインです。
正直に言うと、
健康を意識するのは、
体を壊した時でも、
頑張る時でもなく、
こういう「ズレたあと」が
一番やりやすいはずです。
健康って、構造が
お金の投資と少し似ています。
一気に何かを変えなくても、
ほんの少し整えるだけで、
あとがかなり楽になります。
ただし、
身体の投資にはひとつ特徴があります。
それは、後戻りがしにくいということ。
若い頃は多少の無理がききます。
食べすぎても、
寝不足でも、
「まぁ大丈夫」と感じられるかもしれません。
でもそれは、
回復しているというより、
体力でカバーしているだけの場合が
ほとんどです。
体を壊してから始める健康対策は、
プラスを増やすというより、
マイナスを減らす作業になりがちです。
だからといって、
正月明けにストイックになる必要は
ありません。^ ^
いきなり食事を制限しなくていい。
無理に運動を始めなくていい。
「リセット」しようとしなくていい。
大事なのは、そう、
今の身体の状態をちゃんと感じてあげること。
「少し重たいな」
「ちょっと疲れてるな」
それに気づけるだけで、
身体は自然に元のリズムへ戻ろうとします。
でもどうせ健康を意識するなら、
「壊してから」ではなく、
「元気と不調の間」にいる今のうちに、、
が理想的かな。
年明けは、
何かを始めるより、
身体に耳を澄ませるのに
ちょうどいい時期ですね!
こんにちは。^ ^
植物の世界では紅葉が綺麗に現れてますね。
今日は、
外から変える呼吸と、
内側から整う呼吸のワークをお伝えします。
![]()
「なんだか怠い」?
「眠気がとれない」?
「休んだのにスッキリしない」?
そんな“疲労感”が抜けない日
って最近ありますか?
実はそれって、
身体と脳にズレがあるかもしれません。
そもそも疲労とは!?
筋肉や神経など、
身体そのものが消耗している状態の事ですね。

一方で疲労感とは、
脳が「なんか、もしかして、これって、もう限界かも」と感じて出す、
主観的なブレーキの信号です。
つまり、
身体はまだ動けるのに、
脳がストップをかけている。
これが、
「疲労感が抜けない」ってやつの正体です。
![]()
そんなとき役立つのが、
呼吸を使った方法です。
やり方は慣れれば簡単。
なるべく、
短く、
速く、
鼻で吸って、
口で吐く。
この呼吸を繰り返すだけ。
この呼吸では、
脳の中にある中脳水道周囲灰白質
という部分が刺激され、
全身を緊張させる交感神経が、
一時的にブースト活性化します。
運転中や、勉強中、なんだか
「だるい」
「眠い」ときに行うと、
数十秒でスイッチが入り、
頭がシャキッとする感覚があります。
いわゆる世間でいう、
エナジードリンクのような感じです。
ただし、
やりすぎると過換気になるので、
大体30秒から1分ほどで止めて、
自然な呼吸に戻すことが大切です。
この呼吸法は剛法といい、
軍隊や武術太極拳がする
「外から状態を変える」テクニックです。
一方で、
整体で扱う呼吸はもっと静かです。
それは、
今あるズレに気づくことで、
勝手に整う呼吸です。
深く吸おうともせず、
速く吐こうともせず。
ただ呼吸が自分の身体に戻ってくるのを感じる。
このとき、
交感と副交感のバランスが自然に整い、
身体も心も中心に戻ります。
これが柔法で、
内側から整う呼吸です。
![]()
外から変える呼吸は、
交感神経を一時的に上げるので、まさに
即効性があります。
内側から整う呼吸は、
即効性はありませんが、自律神経を中庸に戻し、
静けさを生み出します。
どちらが良い悪いではなく。
外側の呼吸は、
行動前や集中したいときに、
内側の呼吸は就寝前や施術中、
瞑想時に向いています。
剛柔はどちらも必要で、
どちらも生きるための呼吸です。
呼吸は、
外から入ってくる空気ではなく、
内側で戻ってくる流れを感じるものです。
すなわち呼吸を感じるとは、
「空気の動き」を追うことやなくて、
その内側の圧・流れ・生命のうねりを感じることなんです。
疲労感は、
まだ戻っていない呼吸のサインかもしれません。
まずは
動くための呼吸を。
そして、
戻るための呼吸を。
その両方を自由に行き来できるようになると、
身体はどんなときでも整う方向を思い出します。
こんにちは。
ついに調和編(後半)になります。
いずれブログでも、
カウンセリングやセミナーでしているような、
簡単なワークも書いてみたいと思ってます。
お楽しみに。
今日のタイトルは、
〜生命の調和〜
です。
本当の調和とは??
それは、
“自分と世界が響き合っている”
ことに気づく状態です。

それは、
人と合わせようとすることでも、
流れを読もうとすることでもありません。
ただ、この存在が、
すでに世界の一部として呼吸している状態。
その事実を思い出すだけで、
調和はもう始まっていたりします。
たとえば、、
海の波がひとつ動くとき、
他の波も連動して形を変えます。
でもどの波も
「合わせよう」とはしていません。
ひとつの海が、
無数の形となって動いているだけ。
この存在の身体も、感情も、思考も、
ただ世界の波の一部なんですよ。

“存在が整う”というのは、
“全体が整っていく”ことと同じです。
だから調和とは、
何かを目指してつくるものではなく、
すでに響き合っていることに気づくこと。
気づくことなんです。
そこに気づくと、
誰かの声も、
風の音も、
通り過ぎる出来事さえも、
一つの見方としては、
全部が同じリズムを奏でているように
感じられます。
![]()
そして、
そのリズムの中では、
善悪も成功も失敗も、
ただの“動き”に過ぎません。
この存在が見ていた対立は、
大きな生命のリズムの中で、
すーんと溶け、
ひとつの流れとして再び息づいていく。
調和とは、
世界とひとつの呼吸をしている状態。
それは“努力して作る”のではなく、
世界の呼吸を、
この存在の呼吸として感じている瞬間です。

静かに目を閉じ、
ただ呼吸の音を聴く。
その中に、もうすでに
すべての調和が息づいています。
以上、日常生活の間、調和編でした。^ ^
次回から、とりあえず最終のリズム編です。
こんにちは。
前回の「日常生活の間」では、
行動や心の中にある“間”を見てきました。
本来なら次は「スペース編」へ
進むところですが、
その前に、少しだけ寄り道を。
今回は、生命そのものの中に流れる“間”
細胞の間を覗いてみたいと思います。
2025年のノーベル生理学・医学賞は、
大阪大学の坂口志文教授による
「制御性T細胞(Treg)」の発見に
贈られました。
免疫が暴走して自分を攻撃してしまう、
その暴走を静める「ブレーキ細胞」が存在するという発見。
免疫は強ければいいわけでもなく、
弱ければいいわけでもない。
生命が本当に求めているのは、最適な反応。
つまり「状態そのものの調和」なのです。
坂口先生の研究が示したのは、
免疫にも“間”があるということ。
細胞の中にも、
流れを止めず、
暴れさせず、
ただ“ちょうどいい呼吸”を保つ仕組みが
あるんです。
これは、整体の世界でいう
「ゼロ圧」や「中庸」とまったく同じ原理です。
![]()
白血球が暴走するとき、
その背後では神経が緊張しすぎています。
皮膚神経が過敏になり、
脳が興奮し、
副腎がストレスホルモンを出しすぎる。
それはまるで、
“存在が自分自身を守ろうとして、
自分を攻撃している”状態。
この構図は、
身体でも心でも、
社会でも、同じように起きています。
整体で皮膚へ適度な刺激を与えると、
神経は、
“安心して反応する”
という感覚を思い出します。
すると、
脳と副腎のやりとりが静まり、
免疫は再び本来のリズムで動き始めます。
免疫が「戦う」から「調う」へと相を変える。
つまり、
皮膚と神経を通して、
細胞のブレーキが静かに再起動していく。
坂口先生が発見した制御性T細胞(Treg)は、
まるで細胞の奥に眠る、
“ゼロの意識”のようです。
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何もしないことで、
全体を整える存在。
それは沈黙の中で機能します。
整体もまた、
その“沈黙”に触れる行為だとしたら?
強く押すでも、操作するでもなく、
手と手のあいだに生まれる微細な“間”を通して、
神経と免疫が
ひとつの呼吸を取り戻していく。
だから、
免疫のバランスが整うとき、
それは単に炎症が消える
ということではなく、
存在そのものが、
“元の流れ”に戻るプロセスでもあります。
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ノーベル賞の発見は、
医学がようやく“間”の存在を細胞レベルで見つけた瞬間だったのかもしれません。
それを科学は「制御」と呼び、
整体は「共鳴」と呼ぶ。
どちらも同じ方向を指しています。
過剰を鎮め、
欠乏を満たし、
全体をひとつに戻す。
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“間”とは、
整うと整わないのあいだにある呼吸。
神経も免疫も、意識も、
その揺らぎの中で、
調おうとし続けている。
反応も、
努力も、
焦りもいらない。
ただ静けさの中で、
流れが思い出されていく。
治療とは、生命の調おうとする力に
同調する時間なんじゃないでしょうか?^ ^
こんばんは。
三部作で、
今日のお話しは駆け引き編ですね。
なんか好評だったので、
また三部作構成で、
次の日常生活の間編も書くかも知れません。
お楽しみに。
戦略と言えばカッコいいかもですが、
日常生活での駆け引きは、
人を相手にしているようでいて、
実は自分をすり減らす行為かも知れません。
「どう言えば得をするか」
「どう振る舞えば損をしないか」
こんな選択肢を
頭の中でシナリオを描き続けると、
心も体は、
常に緊張した状態になっています。
それは、短期的に利益を得ても?
その裏では呼吸が浅くなり、
肩や胸が固くなり、
夜眠っても何故か疲れが抜けないような
感覚を残します。
たとえば恋愛では、
本当は「会いたい」「好き」と
伝えたいのに、
「重いと思われるかな」と
計算して黙ってしまう。
仕事では「これを提案したい」と
思っても、
「上手くいかなかったらどうしよう」と
様子を伺ううちに、機会を逃してしまう。
家庭でも、
素直に「ありがとう」や「助けてほしい」
とキチンと言えば済むことを、
言えずに溜め込んで疲れてしまう。
駆け引きは一見すると
賢い立ち回りに見えますから。
けれどそれは、
生命のリズムで見れば、、
実は
流れをせき止めることなんです。
先を読もうとすればするほど、
今この瞬間の調和から外れていき、
本来の自分の声が聞こえなくなる。
そしてエネルギーの視点から見れば、
駆け引きは「信頼のスペース」を
潰す行為でもあります。
本来、人と人の間には
循環する場があって、
そこに安心や気づきが流れ込んできます。
ところが、
駆け引きが入るとその場は計算で満たされ、
エネルギーの通り道が塞がれてしまう。
結果として、
相手は「何か違う」と感じて距離をとり、
自分自身も「常に張りつめている」
緊張状態になるのです。
反対に、駆け引きを手放すとは、
「不安を計算で覆い隠さない」こと。
それは自分のリズムを取り戻し、
同時に人との間にスペースを
開くことでもあります。
不安も素直に差し出すことは、
損することではありません。
むしろ、そのスペースを通じて
調和が生まれ、結果的に
思わぬ学びや豊かさが循環してくるのです。
あなたは今、
どんな場面で駆け引きを
してしまっていますか?
もしその計算を一度手放したら?
人との関係や、
自分の体と心に、
どんな軽さが戻ってくるでしょうか。
幸せは「先回りの計算」によって
得られるものではなく、
「今ここで素直に差し出すこと」から
始まるのかもしれません。




























































