Blog記事一覧 > ストレス | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院 - Part 2の記事一覧
こんにちは。
調和編(中盤)です。
タイトルは、
〜場や流れと響き合う〜
です。
人との調和が
“関係の間”だとしたら、
場や流れとの調和は
“時間の間”とも言えます。
あるあるですが、
この存在たちは日々、
「もっと早く」
「今じゃないと」
「こうあるべきだ」と、
タイミングを自分の都合で決めがちです。
けれど自然の流れの中では、
芽が出る時もあれば、
じっと根を張る時もあります。
花が咲くように、
それぞれの出来事にも“季節”があるのです。
無理に動かそうとすると、
まだ熟していない果実をもぎ取るようになり、
流れを硬くしてしまう。
一方で、流れを信じて待つと、
想像していなかった形で、
必要なものがやってきます。
これは
“努力しない”と
いう意味ではありません。
努力や行動は
「波に乗るための漕ぎ出し」であり、
大切なのは、
どの波に乗るかを感じ取る感性です。
もし思いどおりに進まない時は、
「止まっている」ようでいて、
実は“次の流れに合わせて調整している時間”かもしれません。
焦りを手放して、
今という瞬間に耳を澄ませると、
そこにも静かなリズムが流れています。
たとえば、
交通渋滞で立ち止まった時、
予定がずれた時、
人とのすれ違いが起きた時。
それらもすべて、
調和のリズムの中の“ゆらぎ”です。
「うまくいかない」と
思ったその出来事が、
実は次の自然な展開への
入り口だったりします。
調和とは、整えることではなく、
すでに整っている流れになっている状態。
そこに気づいた瞬間、
出来事も、
人も、
自分も、
同じリズムの中で、
ゆっくりと動きはじめるかも知れません。
次回は後半です。
こんにちは。
毎夜、お月さまが明るいですね。
今日からは、
セミナーやカウンセリングでのみ
お伝えしている上辺の話ですが、
調和編に入ります。
長くなりそうなので、
前半から中、後半と、
三つに分けて書いていきます。
タイトルは、
〜合わせる調和から、自然に整う調和へ〜
この存在達はよく「調和が大切」と言います。
でも、
ここで言う“調和”の多くの場合は、
「我慢して合わせること」
や
「波風を立てないようにすること」
だったりします。
しかし本来の調和とは、
自分を小さくして周りに合わせること
ではなく、
お互いの“違い”が響き合って、
自然に整っていく状態のこと。
一つにならなくて良いんです。
たとえば、
演奏の中で一人ひとりが、
同じ音を出しても
それは音楽にはならず、
それぞれが自分のリズムと、
音色を保ちながら、
ひとつの“流れ”を作るときに
音楽が生まれます。
人間関係も同じで、
無理に!良くしよう!とすると、
その瞬間に呼吸が浅くなり、
相手との間が硬くなる。
でも、自分の呼吸を感じ、
相手の間合いに耳を澄ませると、
自然とタイミングが合ってくることがあります。
それは努力ではなく、
「流れを聴いている」状態。
調和とは、
合わせる技術ではなく、
流れの中で“共に揺らぐ”感性のこと
なのです。
だから、
関係がうまくいかないときは、
無理やり頑張って距離を詰めるよりも、
一度スペースを取るほうが
調和に近づくこともあります。
人との関係には、
近づく間もあれば、
離れることで保たれる間もあるんですね。
どちらも同じリズムの一部です。
その視点で見ると、
「うまくいっている」
「いっていない」も、
実はひとつの大きな調和の中の
波のようなもの。
私たちは、
その波に逆らうのではなく、
ただ“感じながら揺れている”だけ
でいいのかもしれません。
明後日は中盤になります。
軽く感じる方はお楽しみに。^ ^
こんにちは。
前回の「日常生活の間」では、
行動や心の中にある“間”を見てきました。
本来なら次は「スペース編」へ
進むところですが、
その前に、少しだけ寄り道を。
今回は、生命そのものの中に流れる“間”
細胞の間を覗いてみたいと思います。
2025年のノーベル生理学・医学賞は、
大阪大学の坂口志文教授による
「制御性T細胞(Treg)」の発見に
贈られました。
免疫が暴走して自分を攻撃してしまう、
その暴走を静める「ブレーキ細胞」が存在するという発見。
免疫は強ければいいわけでもなく、
弱ければいいわけでもない。
生命が本当に求めているのは、最適な反応。
つまり「状態そのものの調和」なのです。
坂口先生の研究が示したのは、
免疫にも“間”があるということ。
細胞の中にも、
流れを止めず、
暴れさせず、
ただ“ちょうどいい呼吸”を保つ仕組みが
あるんです。
これは、整体の世界でいう
「ゼロ圧」や「中庸」とまったく同じ原理です。
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白血球が暴走するとき、
その背後では神経が緊張しすぎています。
皮膚神経が過敏になり、
脳が興奮し、
副腎がストレスホルモンを出しすぎる。
それはまるで、
“存在が自分自身を守ろうとして、
自分を攻撃している”状態。
この構図は、
身体でも心でも、
社会でも、同じように起きています。
整体で皮膚へ適度な刺激を与えると、
神経は、
“安心して反応する”
という感覚を思い出します。
すると、
脳と副腎のやりとりが静まり、
免疫は再び本来のリズムで動き始めます。
免疫が「戦う」から「調う」へと相を変える。
つまり、
皮膚と神経を通して、
細胞のブレーキが静かに再起動していく。
坂口先生が発見した制御性T細胞(Treg)は、
まるで細胞の奥に眠る、
“ゼロの意識”のようです。
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何もしないことで、
全体を整える存在。
それは沈黙の中で機能します。
整体もまた、
その“沈黙”に触れる行為だとしたら?
強く押すでも、操作するでもなく、
手と手のあいだに生まれる微細な“間”を通して、
神経と免疫が
ひとつの呼吸を取り戻していく。
だから、
免疫のバランスが整うとき、
それは単に炎症が消える
ということではなく、
存在そのものが、
“元の流れ”に戻るプロセスでもあります。
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ノーベル賞の発見は、
医学がようやく“間”の存在を細胞レベルで見つけた瞬間だったのかもしれません。
それを科学は「制御」と呼び、
整体は「共鳴」と呼ぶ。
どちらも同じ方向を指しています。
過剰を鎮め、
欠乏を満たし、
全体をひとつに戻す。
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“間”とは、
整うと整わないのあいだにある呼吸。
神経も免疫も、意識も、
その揺らぎの中で、
調おうとし続けている。
反応も、
努力も、
焦りもいらない。
ただ静けさの中で、
流れが思い出されていく。
治療とは、生命の調おうとする力に
同調する時間なんじゃないでしょうか?^ ^
こんにちは。
今年の秋はなかなか暑いですが、
夕方には涼しい風がやって来て、
すーっと癒されますね。
自律神経にとっては、まだまだ夏からの調整が大変な人もいるでしょうが、
コツコツと、目の前の当たり前のことから始めましょう。^ ^
今日は新シリーズ、
日常生活での間についてですね。
私たちは日々、
“何かをする”ことで安心しようとしますよね。
けれど本当の変化や癒しは、
“何もしない間”に生まれることの方が
多いのかもしれません。
“間”とは、
空白ではないんです。
それは生命の呼吸が宿る、場 です。
それは、
行動と行動のあいだ、
言葉と沈黙のあいだ、
心と体のあいだに、
気づかれないよう、ひっそりと存在しています。
前回まで見てきた
プライド・世間体・駆け引きは、
すべて、
この「間」を塞いでしまう反応でした。
鎧を着て守ると、感じる間が消える。
人の目を気にすると、内側の間が縮まる。
不安で駆け引きをすると、信頼の間が潰れる。
けれど“間”が戻ると、
再び「流れ」がやってきます。

それは人との関係の流れであり、
自然のリズム、
見えないリズムとも共鳴しています。
生命は常に“間”から生まれています。
細胞と細胞のあいだ、
吸う息と吐く息のあいだ、
夜と朝のあいだ、
その“あいだ”にこそ、
生命のリズムが息づいているんですね。
日常の中にも、
たくさんの“間”が隠れています。
食事の前の一呼吸。
家を出る前に空を見る一瞬。
会話の中で、言葉を選ぶ沈黙。
それらはすべて、
流れを戻す小さな入り口です。
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つまり“間”とは、
自我の時間を超え、
生命の時間に戻る扉 なのです。
次回からは、
この“間”を三つの切り口から見ていきます。
「スペース」──空間を空けること。
「調和」──関係の響きを感じること。
「リズム」──時間の波に委ねること。
この三つの間を日常の中で、
意識できるようになると、
“整える”ではなく
状態に戻るという感覚が自然に訪れます。
ここまで、
「プライド」「世間体」「駆け引き」
という三つの価値観を見てきました。
本来はカウンセリングでお伝えしている内容のごく一部ですが。
プライドは鎧となり、
呼吸や学びを止めてしまう。
世間体は自分の中に他人の目を作り、
自由を奪ってしまう。
駆け引きは不安の計算で、
信頼のスペースを潰してしまう。
どれも一見、常識的には
大切そうに思えるものですが、
実際には共通して、
「流れを止め、硬直させる」
点がありました。
これら三つの深い奥にあるものは?
プライドの奥には信頼。
世間体の奥には 調和。
駆け引きの奥には 循環。
と言うキーワードが隠れており、
それらが、
「信頼したい、されたい、」
「調和したい、させたい、」
「循環したい、させたい、」
と思っている我欲の働きになっている。
もしくは、
「信頼していなければ、されてなければならない」
「調和していなければならない」
「循環していなければならない」
と
義務感に変わっている時にも、
本来すでにある生命の流れから離れて、
間違えない世界、
プライド、世間体、駆け引きという形へと、
固めてしまいます。
信頼も調和も循環も、
つくり出すものではなく、
すでにそこに用意されていて、
塞がなければ自然に現れているかもしれません。
いや、本来はそんな言葉の必要性もないかも知れませんね。
次回からは、
これらとは違う次元である「間」をテーマにしていきます。
日常生活の中でどうやって「間」を増やし、
調和とリズムを取り戻すのか?
「スペース」「調和」「リズム」
の三つの切り口でお伝えしていきます。
(^人^)
こんばんは。
三部作で、
今日のお話しは駆け引き編ですね。
なんか好評だったので、
また三部作構成で、
次の日常生活の間編も書くかも知れません。
お楽しみに。
戦略と言えばカッコいいかもですが、
日常生活での駆け引きは、
人を相手にしているようでいて、
実は自分をすり減らす行為かも知れません。
「どう言えば得をするか」
「どう振る舞えば損をしないか」
こんな選択肢を
頭の中でシナリオを描き続けると、
心も体は、
常に緊張した状態になっています。
それは、短期的に利益を得ても?
その裏では呼吸が浅くなり、
肩や胸が固くなり、
夜眠っても何故か疲れが抜けないような
感覚を残します。
たとえば恋愛では、
本当は「会いたい」「好き」と
伝えたいのに、
「重いと思われるかな」と
計算して黙ってしまう。
仕事では「これを提案したい」と
思っても、
「上手くいかなかったらどうしよう」と
様子を伺ううちに、機会を逃してしまう。
家庭でも、
素直に「ありがとう」や「助けてほしい」
とキチンと言えば済むことを、
言えずに溜め込んで疲れてしまう。
駆け引きは一見すると
賢い立ち回りに見えますから。
けれどそれは、
生命のリズムで見れば、、
実は
流れをせき止めることなんです。
先を読もうとすればするほど、
今この瞬間の調和から外れていき、
本来の自分の声が聞こえなくなる。
そしてエネルギーの視点から見れば、
駆け引きは「信頼のスペース」を
潰す行為でもあります。
本来、人と人の間には
循環する場があって、
そこに安心や気づきが流れ込んできます。
ところが、
駆け引きが入るとその場は計算で満たされ、
エネルギーの通り道が塞がれてしまう。
結果として、
相手は「何か違う」と感じて距離をとり、
自分自身も「常に張りつめている」
緊張状態になるのです。
反対に、駆け引きを手放すとは、
「不安を計算で覆い隠さない」こと。
それは自分のリズムを取り戻し、
同時に人との間にスペースを
開くことでもあります。
不安も素直に差し出すことは、
損することではありません。
むしろ、そのスペースを通じて
調和が生まれ、結果的に
思わぬ学びや豊かさが循環してくるのです。
あなたは今、
どんな場面で駆け引きを
してしまっていますか?
もしその計算を一度手放したら?
人との関係や、
自分の体と心に、
どんな軽さが戻ってくるでしょうか。
幸せは「先回りの計算」によって
得られるものではなく、
「今ここで素直に差し出すこと」から
始まるのかもしれません。
こんにちは。
今日も秋空がたくさんの状態を見せてくれますね。
続きを書いていきます。
幸せから遠ざけるかも知れない、
世間体編です。
あなたは人の目を気にして、
やりたいことをやめてしまったよ
って経験はありませんか?
本当は着たい服があるのに、
「派手すぎるかな」とやめる。
言いたい言葉があるのに
「変に思われるかな」と飲み込む。
新しいことに挑戦したいのに
「失敗したら笑われるかも」と動けない。
世間体とは、こうした
「人の目に縛られて自分を止める力」の
ことです。
一見すると秩序を守るための
大切な感覚に思えますが、
行きすぎると人生の選択肢を
どんどんと狭めてしまいます。
なぜなら、世間体を気にするとき、
実は“他人”が縛っているのではなく、
自分の内側に作りあげた仮想の他人の目に、
自分が反応しているからです。
まだ起きてもいない評価を想像して、
そのイメージに合わせて行動を縮めてしまう。
これは外から縛られているように見えて、
実際は内側から自分を縛っているのです。
生命のリズムで見るなら、
世間体に囚われているときは、いわゆる
「呼吸が浅くなっている」ときです。
(肩こりを感じる状態)
そして肩や胸に見えない膜が張りついたように、体も心も硬くなる。
反対に、
世間体をゆるめて
「まあ、どっちでもいいかな」と
一呼吸おくと、
体も心もふっと軽くなり、
自然なリズムが戻ってきます。
本来の「世間」とは、
ただの評価の場ではありません。
世の間、つまり 自我と自我の間に生まれるスペース です。
そこは本来、可能性のエネルギーに満ちた
自由で調和的なスペースであるはずなのに、
私たちはそこに「どう見られるか」
という想像を詰め込み、
せっかくの間を自分で狭めてしまうのです。
(人類は視覚野がでかいので仕方ないけれど)
だから、
世間体を気にしすぎると
ジワジワと幸せから遠ざかります。
他人の目を気にしているようでいて、
実は「自分の内側に作った他人の目」
によって、自分のスペースを奪ってしまう。
選択肢を収縮させている状態。
あなたは今、
どんな場面で「世間体」という見えない鎖に
自分を縛ってしまっていますか?
もし、その鎖を少しでも緩められたなら?
世間体って何でしょうね。
世間体を中庸で見れたならば?
そこから何が受け取れるでしょうね。
もしかしたら、そこに新しい調和と、
軽やかなリズムが広がるかもしれませんよ。
こんにちは。
10月に入りました。
秋の空気は実りを受けるエネルギーなので、
何でも受け入れがちです。
特に他人から言われた情報に左右もされやすいので、落ち着いて受け取りましょう。
余計な状態を招いてしまうかもですから。
今日は昨日の続きでプライド編を書いていきます。
あなたは今までに、プライドが邪魔をして?
素直になれなかった経験はありませんか?
たとえば、
職場で間違いを指摘されても
「でも…」と反論してしまった。
家族や友人に謝れば楽なのに、
意地を張って口を閉ざす反応で返した。
体調が悪いのに「自分は大丈夫」と
強がって無理をした。
こうした小さな積み重ねは、
知らぬ気づかぬうちに、
人間関係のエネルギー循環を硬直させ、
身も心も、生命のリズムを乱していきます。
プライドは「自分と思っているものを守る鎧」のようなものです。
もちろん、まったくプライドがないと、
自分を安売りしてしまったり、
乱れてしまったりするかも知れません。
けれど鎧を必要以上に、
過敏に、
厚く着込みすぎるとどうなるでしょうか。
重いし、
動きにくく、
呼吸もしづらくなります。
見た目は、
強そうに見えても、
実際は不自由そのものなのです。
すなわち、
プライドに囚われるとは?
まさに不安の鎧をまとって、
硬直した状態で生きていることなのです。
プライドが厚いと、
まず「負けを認められない」状態になります。
結果として、
仕事ではミスを改善できない。
人間関係では謝れず溝が深まる。
身体では肩や首に力が入りっぱなしになる。
これらはすべて、
学びやつながりや流れを止めてしまいます。
生命のリズムで捉えると、
プライドに囚われる状態は「硬直」です。
呼吸も浅くなり、
心や体の流れが止まります。
本来のリズムや調和から外れていくのです。
逆にプライドを少し手放した瞬間って、
どんな選択になるでしょうか?
「まあ、いいか。
今回は学びに変えようか」
と受け入れたとき、
リズムは再び整い始めます。
それは「負けを認める」のではなく、
鎧を脱いで軽くなること。
そもそも勝負にならないくらい
軽い選択をしている状態。
その軽さが、流れ循環を生み出して、
新しい学びや気づきを招き入れるのです。
上司や同僚に対して、自分の方が正しいから、
と思いすぎてしまう。
パートナーに「自分ばかりが我慢している」と感じてしまう。
子どもに「親としての威厳」を保とうとして強く叱ったりキツイ反応をしてしまう。
こうした場面の裏には、
たいていプライドが隠れています。
でもそのプライドを守っても、
心は軽くならず、
逆に関係がこじれたり、
自分を責めたりしてしまうのです。
それよりも「ごめんね。ありがとう」
その一言を出す方が、
ずっと楽に生きられます。
プライドを守ることは、その行動が
一時的には安心を与えます。
けれど長期的に見ると、
学びを止め、
人を遠ざけ、
身体を固める。
そんな要因になりえます。
あなたは今、
どんな場面でどん状況で、
鎧を着ていると感じますか?
もし、その鎧を少しでも外したら?
そこにはどんな調和や、
新しい景色が広がるでしょうか。
結果的に幸せに近づく一歩は、
意地を張ることではなく、
軽くなる勇気なのかもしれませんね。^ ^
こんにちは!^ ^
九月も最終日。
朝が涼しくなって、
睡眠も散歩も気持ち良いですね。

今日は幸せを遠ざけるかも知れない、
三大価値観について、
続きもので書いていきます。
きっと誰しもが、
「もっと豊かに、もっと幸せに」
なんて、
そんな願いを少なからず所有しながら
日々を過ごしています。
けれど、
気づかないうちに、その願いとは反対に
自分を幸せから遠ざけてしまうような、
そんな
価値観を抱えていることがあります。
それは、
プライド・世間体・駆け引きです。
これらは一見すると、
社会を生きる上で、
「大切にした方がいい」と思われがちなもの。
でも、
生命のリズムで捉えると、
それらはエネルギーを閉じ込め、
自然な流れを止めてしまう要因となります。
鎧をまとったり、
人の目を気にしたり、
計算に明け暮れたりするほどに、
本来の自分の呼吸やリズムから、
離れていってしまうのです。
そうして「見えない調和」から外れたとき、
幸せは遠ざかっていきます。
では、
なぜプライド・世間体・駆け引きが
私たちを苦しめてしまうのか?
次回から、一つずつ紐解いてみましょう。
あなた自身の中では、
どの価値観が一番強いと感じますか?^ ^
こんにちは。
今日はクライアントのお話から
なんだかイライラするをテーマにお話しします。
最近、歩いているときにお年寄りの方がゆっくり歩いていて、
思わずイライラしたり、
スーパーのレジで前の人が
お財布から小銭を探すのに
時間がかかっていて、
「早くしてほしいな」と
感じたことはありませんか。
職場で部下が同じことを何度も
質問してきて、
ついモヤモヤすることもあるかもしれません。
私たちはつい
「相手が悪い」「相手が遅い」
からイライラしていると思いがちです。
けれど実は、
このイライラの原因は相手ではなく、
自分の中の基準にあることが多いんです。
人は無意識のうちに、
「こうあるべき」「こう動くべき」と
いう基準を持っています。
「私は早くできる」
「効率よく動ける」
「人より先を読んでいる」
そんな自分のイメージを握りしめていると、
その基準で相手を見てしまいます。
その結果、
「なんでこんなに遅いんだろう」
「なんで分からないんだろう」
とジャッジが生まれ、
イライラが起きるんです。
つまり相手に怒っているようで、
実は「自分の理想のイメージを守ろうとしている」だけかもしれません。
イライラの正体は、相手ではなく、
自分の握りしめた基準にあります。
ここで大切なのは、
「イライラしないようにすること」
ではありません。
イライラしたときに、
まずこうつぶやいてみてください。
「今、私の中のこうあるべきが強く働いているな」
そう気づくだけで、
相手を変えようとする力がふっと抜け、
呼吸も少し深くなります。
ここで面白いのは、
イライラした出来事は偶然のように見えるのに、
「その出来事に反応している自分」がいる
のは必然だということです。
偶然に見える出来事の中で、
自分の基準やジャッジが浮かび上がる。
これを「偶然と必然の境目」と呼びます。
この境目に気づけたとき、
私たちは「相手を変えたい」という
視点から離れ、
ただ自分の意識を見つめることができます。
すると、相手の遅さや不器用さは
その人のペースとして受け取れるようになり、
ジャッジが緩んで、
エネルギーの流れが自然に戻っていくんです。
とはいえ、
頭でわかっていても、
体が緊張していると、
この切り替えは難しいことがあります。
肩や首がこわばっていると呼吸が浅くなり、
余裕が持てなくなりやすいんです。
逆に、体をゆるめると呼吸が深くなり、
気づけば、
同じ出来事なのにイライラしにくい!
ということが起こります。
荻野接骨院では、
体をゆるめる施術を通して、
自律神経のバランスを整え、
意識と体の両方からイライラの流れを変えるお手伝いをしています。
もし最近、
イライラが続いてしんどいなと
感じる方は一度体から整えてみませんか。
体を整えることで、
気づかなかった偶然と必然の境目にも
気づきやすくなり、
心にも余裕が生まれやすくなるかも知れません。^ ^




























































