Blog記事一覧 > ストレス | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院の記事一覧
こんにちは。
今日は、
準備された状態でのみ、扉は開く。
について。
ソツタクドウキ。
漢字では、
「啐啄同機」という言葉があります。
啐啄同時とも言われます。
本来は禅の言葉で、
卵の中の雛が内側から殻をつつくことを「啐」、
親鳥が外側から殻をつつくことを「啄」といいます。
内側から、
「もう出たい」
という合図がある。
それに合わせて、外側から親鳥が助ける。
この内と外のタイミングがぴったり合った時、
雛は無事に殻を破って生まれてくる。
これが、啐啄同機です。
この言葉は、
整体にも、カウンセリングにも、
武術にも、人生にも、
とても大事なことを教えてくれている
ように思えます。

人は、外からどれだけ良いことを言われても、
まだその準備ができていない時は、
なかなか受け取れません。
正しいことを言われても、
ありがたいアドバイスをもらっても、
有名な先生に教わっても、
タイミングが合っていなければ、
それはただの「圧」になることがあります。
逆に、本人の中で何かが熟している時は、
たった一言で変わることがあります。
たった一回の施術で、
たった一本のブログで、
たった一つの出来事で、
人生の見え方が変わることもあります。
でもそれは、
その一言が魔法だったというより、
その人の中で、
すでに準備が進んでいたのだと思います。
扉は、いつでも開くわけではありません。
準備された状態でのみ、扉は開く。
だから、無理に変えようとすることは、
時にその人を傷つけることがあります。
まだ内側から音がしていない卵を、
外から割ってしまえば、
それは誕生ではなく、破壊になります。
子育てもそうかもしれません。
親としては、
早く気づいてほしい。
早く成長してほしい。
早くちゃんとしてほしい。
そう思うことがあります。
でも、子どもの中に
まだ「啐」が起きていない時、
外からいくら「啄」をしても、
ただうるさい音にしかならないことがあります。
夫婦関係も似ています。
相手に変わってほしい。
わかってほしい。
気づいてほしい。
そう思うほど、
こちらの言葉は強くなり、
正しさの形をした圧になっていくことがあります。
でも、相手には相手の間があります。
もちろん、
何でも待てばいいという話ではありません。
危険なこと、
身体を壊すこと、
人を傷つけること、
生活が崩れていくことに対しては、
ちゃんと線を引く必要があります。
ただ、
「今この人の中で何が育っているのか」
「今は開く時なのか、それとも温める時なのか」
そこを見る目は、とても大切ですね
整体の現場でも、
身体は急に変わることがあって、
ずっと痛かったところが、
ふっとゆるむ。
動かなかったところが、
急に動き出す。
呼吸が深くなる。
顔つきが変わる。
でも、それもこちらが無理やり
変えたというより、
身体の中で準備ができていたところに、
少しだけきっかけが入ったのだと思います。
本当の手助けとは、
相手をこちらの理想の形に変えることではなく、
その人の中にあるスペースを聴くことなんじゃないかなと。
早すぎず、遅すぎず。
押しすぎず、放置しすぎず。
言いすぎず、黙りすぎず。
その間合いに、
本当の導きがあるように思います。
内側からの小さな音を聴く。
外側からの一打ちを焦らない。
扉は、力でこじ開けるものではない。
今日も、誰かを変えようとする前に、
その人の中で何が育っているのかを、
少しだけ聴いてみたいし、
そして自分自身にも、
同じように問いかけてみたいですね。^ ^
今は、殻を破る時なのか。
それとも、もう少し温める時なのか。
焦らなくていい。
でも、眠り続けなくてもいい。
内側から音がした時、
扉はちゃんと開いていくかも知れません。
こんにちは。^ ^
今日は、
ショート動画のあとなぜ現実が重くなるのか?
スマホに麻痺された意識を、
身体に戻すためには?
について書いていきます。
先ずは質問。
あなたは一日、どれくらいスマホを触っていますか?
スマホのスクリーンタイムを見てみると、
思っていたよりも長く使っていて、
少し驚くことがあるかも知れません。
1時間。
2時間。
3時間。
気づけば、5時間、6時間。
人によっては、
一日のうち7時間、8時間、9時間近く、
画面に意識を向けていることもあるかもしれません。
もちろん、スマホを使うこと自体が
悪いわけではありません。
仕事の連絡。
家族とのやり取り。
調べもの。
買い物。
動画。
SNS。
今の生活の中で、
スマホはとても便利な道具です。
ただ、健康づくりの目安としては、
余暇のスクリーン時間を長くしすぎないことが大切だとされています。
大人の場合でも、
余暇のスクリーン時間は一日最低3時間以内を目安にする考え方がありますし、
子どもや若い世代では、一日2時間以内がひとつの目安とされています。
これは、
「それを超えたらすぐに身体に害が出る」
という意味ではありません。
けれど、毎日のように長時間スマホを見続けていると、
髪、歯、首肩、腰、
目、睡眠、集中力、気分。
そういったところに、
少しずつ影響が出てくることがあります。
気づけば、スマホを見ている。
少しだけ見るつもりが、
気づけば30分。
気づけば1時間。
気づけば、今日という日が、
画面の中で細かく切り刻まれている。
Instagram、ショート動画、
ニュース、LINE、通知。
どれも一つひとつは悪くありません。
便利ですし、楽しいですし、
人とのつながりを感じられることもあります。
けれど、身体の側から見ると、
長時間のスマホは、なかなか静かな負担になります。
首は下を向き、
背中は丸まり、
呼吸は浅くなり、
目は近くの光を追い続けます。
スマホを見ている間、身体は止まっているようで、
実はずっと小さな緊張を続けています。
スマホの使いすぎが身体への痛みのリスクと
関連することはもちろんですが、
でも、本当に怖いのは、
首や腰だけではないのかもしれません。
スマホは、身体の姿勢だけでなく、
意識の姿勢も少しずつ変えていきます。
ショート動画は、数秒ごとに刺激をくれます。
面白い。
かわいい。
驚く。
腹が立つ。
羨ましい。
もっと見たい。
脳にとっては、
小さな花火が連続で上がっているようなものかもしれません。
けれど、現実の暮らしは、
そんなふうには進みません。
洗濯物は、数秒で感動させてくれません。
食器洗いは、派手な効果音を鳴らしてくれません。
子どもとの会話も、
毎回ドラマのように盛り上がるわけではありません。
家族との日常は、バズりません。
現実は、もっと地味です。
もっと遅いです。
もっと手触りがあります。
だからこそ、スマホの刺激に慣れすぎると、
現実の静けさが「退屈」に感じられることがあります。
本当は、退屈なのではなく、
刺激が強すぎる世界に、
神経が慣れてしまっているのかもしれません。
ショート動画の使用量が多い人ほど、
不注意傾向と関連するという研究や、
短い動画への依存傾向が、
睡眠や注意、判断に影響することを示す
研究も出てきています。
まだまだ将来たくさん出てくるでしょう。
さらに、SNSには「比較」があります。
誰かの楽しそうな生活。
誰かの成功。
誰かの美容。
誰かの家族。
誰かの仕事。
誰かのキラキラした一場面。
でも、それは人生の全部ではありません。
切り取られた一瞬です。
それを毎日見続けると、
自分の生活だけが、くすんで見えることがあります。
本当は、目の前にある暮らしにも、
小さな光はあるはずなのに。
スマホを長く使うことが、必ず悪いとは思いません。
ただ、
見終わったあとに元気が減っている。
首肩や腰が重い。
眠りが浅い。
家のことをする気力が出ない。
現実に戻るのが面倒になる。
人と比べて気分が沈む。
そういう感覚があるなら、
それは身体からの小さなサインかもしれません。
「スマホをやめなさい」ではなく、
まずは、スマホから少しだけ身体を取り戻してみる。
食事中はスマホを置く。
寝る前30分だけ見ない。
朝起きてすぐには開かない。
トイレや布団にスマホを持ち込まない。
10分見たら、一度立って呼吸する。
それだけでも、身体は少し現実に戻ってきます。
スマホを見ているとき、私たちの意識は、
小さな画面の中にきゅっと集まりやすくなります。
目の前の四角い世界に集中するほど、
自分の周りにある空間や、身体の広がりを忘れてしまうことがあります。
だからこそ、スマホを置いたときは、
ただ遠くを見るだけでもいいのですが、
もう少しだけ、
自分の周りの空間を思い出してみてください。
自分の前。
後ろ。
右。
左。
そして、頭の上。
存在を取り囲んでいる空間に、
意識をそっと開いていく。
それだけでも、呼吸が少し深くなったり、
首や肩の力が抜けたり、
現実に戻ってくる感覚が出てくることがあります。
スマホの中に、世界はあります。
でも、生命が回復する場所は、
画面の中だけではありません。
呼吸。
足裏。
台所の音。
子どもの声。
洗濯物の重さ。
部屋の空気。
自分の身体の奥にある、静かな疲れ。
そういうものに気づいたとき、
人は少しずつ、自分の場所に戻ってきます。
スマホを敵にしなくてもいい。
ただ、スマホに自分の一日を明け渡しすぎていないか。
そこを、たまに身体に聞いてみてもいいのかもしれません。
画面を見る時間を少し減らすことは、
情報を減らすことではありません。
自分の生命に戻る余白を増やすこと。
身体の奥にある静かな感覚を、
もう一度思い出すこと。
現実は、スマホの画面ほど刺激的ではないかもしれません。
けれど、そこには、
呼吸があり、
重さがあり、
ぬくもりがあり、
自分の身体があります。
その何気ない現実に戻ってこられること。
それが、今の時代には、
とても大切な回復なのかもしれません。
こんにちは!
今日の気づきの視点は、
自律神経は、本当に乱れているのか?
について。
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先日ですが。
「自律神経を整える」というタイトル言葉を、
雑誌で見かけました。
そこには、
自律神経がいかに乱れる時代に生きているのか?
という症例がたくさん載っていて、
自律神経って、めっちゃっ大事な機能やから、
大急ぎで整えないと!
というところで、
なんやかかんやと、
整えるためのやり方が書いてあったりの
わけですが。
![]()
読みながら、
少しだけ立ち止まって考えてみたのです。
もしかすると、
もしかしてだけど、
自律神経は乱れているのではなく、
無理の重なった
その暮らしや、
緊張が続いた環境に対して、
一生懸命に対応してくれている、
だ、け、かもしれません。

良く聞く症状の、
眠れない。
胃腸が重い。
冷える。
のぼせる。
汗が出る。
不安になる。
イライラする。
急にやる気がなくなる。
頭が真っ白になる。
そんなこれらすべて、
「自律神経が乱れているから」
「正常に動いていないから」
と見てしまうと、
頭はつい、
自律神経そのものをコントロールし、
正そうとしてしまいます。
けれど、
自律神経って、敵ではありませんよね。
むしろ、
身体の奥でずっと働き続けてくれている
味方です。
無理をしていないかい?
我慢しすぎていないかい?
自分を安売りしていないかい?
寒いのに耐えていないかい?
眠いのにカフェインで押し切っていないかい?
本当は嫌なのに、平気なふりをしていないかい?
人間関係の中で、
大切の感覚を置き去りにしていないかい?
そうした日々の無理を、
身体は静かに淡々と感知しています。
![]()
そして、
その中でなんとか倒れないように
適応しようとした結果が、
世間が、
「不調」と
呼んでいるものの1つだったりします。
そうか、
この身体は文句も言わずに生きるために、
頑張ってくれているんだなぁ。。。
もしもそう気づけたなら、
この瞬間に必要なのは、、、
「よし、今日から暮らしを正しく整えよう」
と、
新たなプレッシャーを身体にかけることでは
ないんです。
「正しい生活」という枠に、
理想を押し込もうとすることは、
また身体との新たな戦いを生んでしまいますから。
![]()
何かを変えようと焦る前に、
ちょっとまずは立ち止まって、
身体の言い分を聴いてみるんです。
今の状態を、
痛いや辛いやしんどいやらと、
すぐに否定しない。
身体と戦うのを、
少しやめてみる。。。
するとその瞬間、
心身の奥で張り詰めていた力みがふっと抜け
存在の中に、
小さなスペースが生まれます。
何かを足そうとする前に、
まずは肩の力を抜いて、
呼吸をひとつ戻してみるんです。
まぁ、毎度伝えてますが。
騙されたと思って一度、
存在を空っぽにするような時間を
持ってみて下さい。

身体の調和していく力は、間と共に働くから。
そのスペースができたときに初めて、
この存在たちは自然と無理のない、
存在にとって心地よい暮らしへと
移っていくことができます。
自律神経は、壊れた装置ではありません。
身体が今の生き方に対して
出してくれている、とても繊細なメッセージです。
だから、
一人で無理に「正しく整えよう」と、
自我と戦う必要はありません。
本当の調和は、
心身の力みが抜け、
そこに静かなスペースが生まれたときに始まります。
![]()
自律神経を、
力技で治そうとする必要もありません。
大切なのは、
自律神経が安心して働ける土壌を取り戻していくこと。
無理に整えようとしなくても、
身体の力みがほどけると、
人は少しずつ、
本来の調和を思い出していきます。
当院では、そのための静かな余白を、
身体を通して大切にしています。^ ^
こんにちは。
今回は「リトリート」というテーマです。
ただ、なんか難しくなっちゃったかもで。
すみません。
とりあえず、
身体と自律神経、
そして今の季節の視点から
紐解いてみたいと思います。
リトリートと聞くと、
どこか遠くへ行き、
非日常の中で休息をとるイメージが
あるかもしれません。
ですが、
その本質は
「どこかへ行くこと」ではなく、
元の状態に戻っていくことにあります。
春になると
春眠暁を覚えず。
と言われるように、
強い眠気やだるさを感じる方が
多くなります。
たとえば、
生まれたばかりの赤ちゃんは
1日に17時間も眠ると言われていますが、
起きている間に受ける視覚や
聴覚の膨大な情報を処理するために、
頻繁に意識をシャットダウンして、
脳内で整理整頓を行っている時間なんですね。
実は、今の私たちの身体にも、
これと全く同じことが起きています。
春は、
景色に色が増え、
新しい匂いや音が生まれ、
社会的にも人間関係も交差する季節。
空気も濃密になり、
脳に入ってくる「情報量」が
爆発的に増えます。
脳はその情報を処理するために、
強制的なシャットダウン、
つまり眠気を要求しているのです。
同時に、
冬のあいだ寒さから身を守るために
固めていた皮膚の境界線が、
少しずつほどけていく移行期でもあります。
だから、
春の眠気やだるさは
不調ではなく、
身体が自らスペースを作ろうとしている
正常なサインなのです。
春の風物詩である「お花見」も、
実は日本人が古来から無意識に行ってきた
リトリートの一つかもしれません。
日常の建物や街のノイズという「圧」を、
圧倒的な桜の淡い色が覆い尽くす。
あの色の空間に包まれることで、
自分と外の世界との境界線が曖昧になり、
強制的に「個」から
「空間の一部」へと意識が移っていきます。
桜の下でふっと身体が緩むのは、
強烈なスペースの確保が行われているからです。
スペース、余白、間、
これらは、勝手に自律神経を調律する働きがあります。
お花見で余白をつくる。
素晴らしい文化ですね。
話は変わり、
よく山が良いか、海が良いか?
みたいな質問をされることがありますが、
答えは、
どちらも良いです。^ ^
どちらも
自然自体に自律神経は調律する働きがありますから。
ただ、自律神経を調律する時、
特徴としては、
大きく二つの働きがあります。
例えるならば。
山は「充電」。
重力に対してまっすぐに立ち、大地に根を張り、内にエネルギーを集める垂直のエネルギー。
そして、
海は「解放」。
境界をほどき、外との区別をゆるめていく水平のエネルギー。
特に海のような水平線は、
脳の認識の枠を外し、
身体の中に広大なスペースを生み出します。
と、するなば、
情報と外圧でキャパシティが
いっぱいになっている現代の人達が、
無意識に強く求めているのは、
何かを足すことではなく、
海のような力がもたらす圧倒的な「解放」かも
知れませんね。
ただ、
わざわざ遠くの海へ行かなくても、
日常の中でこの「海の解放」を
起こすことができます。
![]()
それが「ゼロ圧」の感覚です。
私たちはストレスや外圧にさらされると、
無意識に自分を守ろうとして、
皮膚という境界線をバリアのように固く張ってしまいます。
壁があるからこそ、
外からの情報がぶつかり、
重さや摩擦と私が生まれるのです。
そんな私という
限られた器の中で情報を処理しようと
頑張るのではなく、
むしろ
その境界線を溶かしてしまうこと。
自分が何かを受け止める
個別の存在ではなく、
意識を水平線のように広げ、
空間そのものになる。

自らが透明な空間に溶け込んでしまえば、
春の膨大な情報も、
日常の重圧も、
引っかかる場所がなくなり
スッと透過していきます。
摩擦も、
重力さえもです。
春の眠気も、
動けない時間も、
無理にコントロールして
整えようとする必要はありません。
「今はまだ不完全だ」
という前提を手放し、
起きている反応をそのまま置いておく。
日常生活の中ふと立ち止まり、
何となく息を吐ききって、
内側に広がる静かな水平線を感じてみる。
あなたが勝手に空間になっている際に、
身体は自然と、
最も心地よいゼロの状態へと
調律されていくはずです。
こんにちは。
今日は雨ですね。^ ^
低気圧でなんとなく身体が重いと感じている方も多いのではないでしょうか。
頭が痛い。
首や肩がこる。
めまいがする。
やる気が出ない。
気分まで沈みがちになる。
それは気のせいではなくて、
この時期は気温だけでなく、
気圧が大きく上下します。
気圧が下がると、
内耳がその変化を感知し、
脳幹を通して自律神経に影響が及びます。
その結果、
先ず交感神経がやや優位になり、
血管や筋肉が緊張しやすくなります。
ここまでは、
よく知られている話かもしれませんね。
ですが、
本当に注意したいのはその先です。
気圧によって揺れている神経に、
血糖の乱高下が重なるとどうなるでしょうか?
血糖が急に上がると、膵臓から
インスリンが分泌されます。
その後、血糖が
急に下がると、
身体は低血糖を防ぐために
アドレナリンやコルチゾールを分泌します。
これは、
身体にとって軽いストレス反応です。
つまり、
気圧によるストレスの他に、
血糖によるストレスが重なり、
副腎は二重に働くことになります。
その状態が続くと?
頭痛が起こりやすくなり、
関節が痛みやすくなり、
気分も不安定になりやすくなります。
イライラや不安感も、
意志の弱さではなく、
生理学的な反応であることが
少なくありません。
季節の変わり目にしんどくなる方は、
代謝の土台が少し揺れている可能性があります。
血糖を安定させるためには、
朝にたんぱく質をしっかり摂ること。
炭水化物だけの食事を避けること。
甘いものは単独で食べないこと。
空腹時間を長くしすぎないこと。
そして、
野菜から食べることも、
血糖を安定させる一つの方法です。
ですが、
順番だけにこだわるよりも、
たんぱく質と脂質をしっかり含めた、
食事全体の設計が大切です。
特別なことではありません。
ただ、安定させる。
それだけです。
気圧は変えられません。
ですが、血糖の安定は
整えることができます。
季節の変わり目は、
頑張る時期ではありません。
攻める時期でもありません。
土壌を整える時期です。
血糖が安定すると、
神経が落ち着き、
炎症がやわらぎ、
回復力が戻ります。
命綱は、外ではなく、
身体の内側にあります。
今日のような雨の日こそ静かに整えていきましょう。^ ^
こんにちは。
今日はすり減らない身体について。
頑張れば進めれる!
気合いを入れれば、成果も出せる!
評価もついてくる!
でも?
どこかで乾いてくることはありませんか?
達成しているのに、
満たされない。。。?
それは性格の問題でも、努力不足でもありません。
もしかすると、いつもお話している
神経の順番が、少し入れ替わっているだけかもしれません。
身体は脳の認識よりも、
いつも先に知っています。
呼吸が浅い。
眠りが浅い。
お腹が固い。
甘いものがやめられない。
しかも、
イライラが増えてて、
焦りが強くなっていて、
新しい刺激を求めてしまう。。。
身体は、静かにサインを出しています。
それでも多くの場合は、さらにアクセルを踏んでしまう。
学校教育で、
真面目な人ほど、そうなりやすい。
刺激は悪くない。
挑戦も成功も、
悪いものではありません。
ドーパミンはエンジン。
進むための大切な力なんです。
でも、エンジンだけでは長く走れません。
土台が必要です。
土台とは何でしょうか?
具体的には、
血糖が安定していること。
腸が静かであること。
副腎が落ち着いていること。
皮膚が安心していること。
などです。
どれも派手ではありません。
SNSにも映りません。
でも、
ここが整っていると心も揺れにくくなります。
ここが崩れると、
どんな成功もどこかで苦しくなります。
腸は境界。
腸は、外と内のあいだです。
ここが疲れていると、
間が埋まって、
世界に対しても少し警戒が増えます。
呼吸が浅くなり、
知らないうちに力が入ってしまってる。
そして安心が減ると、何かの動画や、
何かのイベント、
とりあえず手っ取り早い刺激で埋めたくなる。
でも本当に必要なのは、安心、
そのものかもしれません。
血糖は感情の地盤です。血糖が落ちると、
交感神経が立ち上がります。
焦る。
怒る。
不安になる。
それは弱さというよりも、
エネルギー不足ってこと。
土台が揺れているだけです。
整えば、
気持ちも自然に落ち着いてきます。
触れるという回復、
強い刺激ではなく侵入しない触れ方。
ゆっくり、ふわっと、あたたかく。
皮膚が安心すると、
脳の感情を司る扁桃体が静まり、
内臓へ巡る迷走神経が戻ります。
身体は思い出します。
守らなくても大丈夫なんだと。
そこから回復は始まります。
副腎が疲れていませんか?
成功欲求の奥にあるのは、安心したい気持ちでは無いですか?
慢性的なストレスは、副腎を静かに消耗させます。
疲れているときほど、
成果を求めてしまうんです。
それも理由は簡単で、
認められれば安全だと、アタマが思い込んでいるから。
でも本当に必要なのは、
楽しいとか、役に立つとか、自信がどうとかではなくて。
休める神経です。
守られながらやってくる順番は、
先ず整う。
いわゆるセロトニン的な「安定」
朝日浴、リズム運動、深い呼吸、
腸内環境への食事。
↓
そしてつながり。
オキシトシン的な「つながり」
信頼、安心できる関係で触れられること。
↓
そして淡々と動くです。
仕事、勉強、遊び、エンジョイ。
ドーパミン的な活動です。
この順番を守るだけで、挑戦は続きます。
順番が逆になると、
どこかで燃え尽きます。
ですので荻野接骨院は、
治す場所というより、取り戻す場所です。
呼吸を。
体温を。
安心を。
何かを足す前に、
何かを証明する前に、
身体がそっと静かであること。
その上に、
仕事も、夢も、成功も、自然に乗っていきます。
最後に、
もし少しすり減っているなら、
刺激を増やさなくて大丈夫です。
まずは、
血糖を整え、
腸を休め、
副腎をいたわり、
触れられてゆるむ。
すると不思議と追わなくても進んでいます。
満たされている身体は、
強いんです。
焦らないんです。
そして、壊れにくいんです。^ ^
こんにちは。
立春も訪れて、
新しい春がやってきましたね。
今回の内容は、
「治してほしい」から「整えながら生きる」へです。
身体が痛くなったら治す。
とか、
悪くなったら治療する。
とか。
これらは当たり前のようで、
実はとても現代的な考え方かもしれません。
健診で異常がない。
病名がついていない。
だから健康。
でも、実際の現場ではよくあります。
検査は正常。
けど、しんどい。
数値は問題なし。
けど、身体が重たい。
「病気じゃない=元気」
とは限らないんですよね。
臨床で、
よく聞かれる質問があります。
「何が原因ですか?」
「何をしたら治りますか?」
その気持ちは自然やと思います。
でも正直に言うと、
身体の不調はほとんどの場合、
ひとつの原因だけでは起きません。
神経。
血流。
内臓。
呼吸。
栄養。
睡眠。
感情。
我慢や思考のクセ。
気温や見えない電磁波など。
いろんなものが重なり合って、
今の状態ができています。
だから
「これが原因です」
「これだけやれば治ります」
という答えの方が、
実は不自然なんです。
病気の域に入ったときは、
医療による治療が必要です。
これは大切なライン。
ただ、それよりもっと手前の世界があります。
それが
日々の暮らし。
毎日の姿勢。
呼吸の浅さ。
スマホを見る角度。
寝る時間。
食べ方。
人に気を遣いすぎる癖。
そういう積み重ねが、
静かに身体をつくっています。
そう、これは「治療」ではなく
「養生」と呼べる領域。
整体も本来は、
治す場所というより
整えて、
気づく場所やと思っています。
でも、
「私は身体の専門家じゃないから」
そう言って、その身体を
全部誰かに預けてしまう人も多いです。
でも本当は、
その身体に一番長く向き合っているのは誰なんですかね?
違和感に気づくのも、
疲れを感じるのも、
無理してるサインを受け取るのも。
自分って呼んでるもの。
ですよね。
専門家に任せる前に、
ちょっと立ち止まって
その身体に興味を向けてみる。
それだけでも、
身体から少し静かさが伝わってきます。
施術でよく感じるのは、
身体は生活だけで固まるんじゃなくて、
「無意識の緊張」
「守ろうとする力み」
でも固まるということ。
がんばりすぎてるとき。
我慢してるとき。
気を張り続けてるとき。
首やお腹や骨盤に、
それが現れることもあります。
そんな時に大事なのは、
治してもらう、よりも
整えながら生きる意識。
完璧じゃなくていい。
ちゃんとできなくてもいい。
ただ、
その身体を
雑に扱わない。
それだけでそれだけで、身体は少し安心するんです。
「治してほしい人」から
「整えながら生きたい人」へ。
その変化は、
ゆっくりで大丈夫。
身体はちゃんと、それについてきます。
応援してます。
こんにちは!
今日は興味深い、
江戸時代の武士の在り方からみた、
お話をギフトさせて頂きます。
江戸時代、
侍達は刀を腰に差して生きていました。
だけど、実は刀って、
「抜くため」だけにあるものでは
なかったらしいんですよね。
実際使うのは、
親や師匠の敵討のみ認めるみたいな、
法律があったみたいで。
当たり前なんですが、
町人とぶつかったりしたからと
本当に抜いてたら、
相手が傷つきますし、
場合によっては、命が終わる。
そして罪として牢屋行き。
だからこそ、
侍の世界には「抜かずに済ませる」
ための文化があったんだそうです。
使わずに、
武士の在り方を現す
といった立ち位置。
だから、
争う前に勝負をつける。
戦う前に場を収める。
言い換えるなら、
強さとは「勝つこと」よりも、
争いを起こさない“構え”にあった
とも言える話なんです。
最近、とある対談の中で
武士達が、右側を歩くのは、
『私は抜きません』という所作を表していた
みたいな話が出ていました。
これが事実かどうかは置いといて。
この話、
ものすごく象徴的で面白くないですか?
実は現代でも、
みんな刀を差して生きている。
ただ、形が違う。
現代の刀は、鉄ではないです。
なんだと思いますか?
それは、
現代の刀は、
「正しさ」でしょうか。
正しさは、めちゃくちゃ切れます。
しかもすぐ抜ける。
居合術者もびっくりするくらい。
むしろ、抜く方が簡単。
場面としては、
夫婦の会話で。
親子の会話で。
職場の空気で。
SNSのコメント欄で。
相手の言葉に引っかかった瞬間、
こっちは一瞬で刀を抜ける。
「それは違うやろ」
「普通こうやろ」
「常識的に考えて」
「なんで分からへんの?」
「私の方が正しい」
「あなたが間違ってる」
「謝るべき」
「改めるべき」
これらは全部、
正しさの刀に見えませんか?
切れ味抜群!!
その場では勝った気になる。
でもそのあとに残るのは、
相手の傷だったり、
場の凍りつきだったり、
関係の距離だったりする。
正しさを抜くと相手は切れる。
それだけやなくて、自分も切れる。
自分が作り出した「正義」に
自分が縛られて、
戻ってこれなくなる。
おもしろいのは、
正しさって「自信」から抜くんじゃない事がわかってて、
むしろ「不安」から抜くことが多いみたいで。
分かってほしい。
否定されたくない。
大事にされたい。
安心したい。
認められたい。
守りたい。
その感情の奥にある不安が、
正しさの刀を抜かせる。
正しさって、
相手を斬るためにあるんじゃなく、
自分の不安を守るために抜きたくなるもの。
だからこそ、
「右側を歩く」って比喩所作が、
今の時代に効いてくる。
右側を歩く。
それは、
正しさを抜かない所作。
抜けるのに抜かない。
言い返せるのに言い返さない。
論破できるのに論破しない。
黙って突き放せるのに、突き放さない。
勝てるのに勝ちを作らない。
これは弱さじゃなくて、
むしろ、強さに見えませんか?
正しさを抜かないというのは、
相手に負けることではないんですね。
「勝ち負け」の土俵に乗らないということ。
争いの世界線に入らないということ。
よくあるのが、正しさを抜かへんと、
「自分が負けた気がする」
って感じるパターン。
でも実際は違います。
正しさを抜くと、勝てるかもしれません。
けど、関係は負けます。
空気は負けます。
未来は負けます。
そして最後、自分の心が負けています。
抜けるけど抜かない。
この間、余白があるだけで、
余計な摩擦や、大切にしていた関係が
終わらなくて済むかも知れません。
これは整体の施術にも似ています。
身体を変えるために、
圧という刀は、簡単に抜ける。
効かせることもできる。
その場で変化を出すこともできる。
それらも時に必要な場面もあります。
でも、
抜かない方が深く整う時があるんです。
圧で変えるんじゃなくて、
安心の場を作って、
身体が勝手に戻るのを待つ。
「技で勝つ」ではなく、
「整いが起きる世界線を選ぶ」。
それはある意味、
現代の“無刀取り”みたいなものかもと思ったりしてます。
正しさってのは、手放すのは難しい。
なぜなら、
正しさは気持ちいいから。
自分が正しいと思えた瞬間、
一瞬だけ不安が消える。
でも、その気持ちよさには代償があるのでした。
相手との距離。
場の緊張。
心の硬さ。
だから今日、
ひとつだけ提案してみます。
現代の刀は「正しさ」。
そして右側を歩くとは、
正しさを抜かない所作。
抜けるのに抜かない。
してみません?
これができた時、
勝ち負けとは別のところで、
世界が静かに整い始めるかも知れません。。
争いを終わらせるのは、
言葉や理屈よりも、
所作かもしれませんよ。
あなたの今日の一歩が、右側になりますように。^ ^
こんにちは。
お正月と言う特別な時期から、
日常へとリズムは整ってきましたでしょうか?
今日は細胞の中にいて、
エネルギーを作り出してくれている、
ミトコンドリアについてです。
最近になって、
「ミトコンドリアが大事」という話をよく耳にします。
確かに、
ミトコンドリアは、
エネルギーを生み出すとても重要な存在です。
疲れやすさや、
回復力の低下を語るときに、
避けて通れないテーマやと思います。
ただ、
少しだけ立ち止まって
見ておきたいことがあります。
身体を発電所と配線に例えてみます。
ミトコンドリアは
発電所の役割。
でも、
発電所がどれだけ元気でも、
配線が絡まっていたり
途中で漏電していたり
スイッチが入りっぱなしやったりすると、
電気は
うまく必要な場所まで届きません。
実際の身体でも同じことが起きています。
眠りが浅い
呼吸が詰まっている
常に緊張している
血糖の波が大きい
不安や焦りが抜けない
こういった
「配線側の乱れ」がある状態で、
ミトコンドリアを上げる・活性化する
という刺激だけを入れると、
エネルギーは増えても身体は楽にならず、
逆に、
ソワソワしたり
眠れなくなったり
落ち着かなくなることがあります。
これはサプリメントでも同じです。
COQ10
NMN
NAD+
これらは良い・悪いで分けるものではなく、
身体に入る「刺激」として捉えた方が
分かりやすいと思います。
刺激はその人の状態によって全く違う反応を起こします。
楽になる人
動きやすくなる人
呼吸が深くなる人
そういう方もいれば、
ソワソワする
目が冴えて眠れない
気持ちが落ち着かない
そうなる方もいます。
この違いは、
ミトコンドリアが良いか悪いかではありません。
多くの場合、
エネルギーが増えた分だけそれを制御する
神経・血糖・ホルモン・炎症の
バランスの弱さが表に出ているだけです。
発電量の問題ではなく、流し方の問題です。
身体は頑張らせるほど元気になるとは限りません。
むしろ、
静まる
緩む
抜ける。
そういう方向を求めていることも少なくありません。
整体でも
栄養でも
先ず大切なのは、
何かを足すことより邪魔を減らすこと。
流れが整えば、ミトコンドリアはこちらが意識しなくても自然に働き始めます。
ミトコンドリアは大切です。
でも主役ではありません。
主役は今この瞬間の身体の状態です。
本来ならば、
エネルギーは作り出すものというより、
整った状態から自然に湧き上がってくるもの。
そんなふうに捉えてみても
いいのかもしれません。^ ^
こんにちは!
今日のタイトルは、
若いうちから健康を意識したほうがいいの?
です。
これを正月明けの身体から考えてみてみましょう!^ ^
今日は1月3日です。
年末年始は、
食べすぎたり、飲みすぎたり、
知らん間に生活リズムが少し乱れた人も多いと思います。
まあでも、それでもいいんです。(^^)
お正月ですから。笑
ただ、ここでひとつだけ。
それは、
身体の感覚に目を向けてみてほしいんです。
例えば、
胃が重いとか、
体がだるいとか、
朝が起きにくいとか?
むくみやすくなってるとか。
これらは「失敗」ではなく、
実は、
身体がちゃんと反応しているサインです。
正直に言うと、
健康を意識するのは、
体を壊した時でも、
頑張る時でもなく、
こういう「ズレたあと」が
一番やりやすいはずです。
健康って、構造が
お金の投資と少し似ています。
一気に何かを変えなくても、
ほんの少し整えるだけで、
あとがかなり楽になります。
ただし、
身体の投資にはひとつ特徴があります。
それは、後戻りがしにくいということ。
若い頃は多少の無理がききます。
食べすぎても、
寝不足でも、
「まぁ大丈夫」と感じられるかもしれません。
でもそれは、
回復しているというより、
体力でカバーしているだけの場合が
ほとんどです。
体を壊してから始める健康対策は、
プラスを増やすというより、
マイナスを減らす作業になりがちです。
だからといって、
正月明けにストイックになる必要は
ありません。^ ^
いきなり食事を制限しなくていい。
無理に運動を始めなくていい。
「リセット」しようとしなくていい。
大事なのは、そう、
今の身体の状態をちゃんと感じてあげること。
「少し重たいな」
「ちょっと疲れてるな」
それに気づけるだけで、
身体は自然に元のリズムへ戻ろうとします。
でもどうせ健康を意識するなら、
「壊してから」ではなく、
「元気と不調の間」にいる今のうちに、、
が理想的かな。
年明けは、
何かを始めるより、
身体に耳を澄ませるのに
ちょうどいい時期ですね!




























































