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こんにちは。
ついに調和編(後半)になります。
いずれブログでも、
カウンセリングやセミナーでしているような、
簡単なワークも書いてみたいと思ってます。
お楽しみに。
今日のタイトルは、
〜生命の調和〜
です。
本当の調和とは??
それは、
“自分と世界が響き合っている”
ことに気づく状態です。

それは、
人と合わせようとすることでも、
流れを読もうとすることでもありません。
ただ、この存在が、
すでに世界の一部として呼吸している状態。
その事実を思い出すだけで、
調和はもう始まっていたりします。
たとえば、、
海の波がひとつ動くとき、
他の波も連動して形を変えます。
でもどの波も
「合わせよう」とはしていません。
ひとつの海が、
無数の形となって動いているだけ。
この存在の身体も、感情も、思考も、
ただ世界の波の一部なんですよ。

“存在が整う”というのは、
“全体が整っていく”ことと同じです。
だから調和とは、
何かを目指してつくるものではなく、
すでに響き合っていることに気づくこと。
気づくことなんです。
そこに気づくと、
誰かの声も、
風の音も、
通り過ぎる出来事さえも、
一つの見方としては、
全部が同じリズムを奏でているように
感じられます。
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そして、
そのリズムの中では、
善悪も成功も失敗も、
ただの“動き”に過ぎません。
この存在が見ていた対立は、
大きな生命のリズムの中で、
すーんと溶け、
ひとつの流れとして再び息づいていく。
調和とは、
世界とひとつの呼吸をしている状態。
それは“努力して作る”のではなく、
世界の呼吸を、
この存在の呼吸として感じている瞬間です。

静かに目を閉じ、
ただ呼吸の音を聴く。
その中に、もうすでに
すべての調和が息づいています。
以上、日常生活の間、調和編でした。^ ^
次回から、とりあえず最終のリズム編です。
こんばんは。
三部作で、
今日のお話しは駆け引き編ですね。
なんか好評だったので、
また三部作構成で、
次の日常生活の間編も書くかも知れません。
お楽しみに。
戦略と言えばカッコいいかもですが、
日常生活での駆け引きは、
人を相手にしているようでいて、
実は自分をすり減らす行為かも知れません。
「どう言えば得をするか」
「どう振る舞えば損をしないか」
こんな選択肢を
頭の中でシナリオを描き続けると、
心も体は、
常に緊張した状態になっています。
それは、短期的に利益を得ても?
その裏では呼吸が浅くなり、
肩や胸が固くなり、
夜眠っても何故か疲れが抜けないような
感覚を残します。
たとえば恋愛では、
本当は「会いたい」「好き」と
伝えたいのに、
「重いと思われるかな」と
計算して黙ってしまう。
仕事では「これを提案したい」と
思っても、
「上手くいかなかったらどうしよう」と
様子を伺ううちに、機会を逃してしまう。
家庭でも、
素直に「ありがとう」や「助けてほしい」
とキチンと言えば済むことを、
言えずに溜め込んで疲れてしまう。
駆け引きは一見すると
賢い立ち回りに見えますから。
けれどそれは、
生命のリズムで見れば、、
実は
流れをせき止めることなんです。
先を読もうとすればするほど、
今この瞬間の調和から外れていき、
本来の自分の声が聞こえなくなる。
そしてエネルギーの視点から見れば、
駆け引きは「信頼のスペース」を
潰す行為でもあります。
本来、人と人の間には
循環する場があって、
そこに安心や気づきが流れ込んできます。
ところが、
駆け引きが入るとその場は計算で満たされ、
エネルギーの通り道が塞がれてしまう。
結果として、
相手は「何か違う」と感じて距離をとり、
自分自身も「常に張りつめている」
緊張状態になるのです。
反対に、駆け引きを手放すとは、
「不安を計算で覆い隠さない」こと。
それは自分のリズムを取り戻し、
同時に人との間にスペースを
開くことでもあります。
不安も素直に差し出すことは、
損することではありません。
むしろ、そのスペースを通じて
調和が生まれ、結果的に
思わぬ学びや豊かさが循環してくるのです。
あなたは今、
どんな場面で駆け引きを
してしまっていますか?
もしその計算を一度手放したら?
人との関係や、
自分の体と心に、
どんな軽さが戻ってくるでしょうか。
幸せは「先回りの計算」によって
得られるものではなく、
「今ここで素直に差し出すこと」から
始まるのかもしれません。
こんにちは。
夏の暑さに蝉が鳴り始めましたね。^ ^
今日はご相談の内容をブログにしますね。

よく親子関係について、
ご相談をいただくことがあります。
多いのは、
「子どもにどう関わっていいかわからない」
「何を言っても聞かないことが多くて、疲れてしまう」
など、
身体の不調とあわせて、
心のしんどさまでもが、
かぶさってくる事も少なくありません。
このような場合、
整体という関わりの中で何ができるのか?
今日はたくさんある物の見方の中から、
厭わないという視点から、
一つの見方をご紹介したいと思います。
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家族というのは、
もっとも近く、もっとも自我まみれで、
もっとも感情の揺れが出やすい場です。
だからこそ、
こんな思いも強くなり易いです。
それは、家族だからこそ、
嘘をつかれたくない、
分かってほしい、
傷つけられたくない、
感謝されたい、
助けてほしい、
そんな思いが自然に湧いてきやすいです。
でもその分だけ、
そんな「期待」どおりに『ならない』と言う、
現実に出会いやすくもあります。
そんな際には、
一つの問いを置いてみます。
この状態を、
この子の姿を、
この自分の気持ちを、
厭わないとはどういうことだろう?

例えば、
あなたは、
こっちの大変さを全然理解してくれない!
なんでそんな言い方するの!
そんな思いが湧いたときに
わかってもらいたいを傍に置き、
『わかってもらえないことを厭わない。』
みたいな。
そんな選択はどうでしょうか?^^
わかってもいたい。
理解するべきなど。
その物の見方に力を込めるのをやめた瞬間、
理解されないことに、
振り回されない自分が立ち上がるんですね。
すると不思議と?
求めていた優しさや、
共感が、想像とは違うかたちで、
訪れることもあります。

感情が出てしまったとき、
こんなことでイライラする私はダメ!
親なのにどうしてこんなに反応してしまうんだろう!
と、自分を責めてしまうこともあります。
でもそこに、
『イラッとすることもあるよね^ ^
それでも自分を厭わない!』
というスペースをつくると、
感情そのものが穏やかになっていきます。
不思議ですね。
自分の反応を受け入れることは、
自分を深く知ることにもつながります。
それが
家族の言動に振り回されない、
静かなありようを育ててくれます。
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また、
もう何度言っても変わらない!
どうしてもっと良くなろうとしないの?!
と、感じる相手がいるときには、
このままでもいい、
変わらなくても私は自由でいる。
変わらないことすら愛の一部かもしれない。
そんなふうに
『相手の不完全さを厭わない。』
という視点を持ってみると、
変えようとする圧が抜けて、
かえって関係が変化していくこともあります。
厭わないというのは
無関心になることではないんです。
またすべてを許すことでも無いです。
ただ、
今ここにあるこの現実を、
否定せずに見るという姿勢みたいな。
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その上で
距離を取る、
言葉にする、
境界線を引く、
それらの行動は
いわゆるスペースからの選択として機能していきます。
最後に。
家族は
自我を熟成させる発酵の場かも知れません。
発酵とは、腐敗と紙一重ですよね。
でも、
厭わない温度と湿度で関わると、
ちゃんと旨味に変わります。
家庭という場で、
厭わない自分として在るだけで、
空気が変わり、
時間が経つごとに思いもしない
豊かさが育っていくのかもしれませんよ。
そして
家族という関係の中で
生まれる日々の小さな緊張や反応は、
肩や首から、
腰やお腹といった
身体の内側にも静かに影響を与えています。

厭わないという意識は、
身体にも伝わり
ふっと力が抜けたり、
呼吸が深まったりすることがあります。
整体という場でも、
そのゆるむ瞬間を
一緒に味わっていけたらと思います。
今日も、ご自身の感覚をそっと感じてあげる時間になりますように。( ^ω^ )




























































