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みなさんこんにちは!
今日は21日、
いよいよ冬至ですね。
冬至って言うたら、
厄落としに
「かぼちゃ」「ゆず湯」が定番…か、
と思いきや今日はちょっと変わった
アイデアをご提案!
それが、恒例のお礼参りです、
お礼参りってどんなこと??
お礼参りとは、
その年お世話になった場所や人に
「ありがとう」を伝える行動のこと
ですね。
もちろん家族にもね。
冬至は、陰が一番強く、
「これから光が戻ってくる」
即ち新しいエネルギーが始まる日。
だから、
冬至にお礼参りをしておくと、
気持ちもスッキリして、
次の一年のスタートが、
より良いものになれるかも、
という話です。
冬至の七草も、運を取り入れるかも?
そんな冬至におすすめのお礼参り
3ステップ!
1. 神社で感謝を伝える
冬至の日に神社に行って、
「今年一年、無事に過ごせたことをありがとうございます」と感謝を伝えるのが、お礼参りの第一歩です。
• ポイントは、
お礼参りのときは、
「感謝」を伝えるだけでOKです。
お願い事は年末年始に回して、
「ありがとう」だけを
シンプルに伝えるのがコツです。
ついでに歩いて行くとさらに健康的ですね。
冬の冷たい空気の中を歩くと血流も良くなります。
整体的に見ても、
ウォーキングは腰痛や、
肩こり予防にも効果的です。
2. 家の掃除で環境に感謝
冬至の大掃除は、
お世話になった家や空間へのお礼の意味も込めてやると、さらに気分が上がります。
ポイントは、
玄関掃除が運気アップの鍵
「玄関は家の顔」
って言われるぐらい大事な場所です。
玄関を拭き掃除することで、
(掃き掃除より拭き掃除で。)
良い気を迎え入れる準備が整います!
• 掃除中も体をいたわる
雑巾がけで腰を痛めたり、
窓拭きで肩が張ったりする前に、
軽くストレッチをしておきましょう。
それでも疲れたら整体院でメンテナンスの予約を。
3. 体に感謝
最後に体にも
「今年一年、よく頑張ってくれたね」と、
お礼を伝えるつもりで、
整体やしっかりした運動で、
体をリセット。
冬至は夜更かしはやめて、
早寝、早起きでし!^ ^
更にポイントは、
血流を良くして循環促進。
冬はどうしても体が冷えやすくなります。
温泉やお風呂で入浴し、
(オススメはufv入浴剤。細胞が喜びます。)
筋肉をほぐすために、
軽めの筋トレ。
もしくは血行を促進して、
首を温めましょう。
急所は足首、手首、腰首、首。
でポカポカの体へ!
来年に向けた体つくりを始める!
年末は忙しくて体が固まりがちですから、
冬至から意識して身体を循環し整えておくと、
次の一年をスムーズにスタートできるかも!
まあ、簡単にまとめると、
• 「毎日使ってる玄関やリビングを拭き掃除しながら、ありがとうと言う」
• 「神社で空気を吸いながら、目に映る自然に感謝する」
• 「体を触りながら、ありがとうって言って早く寝てみる」
みたいな。
気分がスッキリして、
なんだか心が軽くなるはずです。
冬至は、
「一年の雛形」になると言われる大事な日。
拭き掃除で家を整え、
神社参りで感謝を伝え、
整体や運動で体を循環すれば、
とても理想的ですが。
お仕事や用事で難しい方は、
最低限、
今日だけは、
とりあえず愚痴や悪態をやめてみましょう。
後は循環の為に、
少しだけ外を歩きましょう!
来年の雛形なんでね。^ ^
気持ちも体も、
新年スムーズに過ごせるかもです。
こんにちは!
秋の気候になって、
食欲も、
運動欲も、
睡眠欲も、
何でも快適に過ごせますね。
風邪はやっぱり流行ってきていますが、
ウィルスと身体が
承認欲求をしている、
小さないざこざだと思って、
変わったことをせず、見守って
ゆっくり休めば回復も早いです。
先日は奈良の吉野山へ、
青のシンフォニーという、
特別は特急列車に乗って行ってきました。
既に「ある」世界から
情報を引っ張ってくるのではなくて、
「ない」世界から引っ張ってくる感じで、
何となくで決めたお出掛け。
特に目的は無かったんですが、
ちょうど勉強会や、
武術稽古でお話ししていた、
自己中と、我が儘と、
自分勝手の違いについて、
自己中とは自我を中心にすること、
我が儘とは自我のままにしていること、
自分勝手になるとは、自然に自分がなること。
の話しをしていたのですが、
まさかの、
勝手神社に出会いました。笑。
まさに自然の中にある神社なんですね。
そして、
南朝皇居と言われ、日本最古の書院、
吉水神社にも
出会いました。
ここでは、自然の気、
神氣を頂き、
更に後醍醐天皇のお部屋や、
源義経の鎧、
武蔵坊弁慶の七つ道具、
静御前の肩当て、
一休宗純師の書籍などを
拝見することが出来ました。
これで温泉も入れたらと伺った、
源泉掛け流しの奈良温泉は貸切り状態になっていて、
逆に森林浴をして帰りました。^ ^
今日は痛みは逆流という考え方を
少しお伝えします。
どういう事か、
わかりやすいのが、尿管結石です。
尿素によって石が出来て、
それが尿管につまって痛いって状態ですが、
実際は、石が出来て、
それで尿が積止められて、
尿が逆流して、
腎臓が腫れることで内圧がかかり痛む。
ってのが事実だったりします。
胆石も同じく、
胆石が胆管に詰まって、
胆のうが胆汁で腫れて内圧がかかり痛む。
肩こりも、首へ頭へ向かう
リンパ液や体液が細胞の間質に溜まって、
腫れて内圧がかかり痛む。
要するに、流れが
細胞や臓器のうつわを超えて集めてしまうと
内圧がかかり、痛みが出るというパターンがあるんです。
この場合は、
体液の流れに迷いがあるパターンが多いみたいで、
流れとは生命そのもの。
自分自身の器を広げるのか?
それともこのままでいいのか?
みたいな迷い。
さて、
じゃあこの「逆流」をどうやって解消できるのか?
ここが大事なとこですね。
まず、内圧を抜くように、
シンプルに「体を動かすこと」
運動です。
肩こりなんかは、
じっとしてることが多いと特に起こりやすいですが、
ちょっとした動きやストレッチだけでも流れが良くなります。
長い時間座ったままやと、
リンパの流れとか体液が滞って、
余計に溜まってしまう。
だから、
ちょくちょく体を動かして、
生命の流れを作ってあげることが大事ですね。
それから、
意外と見落としがちなのは「呼吸」。
普段あんまり意識しませんが、
深く息を吸ったり吐いたりするだけで、
体の中の酸素やエネルギーの流れが変わります。
特に大事なのは吐くほう。
捨てないと入らない。
また考え方の偏りで、
ストレスが溜まってると、
呼吸が浅くなって、
体がカチカチになりやすいですから、
ちょっと深呼吸してみるだけでも
流れがスムーズになることがあります。
心の流れも結構影響しているのは当然で。
悩みがあったり、
迷ってる時って、
体も硬くなったり痛みが出やすいことがあります。
心の負担を軽くするために、
ちょっと一息隙間をついて、
リラックスできる時間を作るのも、
大事です。
テレビや音楽に頼らない、
一人の時の間を、
少しだけでも過ごすことを意識しましょう。
生きるとは、
体も心も「流れ」そのものです。
症状を診て、
自分の中で逆流してるものがないか、
ちょっと気にかけてみると、
痛みや不調も少し和らぐかも知れませんね。
みなさんこんにちは。
南海トラフの臨時注意予報?という
よくわからない情報をテレビで取り上げて、
和歌山や三重などでは一週間、
海水浴場が閉鎖されてしまってますね。
花火大会も延期に。
用心は大切ですが、
なにか裏がありそうな、
そんな報道に感じてしまいますね。
私は実家に帰る予定ですが。
兵庫県は道は混むのかな。
そして、
今日からお盆になりますね!
地域によってお盆の時期は
違いますが、
基本は今日からです。
今日は供養の意味について、
とある方から聞いた話ですが、
お話ししたいと思います。
正式には、
追善供養です。
亡くなった先祖に
現世でなり変わって、
追ってこの世で善を積み
その善を神佛に供えて養うこと。
だと言われていますね。
因みに善とは、もともとは、
旧字で譱。
羊は世の中に役立つという意味。
そして、言うが2つあります。
左に言っても、
右に言っても、
世の中に役立つという意味だそうです。
亡くなった先祖は身体がありませんから、
この世で善を積む事が出来ません。
世に役立って、
その役だった善を、
先祖ではなく神佛に供えて養う。
神佛とは古代神道では、
神は火(か)と水(み)循環のエネルギーのこと。
自然を運営し、
動かし続ける根源のエネルギー。
佛(ほとけ)とは、
人に弗(あら)ずと意味。
人ではない、エネルギーなので、
神(火と水)と同じものを指します。
明治時代の宗教改革が起こる前は、
神と佛(神道と仏教)は、
あまり分けられていなくて、
神社の中に仏閣があったり、
仏閣のなかに神社が存在していたそうです。
要するに、神佛とは、
同じくエネルギーのことになります。
水のことを
ウォーターと読んだり、アクアと呼ぶように、
宇宙の根源のエネルギーを、
神と呼んだり、
佛と呼んだり、
天と呼んだり、
自然と読んだりしている感じでしょうか。
で、
供養の話です。
先祖の代わりに善を積むということですが、
役に立つとは、
役割、使命をいきると言う事になります。
役割や使命と聞くと、
なんか大きくて大袈裟に感じてしまいますが、
簡単にいえば、
今を生きるになります。
先ずは
やってくる感情を感じて、
やりたい事をやる事によって、
結果的に世の役に立って善を積むことに繋がる。
命を与えてもらい、
肉体のバトンをつなげてくれた
神佛や先祖に対して、
善を供えて養うこと。
目に見えて、
自分にしか出来ないことなどを探すのではなくて、
ただ、
目の前にあるものや、
その場で
感じるものなどを、
ポジティブなものでも、
ネガティブなものでも、
それを感じたり、
そのことを存分に味わっていくこと。
それによって何かに気づいていくこと、
が今やるべきことだったりします。
それが点となり、
やがて線になり、
面になっていて、体になる。
そして、
気づいたら役割とか使命とか、
なんか言葉にできるような、
実感できるものにつながっているのかも知れません。
供養の追善は、
今を生きることでした。
すぐに出来るのは、
やっぱり掃除じゃないですか?