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こんにちは。
今回は「リトリート」というテーマです。
ただ、なんか難しくなっちゃったかもで。
すみません。
とりあえず、
身体と自律神経、
そして今の季節の視点から
紐解いてみたいと思います。
リトリートと聞くと、
どこか遠くへ行き、
非日常の中で休息をとるイメージが
あるかもしれません。
ですが、
その本質は
「どこかへ行くこと」ではなく、
元の状態に戻っていくことにあります。
春になると
春眠暁を覚えず。
と言われるように、
強い眠気やだるさを感じる方が
多くなります。
たとえば、
生まれたばかりの赤ちゃんは
1日に17時間も眠ると言われていますが、
起きている間に受ける視覚や
聴覚の膨大な情報を処理するために、
頻繁に意識をシャットダウンして、
脳内で整理整頓を行っている時間なんですね。
実は、今の私たちの身体にも、
これと全く同じことが起きています。
春は、
景色に色が増え、
新しい匂いや音が生まれ、
社会的にも人間関係も交差する季節。
空気も濃密になり、
脳に入ってくる「情報量」が
爆発的に増えます。
脳はその情報を処理するために、
強制的なシャットダウン、
つまり眠気を要求しているのです。
同時に、
冬のあいだ寒さから身を守るために
固めていた皮膚の境界線が、
少しずつほどけていく移行期でもあります。
だから、
春の眠気やだるさは
不調ではなく、
身体が自らスペースを作ろうとしている
正常なサインなのです。
春の風物詩である「お花見」も、
実は日本人が古来から無意識に行ってきた
リトリートの一つかもしれません。
日常の建物や街のノイズという「圧」を、
圧倒的な桜の淡い色が覆い尽くす。
あの色の空間に包まれることで、
自分と外の世界との境界線が曖昧になり、
強制的に「個」から
「空間の一部」へと意識が移っていきます。
桜の下でふっと身体が緩むのは、
強烈なスペースの確保が行われているからです。
スペース、余白、間、
これらは、勝手に自律神経を調律する働きがあります。
お花見で余白をつくる。
素晴らしい文化ですね。
話は変わり、
よく山が良いか、海が良いか?
みたいな質問をされることがありますが、
答えは、
どちらも良いです。^ ^
どちらも
自然自体に自律神経は調律する働きがありますから。
ただ、自律神経を調律する時、
特徴としては、
大きく二つの働きがあります。
例えるならば。
山は「充電」。
重力に対してまっすぐに立ち、大地に根を張り、内にエネルギーを集める垂直のエネルギー。
そして、
海は「解放」。
境界をほどき、外との区別をゆるめていく水平のエネルギー。
特に海のような水平線は、
脳の認識の枠を外し、
身体の中に広大なスペースを生み出します。
と、するなば、
情報と外圧でキャパシティが
いっぱいになっている現代の人達が、
無意識に強く求めているのは、
何かを足すことではなく、
海のような力がもたらす圧倒的な「解放」かも
知れませんね。
ただ、
わざわざ遠くの海へ行かなくても、
日常の中でこの「海の解放」を
起こすことができます。
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それが「ゼロ圧」の感覚です。
私たちはストレスや外圧にさらされると、
無意識に自分を守ろうとして、
皮膚という境界線をバリアのように固く張ってしまいます。
壁があるからこそ、
外からの情報がぶつかり、
重さや摩擦と私が生まれるのです。
そんな私という
限られた器の中で情報を処理しようと
頑張るのではなく、
むしろ
その境界線を溶かしてしまうこと。
自分が何かを受け止める
個別の存在ではなく、
意識を水平線のように広げ、
空間そのものになる。

自らが透明な空間に溶け込んでしまえば、
春の膨大な情報も、
日常の重圧も、
引っかかる場所がなくなり
スッと透過していきます。
摩擦も、
重力さえもです。
春の眠気も、
動けない時間も、
無理にコントロールして
整えようとする必要はありません。
「今はまだ不完全だ」
という前提を手放し、
起きている反応をそのまま置いておく。
日常生活の中ふと立ち止まり、
何となく息を吐ききって、
内側に広がる静かな水平線を感じてみる。
あなたが勝手に空間になっている際に、
身体は自然と、
最も心地よいゼロの状態へと
調律されていくはずです。
こんにちは。
今日は日常生活の間シリーズのエピローグです。
タイトルは、
〜間が、生命になる〜
です。
「スペース」「調和」「リズム」
これらを
それぞれを見てきた存在として、
今あらためて気づいたことはありましたか?
実はこれらは別々のものではなく、
すべてが“間”という
生命の動きの現れだということに。
スペースは、流れのための余白。
調和は、響き合うための間。
リズムは、その往復の呼吸。
空けて、響いて、動く。
この三つの働きがひとつになるとき、
私たちはようやく、
生きていることそのものに戻っていきます。
それは、
頑張るでも、悟るでもなく、
ただ存在が流れに委ねている状態。
静けさの中で、
呼吸と鼓動と世界の音がひとつに重なり、
状態という形が、
大きな生命の波の中で溶けていく。
その瞬間、
実は「整える」も「治す」もいらなくなるんです。
なぜなら、
生命そのものが、
すでに整っているからです。
整体の場でも、
受け取る準備ができている状態に、
この存在がすべきことは、
何かを足すことでも、
欠けたものを探すことでもなく、
ただ、
この“間”に気づき続けること。
その気づきが深まるほど、
人との関係も、
身体の動きも、
エネルギー、エナジー、
すべてが自然と流れ始めます。
そしてその流れの中で、
苦しみも喜びも、
同じ生命の拍動として、
息づいていることに気づけたらどうでしょうか。
“間”とは、
静けさの中にある呼吸であり、
自然世界と存在がひとつであることを
思い出す場所。
今、
その“間”に耳を澄ませた瞬間から、
どこででも、
すでに生命の音楽は始まっているかも
知れません。
こんにちは。
ついに調和編(後半)になります。
いずれブログでも、
カウンセリングやセミナーでしているような、
簡単なワークも書いてみたいと思ってます。
お楽しみに。
今日のタイトルは、
〜生命の調和〜
です。
本当の調和とは??
それは、
“自分と世界が響き合っている”
ことに気づく状態です。

それは、
人と合わせようとすることでも、
流れを読もうとすることでもありません。
ただ、この存在が、
すでに世界の一部として呼吸している状態。
その事実を思い出すだけで、
調和はもう始まっていたりします。
たとえば、、
海の波がひとつ動くとき、
他の波も連動して形を変えます。
でもどの波も
「合わせよう」とはしていません。
ひとつの海が、
無数の形となって動いているだけ。
この存在の身体も、感情も、思考も、
ただ世界の波の一部なんですよ。

“存在が整う”というのは、
“全体が整っていく”ことと同じです。
だから調和とは、
何かを目指してつくるものではなく、
すでに響き合っていることに気づくこと。
気づくことなんです。
そこに気づくと、
誰かの声も、
風の音も、
通り過ぎる出来事さえも、
一つの見方としては、
全部が同じリズムを奏でているように
感じられます。
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そして、
そのリズムの中では、
善悪も成功も失敗も、
ただの“動き”に過ぎません。
この存在が見ていた対立は、
大きな生命のリズムの中で、
すーんと溶け、
ひとつの流れとして再び息づいていく。
調和とは、
世界とひとつの呼吸をしている状態。
それは“努力して作る”のではなく、
世界の呼吸を、
この存在の呼吸として感じている瞬間です。

静かに目を閉じ、
ただ呼吸の音を聴く。
その中に、もうすでに
すべての調和が息づいています。
以上、日常生活の間、調和編でした。^ ^
次回から、とりあえず最終のリズム編です。
こんにちは。
調和編(中盤)です。
タイトルは、
〜場や流れと響き合う〜
です。
人との調和が
“関係の間”だとしたら、
場や流れとの調和は
“時間の間”とも言えます。
あるあるですが、
この存在たちは日々、
「もっと早く」
「今じゃないと」
「こうあるべきだ」と、
タイミングを自分の都合で決めがちです。
けれど自然の流れの中では、
芽が出る時もあれば、
じっと根を張る時もあります。
花が咲くように、
それぞれの出来事にも“季節”があるのです。
無理に動かそうとすると、
まだ熟していない果実をもぎ取るようになり、
流れを硬くしてしまう。
一方で、流れを信じて待つと、
想像していなかった形で、
必要なものがやってきます。
これは
“努力しない”と
いう意味ではありません。
努力や行動は
「波に乗るための漕ぎ出し」であり、
大切なのは、
どの波に乗るかを感じ取る感性です。
もし思いどおりに進まない時は、
「止まっている」ようでいて、
実は“次の流れに合わせて調整している時間”かもしれません。
焦りを手放して、
今という瞬間に耳を澄ませると、
そこにも静かなリズムが流れています。
たとえば、
交通渋滞で立ち止まった時、
予定がずれた時、
人とのすれ違いが起きた時。
それらもすべて、
調和のリズムの中の“ゆらぎ”です。
「うまくいかない」と
思ったその出来事が、
実は次の自然な展開への
入り口だったりします。
調和とは、整えることではなく、
すでに整っている流れになっている状態。
そこに気づいた瞬間、
出来事も、
人も、
自分も、
同じリズムの中で、
ゆっくりと動きはじめるかも知れません。
次回は後半です。
こんにちは。
毎夜、お月さまが明るいですね。
今日からは、
セミナーやカウンセリングでのみ
お伝えしている上辺の話ですが、
調和編に入ります。
長くなりそうなので、
前半から中、後半と、
三つに分けて書いていきます。
タイトルは、
〜合わせる調和から、自然に整う調和へ〜
この存在達はよく「調和が大切」と言います。
でも、
ここで言う“調和”の多くの場合は、
「我慢して合わせること」
や
「波風を立てないようにすること」
だったりします。
しかし本来の調和とは、
自分を小さくして周りに合わせること
ではなく、
お互いの“違い”が響き合って、
自然に整っていく状態のこと。
一つにならなくて良いんです。
たとえば、
演奏の中で一人ひとりが、
同じ音を出しても
それは音楽にはならず、
それぞれが自分のリズムと、
音色を保ちながら、
ひとつの“流れ”を作るときに
音楽が生まれます。
人間関係も同じで、
無理に!良くしよう!とすると、
その瞬間に呼吸が浅くなり、
相手との間が硬くなる。
でも、自分の呼吸を感じ、
相手の間合いに耳を澄ませると、
自然とタイミングが合ってくることがあります。
それは努力ではなく、
「流れを聴いている」状態。
調和とは、
合わせる技術ではなく、
流れの中で“共に揺らぐ”感性のこと
なのです。
だから、
関係がうまくいかないときは、
無理やり頑張って距離を詰めるよりも、
一度スペースを取るほうが
調和に近づくこともあります。
人との関係には、
近づく間もあれば、
離れることで保たれる間もあるんですね。
どちらも同じリズムの一部です。
その視点で見ると、
「うまくいっている」
「いっていない」も、
実はひとつの大きな調和の中の
波のようなもの。
私たちは、
その波に逆らうのではなく、
ただ“感じながら揺れている”だけ
でいいのかもしれません。
明後日は中盤になります。
軽く感じる方はお楽しみに。^ ^
こんにちは。
今日は、
スペース編(前半)です。
空間を空けると、流れが戻る?って話です。
目には見えない「流れ」が常にあります。
けれど、部屋が物でいっぱいだったり、
予定が詰まりすぎていたりすると、
その流れはすぐに滞ってしまいます。
空間が詰まると、呼吸も浅くなり、
心の余裕も失われていく。
だからこそ、
“スペース”をつくることは、
単なる片づけや掃除ではなく、
エネルギーの通り道を取り戻す行為なのです。

たとえば、
机の上を片づけた瞬間、気持ちが軽くなる。
いらない服を手放したあと、
なぜか新しい出会いや仕事が舞い込む。
それは偶然ではなく、
空いた“間”に流れが戻った証拠。
空間にスペースができると、
そこに「呼吸」と「リズム」が生まれ、
自然と心や体の動きまで変わっていきます。
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“間を空ける”とは、
止まっていた流れを思い出すこと。
それは決して「怠ける」ことではなく、
生命の循環を取り戻すための、
いちばん自然な整え方なのです。
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たとえば、
朝起きたときに窓を開けて、
空気を入れ替える。
スマホを見ないまま、
湯気の立つお茶を飲む。
用事と用事の間に、
何もせず深呼吸をしてみる。
簡単じゃないですか?
そんな小さな“間”をつくるだけで、
体の中のリズムが静かに変わり始めます。
![]()
外のスペースが整うと、
次第に心の中にも空間が生まれ、
感じ方そのものがやわらかくなっていく。。
次回は、
そんな「外のスペース」から、
自然にひろがる“内側のスペース”に
ついて見ていきます。




























































