Blog記事一覧 > あるが | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院の記事一覧
こんばんは。
三部作で、
今日のお話しは駆け引き編ですね。
なんか好評だったので、
また三部作構成で、
次の日常生活の間編も書くかも知れません。
お楽しみに。
戦略と言えばカッコいいかもですが、
日常生活での駆け引きは、
人を相手にしているようでいて、
実は自分をすり減らす行為かも知れません。
「どう言えば得をするか」
「どう振る舞えば損をしないか」
こんな選択肢を
頭の中でシナリオを描き続けると、
心も体は、
常に緊張した状態になっています。
それは、短期的に利益を得ても?
その裏では呼吸が浅くなり、
肩や胸が固くなり、
夜眠っても何故か疲れが抜けないような
感覚を残します。
たとえば恋愛では、
本当は「会いたい」「好き」と
伝えたいのに、
「重いと思われるかな」と
計算して黙ってしまう。
仕事では「これを提案したい」と
思っても、
「上手くいかなかったらどうしよう」と
様子を伺ううちに、機会を逃してしまう。
家庭でも、
素直に「ありがとう」や「助けてほしい」
とキチンと言えば済むことを、
言えずに溜め込んで疲れてしまう。
駆け引きは一見すると
賢い立ち回りに見えますから。
けれどそれは、
生命のリズムで見れば、、
実は
流れをせき止めることなんです。
先を読もうとすればするほど、
今この瞬間の調和から外れていき、
本来の自分の声が聞こえなくなる。
そしてエネルギーの視点から見れば、
駆け引きは「信頼のスペース」を
潰す行為でもあります。
本来、人と人の間には
循環する場があって、
そこに安心や気づきが流れ込んできます。
ところが、
駆け引きが入るとその場は計算で満たされ、
エネルギーの通り道が塞がれてしまう。
結果として、
相手は「何か違う」と感じて距離をとり、
自分自身も「常に張りつめている」
緊張状態になるのです。
反対に、駆け引きを手放すとは、
「不安を計算で覆い隠さない」こと。
それは自分のリズムを取り戻し、
同時に人との間にスペースを
開くことでもあります。
不安も素直に差し出すことは、
損することではありません。
むしろ、そのスペースを通じて
調和が生まれ、結果的に
思わぬ学びや豊かさが循環してくるのです。
あなたは今、
どんな場面で駆け引きを
してしまっていますか?
もしその計算を一度手放したら?
人との関係や、
自分の体と心に、
どんな軽さが戻ってくるでしょうか。
幸せは「先回りの計算」によって
得られるものではなく、
「今ここで素直に差し出すこと」から
始まるのかもしれません。
こんにちは。
今日も秋空がたくさんの状態を見せてくれますね。
続きを書いていきます。
幸せから遠ざけるかも知れない、
世間体編です。
あなたは人の目を気にして、
やりたいことをやめてしまったよ
って経験はありませんか?
本当は着たい服があるのに、
「派手すぎるかな」とやめる。
言いたい言葉があるのに
「変に思われるかな」と飲み込む。
新しいことに挑戦したいのに
「失敗したら笑われるかも」と動けない。
世間体とは、こうした
「人の目に縛られて自分を止める力」の
ことです。
一見すると秩序を守るための
大切な感覚に思えますが、
行きすぎると人生の選択肢を
どんどんと狭めてしまいます。
なぜなら、世間体を気にするとき、
実は“他人”が縛っているのではなく、
自分の内側に作りあげた仮想の他人の目に、
自分が反応しているからです。
まだ起きてもいない評価を想像して、
そのイメージに合わせて行動を縮めてしまう。
これは外から縛られているように見えて、
実際は内側から自分を縛っているのです。
生命のリズムで見るなら、
世間体に囚われているときは、いわゆる
「呼吸が浅くなっている」ときです。
(肩こりを感じる状態)
そして肩や胸に見えない膜が張りついたように、体も心も硬くなる。
反対に、
世間体をゆるめて
「まあ、どっちでもいいかな」と
一呼吸おくと、
体も心もふっと軽くなり、
自然なリズムが戻ってきます。
本来の「世間」とは、
ただの評価の場ではありません。
世の間、つまり 自我と自我の間に生まれるスペース です。
そこは本来、可能性のエネルギーに満ちた
自由で調和的なスペースであるはずなのに、
私たちはそこに「どう見られるか」
という想像を詰め込み、
せっかくの間を自分で狭めてしまうのです。
(人類は視覚野がでかいので仕方ないけれど)
だから、
世間体を気にしすぎると
ジワジワと幸せから遠ざかります。
他人の目を気にしているようでいて、
実は「自分の内側に作った他人の目」
によって、自分のスペースを奪ってしまう。
選択肢を収縮させている状態。
あなたは今、
どんな場面で「世間体」という見えない鎖に
自分を縛ってしまっていますか?
もし、その鎖を少しでも緩められたなら?
世間体って何でしょうね。
世間体を中庸で見れたならば?
そこから何が受け取れるでしょうね。
もしかしたら、そこに新しい調和と、
軽やかなリズムが広がるかもしれませんよ。
こんにちは。
9月に入りましたが、
まだまだ夏が続いてますね。
今日は、何となく、
流れに乗るコツみたいな話をしたいと思います。
人間関係や体の不調や仕事やお金、
うまくいかないことが続くと、
どうしてもなんとかしなきゃ
と思ってしまいます。
早く治さないと、
もっと頑張らなきゃ!
どうにか変えなあかん!!
でも実はこのなんとかしなきゃ
という気持ちが、
体と心の流れを止めてしまうことがあります。
このとき意識は、
自分だけの力で何とかしようと働いていて、
肩や首は固まり呼吸は浅くなり、
神経もピリピリと過敏になっていきます。
頑張っているのに空回りしてしまう?
そんなときこそ立ち止まってみることが大切です。
そんな時にピッタリの表現が、
放っておく。
という言葉です。
これは諦めることでも、
無関心になることでもありません。
本当の意味は
小さな力で動かそうとするのをやめて、
大きな流れに任せてみる
ということです。
治そうと力を入れるほど体は固まり、
変えようとするほど心は緊張します。
でも一度ふっと手を放したとき、
呼吸が深くなり体の奥の流れが少しずつ戻り始めます。
施術でも大事にしているのが、
押しも引きもしないゼロ圧という考え方です。
ゼロ圧とはただ在ること、
頑張りも抵抗もない
ふわっと委ねているような状態です。
ゼロ圧に近づくと、
体はゆるみ神経や血流や呼吸の流れが自然に整い始めます。
うまくいかないとき、
悩みで頭がいっぱいのとき、
長引く不調にとまどうとき、
そんなときこそ結果をつかもうとする力を
一度手放してみる。
すると体は自分のペースを取り戻し、
本来持っている回復の力が動き出します。
心と体をしばるものの多くは
所有したいという思いかもしれません。
健康な体を持っていたい、
大切な人との関係を失いたくない、
安心できる未来を確保したい、
こうした気持ちはとても自然なことですが、
強く握りしめすぎると心も体も硬くなってしまいます。
一方で、
結果を所有しなくても大丈夫!
そう思えたとき
呼吸が深くなり体のこわばりがほどけていきます。
流れが自然に戻り始め
気づけば心も体も軽くなっていることに気づきます。
深呼吸をしてみる、
三回ゆっくり吸って吐くときは倍の長さで。
治さなきゃより体を信じてみようとつぶやく。
なるべく太陽や風や木や水など、
自然の流れに触れてみる。
こうして少しずつ
流れに委ねる感覚は体でつかめるようになります。
流れに任せるというのは
何もしないことでも諦めることでもありません。
小さな力で動かそうとするのをやめて、
体と心を大きな流れにゆだねたとき、
自然と呼吸が深くなり
神経や血流のリズムが整い、
不思議と体も心もラクになっていきます。
頑張っているのにしんどいと感じたときこそ
一度ふっと力を抜いて、
大きな流れに身を委ねてみませんか?
荻野接骨院では、
体に触れることで神経や血流の流れを整え、
心と体が大きな流れと再びつながるお手伝いをしています。
施術やカウンセリングを通して
結果を所有することから解放され、
本来の呼吸とリズムを取り戻すきっかけになればと思います。
こんにちは。^ ^
日本は今年、41.2 °C(兵庫・丹波)
という記過去最高の記録を出したくらい、
雨が少なく、
尋常でない暑さが続いてましたが、
先週辺りから若干温度が下がってきましたね。

今日は悩みについてのまたら違った角度の話。
この世界から、
悩みを解消しよう、
悩みをなくそう!
悩みのない人生に!!
こういうフレーズは一見魅力的ですが、
よくよく見ると、
ちょっとした落とし穴も
あるかもしれません。
確かに悩みは、
どれでもしんどいです。
でも、
悩みを遠ざけることだけを
目的にした人生は、
まるで
水の流れを止めてしまうようなもので、
やがて揺らぎや潤いを失ってしまう
可能性があります。
例えば、
とある池に小石をポイと投げると、
波紋が広がりますね、
それは一瞬水面を揺らしますが、
やがて時間と共に静かに消えていきます。
でも、もしこの池が、
波紋はもういらないんだ!!
と決めてしまったらどうでしょう?
小石は避けられ、
風もさえぎられ、
水面はずっと変わらない鏡
のようになります。
凪状態ですね。
それはそれで美しいかもしれません。
でも、
やがて水はよどみ、
透明さや輝きを失っていきます。
揺れがあるから、
澄んでいられる。
水は、
揺れることで空気と混ざり、
光を反射し、澄んでいきます。
揺れを悪いものとして避け続けると、
水はだんだん重く、
にごっていくのです。
人も同じで、
日々の中で起こる小さな揺れが、
新しい空気や光を運んできてくれます。
それをなかったことにしようとすると、
表面は穏やかでも、
中は動かなくなってしまいます。
からだも同じことをしています。
肩が張るとき、
息が浅くなるとき、
関節が重く感じるとき、
それはからだの中の小さな波紋です。
この波紋を完全になくそうとしたり、
全く無くしてしまえとするのではなく、
そっと手を添えて、
ゆっくり形を変えてあげる。
すると、
水はまた自分の道を見つけ、
流れ出します。
揺れとともに暮らす。
大事なのは、
波紋を避けることでも、
波紋を大きくすることでもありません。
ただ、
その広がりを見ていること。
そして、
その広がりと一緒に呼吸していること。
揺れがあるから、
澄んでいられる、
それは、
水も、人も、同じことなのかも知れません。
今日のタイトルは、
沖縄になる整体。
沖縄に行かれてる先生への
メッセージとして書いてみます。
今そこで、
息をするだけで、
どこでも間は広がります 。

沖縄に行くと、
空が広く見えたり、
風がやわらかく感じたり、
時間の流れがゆっくりになったりします。
竹富島や鳩間島なんかは特にですね。
自然と肩の力が抜けて、
「何もしない」ことが、心地よく思える時間です。
けれど、
日常に戻ると、
また元の時間やスピードに
巻き込まれてしまい、
「あの感じ、やっぱり沖縄やから良かったんだな」と、
比較してしまうこともあります。
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でも実は、
あの感覚は「沖縄が与えてくれたもの」
ではなく、
沖縄という空気に“なれていた”からこそ、
感じられたものなのかもしれません。
つまり、観光地であっても、ただ
何もしない。
ひと呼吸する。
沖縄になる。
この感覚だと、
場所に関係なく五感で感じることができます。

静かに息をして、
考えすぎず、
何かをしなければや、
何かをしたがる自分に気づき、
「何者でもない自分」でもいいと、
何も持っていなくてもいいと、
認識することで、
どこにいても、
空は広く、
風はやさしくなっていきます。
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整体も同じです。
治すために「何かをする」手ではなく、
整おうとする力に寄り添い、
そっと触れることで、
本来の調和が静かに動きはじめます。
沖縄でのあの静けさ、
深呼吸の余韻、
空と海に包まれるような安心感、
それらは外にあるのではなく、
その呼吸の中に、すでにあるのですから。

日々の中で、
もしまた「楽しまなきゃ」と、
力が入ってしまったときや、
「あれもこれも」と、
予定を追いかけていると感じたときには、
ぜひ思い出してみてください。
息をする。
何もしない。
沖縄になる。
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この「何もしない」の中から、
ほんとうの豊かさが流れ込んでくるのかもしれません。^ ^
こんにちは。^ ^
世間の入学式に合わせて桜も満開でしたね。
柔らかい風に吹かれて、
散る桜のいさぎよさ。
言葉がいらず、
そこにいるだけで身体の流れが良くなりそうですね。
今日は、
最近、不安や混乱の中にいて、
何をどうしたらいいのか分からなくて、
どこに立っているのかも分からないような感覚に包まれているの方に向けて、
少し書いていきます。
まさにそんな状態ときは、
自分は、
「こんなんじゃダメだ」
「ちゃんとしなきゃ」
「早く抜け出さなきゃ」
なんて、
そんな思いが心の中で、
渦巻いているんじゃないでしょうか。
でもそれは、
間違っているわけではないですが、
一つの囚われた見た方であり、
何かがおかしいという
サインという訳だけではなく、
今までの形が崩れ、
新しいスペースが生まれようとしている
サインであるとも受け取れます。

少しでも、
早く
脱出したい、
原因を解りたい、
解決法を知りたい、
目標に辿り着いていたい、
これらの思考がきっと湧いてきて、
それらさえ手に入れば、
安心をもたらすのにと、
考えてしまうかも知れませんが
それらは同時に、
どこかで新しい可能性を
閉じ込めてしまうこともあります。
どんな状態であれ、
今やることは見つかるはずです。
そのやる事はタンタンとやり、
その上で、
わからないものは、
“分からないまま”でいいんです。
そのままで、
“分からないまま”で、
身体の呼吸して、
今この瞬間に戻ってみましょう。
そこには、
思考では届かない静かな気づきが、
ふと、
立ち上がってくるように、
顔を出してたりします。
![]()
何も進めていないように感じる時ほど、
実は内側では、
静かに整えが
起きていますから、
そういうときは、
身体に、
こまめなケアや隙間を作るゆるめる時間に
集中してみては?
“余裕がないからこそ”、
休む、
あたためる、
ほぐす、
など、
そうしたスペースを先に取ってもいいかもですね。
“分からないこと”を、
そのままにしておく。
“答えのない問い”を、
ただ抱えてみる。

それだけで、
呼吸が深くなり、
その場に静かな風が通っていくような瞬間が生まれます。
今日という一日、
「何がどうあると、分からないままでいられるだろう?」

そんな問いと共に、
答えを直ぐに求めず静かに、
そこに、ある問題から離れて、
ゆるやかに過ごしてみる。
気づきはすぐそばにありますから。
こんにちは!^ ^
前回のブログは主婦層から良い反響がありました。
ありがとうございます。
そこで更にオススメの商品を
こちらでもお伝えします。
それは、
電波遮断携帯圏外ポーチ
ってやつです。
こちらはスマホをいれるポーチなんですが、
入れてるだけで、
電磁波を遮断し、
圏外状態にしてしまいます。
しかも、出し入れが面倒くさいので、笑
スマホを触る時間が
結果的に減りますし、
目覚ましがわりに使っている方も、
この中に入れていれば、近くに置いてても大丈夫。
更にスマホ依存が減少した結果、
前頭前野の働きが爆上がりするようです。
40歳以降の人には癌や、認知症など、
様々な病気予防にもなりますね。
では、今日は運の流れについて。
まあ、何度かこのテーマについては書いてますが、
また違った角度から書いていきたいと思います。
はじめに、
1.「運がいい・悪い」とは?
「運がいいですね」「最近ツイてないな…」
日常の中で、こんな言葉を耳にすることがありますよね。
でも、運とは本当に
「持っている」「持っていない」
といったものなのでしょうか?
もしかすると、
運は「自分で掴みにいくもの」ではなく、
「巡るもの」 かもしれません。
整体でも、
身体が緊張して硬くなっていると、
血流やエネルギーの巡りが悪くなり、
痛みが生じます。
逆に、
適度に緩み、
巡りが良い状態だと、
自然と身体が軽くなります。
運もそれと似ているのではないでしょうか?
「流れに乗ること」こそが、
運と上手く付き合うコツかもしれません。
2. 「巡り」があるところに、運がやってくる?
運が良いと感じるとき、
多くの人は「タイミングが良かった」
「流れがスムーズだった」と話します。
逆に、運が悪いと感じるときは、
「停滞している」「詰まっている」ように
感じることが多いです。
これも、整体の施術と似ています。
✔ 筋肉が硬くなり、血流が滞ると痛みが出る。
✔ でも、緩んで流れが生まれると、自然と身体が楽になる。
運もまた、
「流れ」を大切にすると、
無理に掴みにいかなくてもやってくるものなのかもしれません。
「もっと運を良くしたい!」と焦ると、
かえって流れが滞ることもあります。
無理に運をコントロールしようとするよりも、
「今、自分の流れはどうなっているか?」
と観察することが、
運の巡りを良くする第一歩
なのかもしれません。
3. 「緩み」がないと、運も滞る
日常の中で、ずっと緊張した状態でいると、
身体がカチカチに固まり、
動きづらくなります。
これもや、運の流れとも関係しています。
✔ 「やらなければならないこと」に追われすぎると、余裕がなくなる。
✔ 「こうしなければならない」という思いが強いと、視野が狭くなる。
そんなときこそ、一度立ち止まって、
「緩み」をつくってみることが大切です。
✔ 深呼吸をする
✔ 何も考えず、ただお湯に浸かる
✔ ふと空を見上げてみる
このような「緩み」の時間を作ることで、
心と身体に「隙間」が生まれます。
4. 「隙間」が運を引き寄せる
水が流れるためには、道が必要です。
でも、その道が塞がれていたら、
水は溜まってしまいます。
運も同じで、
「隙間」がないと流れ込んできません。
✔ スケジュールが詰まりすぎていると、新しい出会いのチャンスがない。
✔ 頭の中が「やるべきこと」で埋め尽くされていると、ひらめきが生まれない。
逆に、少し予定を空けたり、
何も考えない時間をつくることで、
ふとした瞬間に、
運の流れが変わることがあります。
整体でも、
ガチガチに力が入っている人より、
適度に緩んでいる人の方が、施術の効果が出やすいです。
運もまた、「隙間がある人」 に、
スッと流れ込んでくるのかもしれません。
5. まとめ:「運は流れに任せるもの」
✔ 運は「持つもの」ではなく、「巡るもの」
✔ 緩みがないと、運の流れも滞る
✔ 隙間をつくることで、運が入りやすくなる
運が良いか悪いかを気にしすぎるよりも、
「今、流れを感じているか?」
を意識することが、
運を引き寄せるコツなのかもしれません。
この瞬間、
ほんの少しでも「緩み」や「隙間」を
意識してみる時間をつくってみませんか?
換気するだけでも。
そうすることで、
ふとしたタイミングで、
思いがけない「運の流れ」に気づくかもしれませんよ。(⌒▽⌒)
さあ新年、
明けましておめでとうございます!

おだやかな朝を迎えられたでしょうか?
元旦は去年と同じく、
人の少ない天然温泉へ。
恒例の湯船に浮かぶ日本酒の香り。^ ^
そこから立ち昇る湯気が、
そっと空へと消えていく。。。
草木は風に揺れ、
湯気はゆっくりと流れ、
何ひとつ焦らず、
只々その時の流れに
身を任せているように見えます。
それは、
身体もきっと同じかなぁ。
朝からバスケの練習に付き合い、
普段使わない筋肉を痛めて、
肩や腰が少し重く感じるとき、
それは身体が「ちょっと休もうか」と、
教えてくれているのかもしれません。
無理をせず、
その声に耳を傾ける。
すると、
湯気がふわっと軽やかに昇るように、
身体も少し楽になっていく気がします。
自然のように、
身体を整える時間、
湯気や草木が、
何かを証明しようとすることはありません。
ただ「あるがまま」に
その瞬間を生きています。
身体もまた、
そうでありたいものです。
力を入れすぎず、
無理をせず、
自然な流れに身を任せる。
整体はその流れを整えるためのひととき。
湯気が風に揺れるように、
身体もその自然なリズムを取り戻すお手伝いができたらと思っています。
新しい年、
この一年が、
柔らかく、
穏やかな流れの中で始まり、
気づきで満ち、
湯気のようにふわっと軽く、
草木のようにしなやかに――。
そんな時間を重ねていけたら素敵ですね。
もし身体が
少し疲れを感じたときには、
その流れを整えるお手伝いができることを
願っています。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。
こんばんは。
気がつけば年末。
日の入りに礼。
そして
ふと立ち止まると、
よくある思考パターンとして、
気がつけば
「今年の自分」と「来年の自分」を
分けて考えたり、
「達成できたこと」と「まだ足りないこと」
を比べたりします。
でも、本当にそれらは
分かたれたものなのでしょうか?
実は比較こそが、
引き寄せたくない現実を、
作り上げているかも?
どうなんでしょうね。^ ^
そして来年は蛇年。
蛇はたくさんの象徴になり、
古代から多くの文化では
「境界を超える存在」
として描かれてきました。
例えば、
地上と地下、
水と陸を自由に行き来するその姿は、
私たちが作り出した
「分離」という錯覚を
問いかけてくれるようです。
蛇の動きは曲がりくねり、
一見するとどこに向かっているのかわからないように見えます。
でも、実は蛇にとって、
それそのものがひとつの道です。
曲がりや直線、
上りや下りという区別は、
人が後からつけたものにすぎません。
「良い」「悪い」と分ける経験もまた、
すべてがひとつの流れの中にあります。
今年の出来事を
「成功」と「失敗」に分けることなく、
ただそのまま受け入れるとき、
そこには何の不足もない
ひとときの道が、
見えてくるかも知れませんね。
この一年、
多くの方々に支えられ、
穏やかな時間の中で皆さまと向き合えたことに、
心から感謝しています。
新しい年が、
皆さまにとって、
蛇のようにしなやかで
柔軟な一年となりますように。
どうぞご自愛いただき、
心穏やかに新年をお迎えください。
来年も
進化してまいりましょう!
本年もありがとうございました。
みなさんこんにちは。
今回の台風はかなりゆっくりで、
雨風が強く、
しかも、どう動くかわからない状態です。
ちなみにこの土日のご予約は、
キャンセル料もお受け取りしませんので、
安心して
メールでご予約をお取り直し下さい。
当院は、
停電しない限りは滞在していますが、
車等を使ってご自身の判断で来れる方も、
決して無理はなさらずに。
そして関西の方は今日や明日には、
先ずは防災対策をしておかれるのが
ベストだと思います。
窓ガラスが割れて怪我しない様にの、
ダンボールやガムテープ、
停電するかもですから、
2日分くらいの冷凍物でない食品、
ガス式コンロ、
懐中電灯、
お風呂場に水、
飲み水、
ベランダの物などもしまい、
排水溝の詰まり取り、
などは気にしておいても良いかなと思います。
来週は私が講師の沖縄合宿の予定ですが、
何がやってくるか、
どんな進行になるのか、
台風みたいな自然は、
そもそも勝手なのでわかりませんが、
いつでも、
今やることをやっていれば、
結果はどうなろうが、
ここまでやったという自我に
悔いがおこらず、
なんらかの
受け取るべきものを受け取れる
ように思っています。
来週はどんな
セレクトと、
可能性がやってくるのか。
コントロールを手放せば、
世界は選択と可能性に満ちていますから。^ ^




























































