Blog記事一覧 > 12月, 2022 | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院の記事一覧
みなさんこんにちは!^ ^
私は今日で仕事納めです。
いつも当院をご活用して頂き、
本当にありがとうございました。
今年は、相変わらずの無料という名のpcr検査から、
意味のわからないマスク騒動、
安倍元総理の暗殺事件、
ロシアウクライナ戦争や、円安、
左肩のワクちゃん副反応、
台湾有事問題など、
たくさんのことがありましたが、
個人的には、より進歩する平和な年になりました。
運気的にも上昇の時期なので、
様々な活動を行い
休みの日は月に2日ほどのよう生活でしたが、
逆に時間を大切にし、
スマホなどに無意識に反応しないようになれました。
そんな今年最後の話は、
目標を持つことはよりも重要なものは進歩!
について。
私的には毎年目標を持つと言うことは、
特にしていません。
というか、出来ていません。笑
あくまで個人的な視点ですが、
目標は大抵が、
自分にとって難しいものや、
理想が高い設定を掲げることが多く、
そうなると、
中々続けることが困難になるからです。
それよりも、今何が出来るか?
にフォーカスして、
そこから
10パーセントでも良いから、
自分のなりたい形に近づく事を習慣化してやった方が、
進歩があると思っています。
身体や体質を改善する場合も、
やはり進歩を目指した継続が大切ですし、
経済的な成功も、
コツコツとした長期的な、
継続活動が大切です。
具体的に、
進歩とはどのように考えているかと言うと、
目の前のテーブルに、
一つの角氷があるとして、
先ずはイメージして下さい。
テーブルのある部屋の温度は、
摂氏マイナス5度。
非常に寒い所に角氷があります。
口からは白い〜息が見えます。
その中で角氷は、
マイナス4度、
マイナス3度、
マイナス2.5度、
マイナス2度になっても、
角氷はテーブルでじっとしています。
マイナス1.5度、
マイナス1度、
角氷にはまだ何の変化も起こりません。
マイナス0.5度。
頑張って温度をあげてきたのに、
何も起こらない。
だけど摂氏0度になった途端に、
そう。
氷は溶け始めます。。。
わずかな温度の差で大きな変化が始まるんですが、
その飛躍的な進歩の瞬間は、
温度を継続的に上昇させてきた結果、
起こったわけです。
1ヶ月毎日走ったのに、
どうして痩せないんだろうとか、
毎日栄養に気を遣って来たのに、
アトピーが治らないんだろうとか、
まあ、色々ありますが、
身体も人生も、大きな目標や、
潜在的に深い症状ほど、
必ず直線的な進歩は見られずに、
停滞期に見える蓄積量が必要になります。
そして、積み重ねた先に成長曲線が発生します。
どんなことも、小さな習慣、小さい決断、
小さな仕組みへの取り組み、などの、
小さな積み重ねが大切なんです。
この形や結果には現れない習慣を、
進歩と呼びます。
全ては、
それまでにしてきた様々な行動習慣の、
蓄積の進歩の結果である事が多いわけです。
(悪習もですが。)
そして継続したその行動は自分を変えます。
そして、いずれ自分だけのアイデンティティーが出来てきます。
それが見える景色をまた変えていきます。
と言う感じで、
あなたは、
来年はどんな習慣をしていきますか?
目標より習慣を大切にしていきませんか?!
せっかくですし2023年も、
一緒に進歩していきましょう!
そして当院をどうぞよろしくお願い申し上げます。。
また来年お会いしましょうー。
良いお年をお迎えください。^ ^
みなさんメリークリスマス。
今日はクリスマスですね。
私は連日勉強会です。^ ^
夜の十三商店街には、サンタクロースのケーキ売りやチキンに行列が出来ていました。
そんなサンタクロースの起源はご存知でしょうか?
サンタクロースの起源はトルコの神父です。
紀元4世紀頃に、
小さな古代都市ミラに、
ニコラウスという神父さんがいました。
ニコラウスは子供が大好きで、
優しさにあふれ、
特に両親のいない子供たちを助けていたそうです。
ある日、
3人姉妹のいる貧しい家族が、
お金がなくて、
どうしても娘を身売りしなければならないという話を聞き、
可哀そうに思ったニコラウスが、
姉妹が暮らす家の煙突に向かって、
3枚の金貨を投げ入れたそうです。
その金貨は暖炉に置いていた靴下の中に落ちて、
この金貨のおかげで娘達は、
身売りを避けることができました。
この話が東ローマ帝国時代に
子供を守る聖人の伝説として、
ヨーロッパに伝わります。
これが、
「夜中に家に入って靴下の中にプレゼントを入れる」
というサンタクロースの伝承の始まりだそうです。
では、その伝説から、
現在のサンタクロースのイメージを確立したのは、
誰か?
聖ニコラスはミュラの司教でした。
その正装である司教服は「赤」い色。
キリスト教では司教は、
自分の命を投げうってでも人々の幸福に尽くすことが役目であるとされてきました。
その覚悟を象徴する
「血の色=赤」を司教服の色と定めていたからという話が有名ですが、
真実は、
夢が無くなるような話ですが、
それはなんと、
コカ・コーラ社です。
1931年、
コカ・コーラ社が事業の宣伝に使うために、
スウェーデン人画家に、
サンタクロースを描かせます。
コカ・コーラ社の注文は、
赤と白を
基調としたサンタクロースでした。
コカ・コーラは夏だけの、
大人の飲み物でしたが、
冬にも飲める子供の飲み物としてPRしたかったのです。
こうしてトルコの神父さんから始まり、
赤い服のサンタクロースは、
コカ・コーラの販売戦略で
世界中にイメージを定着していったのです。
コカ・コーラのマーケティング戦略が無ければ、
今のサンタクロースは、
存在しなかったと言うわけです。
サンタクロースのうんちくはこれくらいにして、
今日は、あなたの成長を促進させる、
心のブロックというか、
一つの扉の開け方を書いておきます。
その扉はあなたの親御さんです。
鍵はあなたの言葉になります。
騙されたと思って、
親御さんに、こう聞いて下さい。
「お父さん、、お母さん、、
私のこと、愛してる?」
って聞いてもらえば、
きっとあなたの根幹の部分のブロックが、
一つ崩れるはずです。
深い話は長くなるので割愛します。
やるかやらないか、
信じるか信じないかは、あなた次第です!
^ ^
みなさんこんにちは!^ ^
先日、クライアントの方から多くの評判があった映画slam dunkを観てきました。
いやはや、slam dunk世代の一人としては、
確かに面白かったですね。
映画では主人公が、桜木ではなく、宮城にされてあり、宮城の視点で湘北高校バスケ部を写していました。
宮城リョウタは沖縄育ちだったんですね。
大好きや沖縄が見れて幸せです。笑
今日は来年にステージを上げるには?
について話します。
今年も残すところ僅カニなってきましたね。
もう後一週間ですよ。
そこで、つい先日に、
来年から新しいステージに立つ為に、何をしていきますか?
みたいなことを聞かれたんですが。
私的には、
常に新しい取り組みやチャレンジは日々やっているので、
これと言って思いつかなかったんですが、
丁度今、
練習していることなら話せるかなと思い、
ブログに書いてみますね。
何人かの方にはお伝えしていますが、
やり続けているのは、懐(フトコロ)の開発です。
これも書くと長くなりますが、
私のライフスタイルに、
ごきげんでいるというのがあります。
ごきげんの反対はふきげんですね。
不機嫌でいると、
やはり生命のパフォーマンスが落ちちゃうんですよ。
武術的にも、健康的にも、経済的にも、
治療家としても、人間関係的にも。
だからなるべく機嫌良く居たいわけです。
だからと言って、
毎日ゆったりと、寛いで、のほほんと、
副交感神経優位で
ワクちゃんもマスクもいらない素晴らしい環境と、
沖縄の様な温かな気温で生活をできるか?
と言われたら、
状況的に厳しいわけです。
外部環境が厳しいのは当たり前としたら、
アプローチするのは、
内部環境です。
どんな時代にでも、
そう、周りがどんだけ過酷な環境であっても、
ごきげんだった人はいたわけです。
逆にどんだけ裕福で悠々自適で、
優しいパートナーがいるような環境であっても、
不機嫌な人はいるわけです。
その違いは、
自分の心がどれだけ余裕があるか、
ゆとりがあるか、
寛いでいるかの
状態で決まります。
だからといって、
休養をとって、リラックスして、
ゆったり寛ぐ時間をつくると言うよりは、
(必要な人も時もありますが、)
私的には、
ゆったり寛ぐ身体を作りたい訳です。
その為には、圧倒的な、
フトコロなんです。
(懐とは鎖骨肩甲骨と、肋骨の隙間の空間を差します。)
懐が深いとは、
隙間がある身体だということ。
細胞に隙間があると、
息がしやすいんです。
ここが詰まると、
生きにくい、
生きづらくなる場所です。
自分を手懐けて、息深く、意気揚々と、
活き活きと生きれるように。
師匠は猫と自然なんですが。
自然を手本に生きるとは、
身体を構造どおりに動かせるかどうか、
自分の身体の構造に従っているかどうか。
猫のように柔らかく息ができるか。
このあたりは、今に始まったわけでないですが、
今も来年にかけて取り組んでいるステージですね。^ ^
と、言う事でクリスマスイブであっても、
鎖骨と腕を使って
1人でも黙々と懐深く体操やっていきます!
興味ある人は体操指導をご予約下さい。^ ^
こんにちはー。
今週も私は泊まりの研修でした。
今日は研修で少しお話しした、
国造りの基本は男女の関係性であり、
大元である、
大切な人と仲良く生きていくにはについて。
男女に関わらず、
あなたが大切な人と仲良く生きていくには、
先ずその人が、
色々言ってたとしても、
選択する際の判断基準を知ることが
大切になります。
何かを選択するときに、
みなさんは何を基準に、
軸にされていますか?
この基準にしている軸の違いが、
他人との交流する際に、
誤解を生んだり、
ケンカになってしまったり、
良いも悪いも、
刺激的な摩擦になる訳ですね。
しかも摩擦から火がつくほどの際には、
必ず自分が正義で、
他人の方が間違っていると、
傲慢に思っていたりするので、
面倒くさくなったり、
嘘をついたり、無視したり、と
相手の話を聞く耳が消えてしまいます。。。
確かに!🦀
自分の判断基準だけでは、
常に皆さんは正義であり、
間違っていない訳です。
だから、
選んでいることに、
間違いはないとか、
私はすべて正しいのだ、
とかを具体的に言うならば、
自分の判断基準の中では!、
という条件の元での話になります。
判断基準の中で特に多いのは、
損か得かとか、
好きか嫌いか、
楽しいか楽しく無いか、
などでしょうか。
何が正しいとか、
どちらが幸せになれるとかいうことは、
状況によって違いますが、
人はそれぞれに大切に思っている判断基準が、
人生が長いほど違ってくるのは
当たり前になってきます。
細かくはカウンセリングになりますが、
おおまかに何かを選ぶとき、
だいたいのパターンがあります。
例えば、
どちらを選んだら、より〜〜か?
の、
〜〜の部分に、
あなたの思いつく基準になりそうな言葉を入れてみて下さい。
素敵な言葉で思いつくのは、
どちらを選んだらより自然か?
どちらを選んだらより面白いか?
どちらを選んだらより安心か?
どちらを選んだらより快適か?
どちらを選んだらよりかっこいいか?
どちらを選んだらより成長できるか?
どちらを選んだらより得するか?
どちらを選んだらより喜んでもらえるか?
どちらを選んだらより能力を発揮できるか?
どちらを選んだらより希望を持てるか?
どちらを選んだらより美しいか?
どちらを選んだらより楽か?
どちらを選んだらよりご機嫌か?
どちらを選んだらより健康的か?
どちらを選んだらより将来的か?
どちらを選んだら、、、、
と、いくらでも出せますが、
こんな風に様々な価値基準を軸して、
人は物事を選択し生きています。
今楽しいかどうかを基準にしている人と、
将来的に安心して生きていく事を基準にしている人は、
そもそもの判断基準が違うわけでして。
結局のところ基準が違えば話にならないわけです。
だからアドバイスも個人によって変わってくるのですね。
今まであなたも、
重大な決断から、
日常の生活の中での何気ない選択まで、
必ず何らかの選択基準を持っているはずです。
そこでもしも、
家族や同僚、上司や部下、彼氏彼女、友人などと、
上手く関係がいっていないようならば、
先ずは相手の選択基準はなんなのか?
をさりげなく聞いてみて下さい。
自分の選択基準と、
相手の選択基準の違いがわかれば、
なるほど、だから過去の活動はそうだったのかーと、
だけど、
そこを改めて見つめ直し、
それらの基準について話し合ってみると、
こちらの話が伝わり易く、
また相手の話も理解し易くなりますよ。
男性は将来性を軸にしている軸をもとに話をしますし、
女性は現在の気持ちを軸にして考えを話す方が多い特徴がありますから、
その両方の軸を前提に話合い、
両方が混ざり合って、
未来に夢を持ちつつ、現在を楽しむみたいな。
そんな新しい判断基準をつくれる関係性ならば、
ずっと素敵な時間を過ごすことになりそうですね。
^ ^
私のオススメは、
どちらがより信頼し合えるか?
と言う判断基準ですね。
そこからスタートして進んだ判断パターンは、
いわゆる幸せや愛されが手に入るのではと
思っています。
こんにちは。
12月に入りピリッとした空気になってきましたね。
寒いと一日の終わりのお風呂が気持ち良いです。
10分位浸かっていると、
色んな緊張が解けてくれます。^ ^
今日は、
苦境を乗り越える人
について。
日本古武術には、
生きていることが既に成功しているという考え方があります。
正確には「生き残る」ことが
成功だという視点です。
映画アルキメデスの大戦で、
負け方を知らない日本人が、
生き残るために、
負けることを選択するシーンがあります。
普通の戦争や戦場も同じことで、
そういった最中にあっては、
どんな手段をとっても、
生き残ることが無二の成功だと。
その視点から見てみると、
すでにそうした世界でいうところの
「成功」を収めていると言えるというわけです。
そこからの前提を踏まえて、
今をどう捉えていくのかは、
美しい生き方に繋がっていきます。
美しい生き方とは?
美しい受け身に現れる。
という日本独特の風流があります。
何か事故や病気、もしくは経営が上手くいかないといったことが起きたとしましょう。
そこで、
起きたことを受け容れる
と、
ただ受け身的に受け容れる
との違いはわかりますか?
後者の「ただ受け身的に受け容れる」
というのは、
受け入れるという言葉を使った諦めです。
「もう〇〇やしー、じゃあーないし、無理やしー、このままでいいや」
と言った感じになります。
前者の
起きたことを受け容れるというのは、
諦めるのでも、
何かを失ってしまったと捉える訳でなく、
今ここで私の世界に、
新しい条件や、制限やルールが与えられたのだ。
という能動的な受け身です。
言葉では同じ受け身でも、
中身が違えば、行動は変わります。
前者では、
今この与えられた新しい制限の中で、
どうやって幸せに生きていこうか
と工夫が始まります。
制限という型があるから工夫が生まれて、
土台ができ新しいものが生まれるのですね。
結果的により成長し、
幸せになっていくのです。
何もかも思いのままの人生が寂しすぎて、
人は宇宙を作ったという仮説がありますが。
例えばスーパーマリオみたいなゲームでも、
裏技でずっと無敵が楽しいのは最初のうちです。
ずっと無敵だけだと、
そのうち飽きてしまいます。
ゲームの中で、何らかの制限やルールがあるから面白いわけです。
昨晩もサッカーが盛り上がってましたが、
サッカーが楽しいのは、
手を使わないというルールがあるからです。
約束しているからです。
無いもののせいで今の自分が苦しんでいる
と思うのは、
サッカーで、あの時、手が使えたら得点できたのに
と悔しがるようなものです。
手を使えないという制限やルールがあると、
だから、
どうやって脚を頭を上手く操ろうか、
身体をどう動かそうか、
どこに新しい軸を作ろうか
と創意工夫します。
それが楽しいことであり、
そのことで成長し、進化してゆきます。
大きな病気や、事故、
経済的な破産を機会に、
人生が大きく好転している人は、
そこでそれに対して、
能動的な新しいルールの受け入れをしたわけです。
苦しい逆境が人を成長させるのではありません。
苦しい逆境に遭遇した時に、
そこで失ったもの、時間や、身体や、お金やらを悔むのでなく、
そこから新しいルールとして、
受け容れることをできた時に、
人が成長していく型になるわけです。
そういう意味では、
人生で自 ら に 型やル ー ル を 課 し、
尚且つそこで楽 し ん で い る 人は、
最高に自由な人と言えますね。^ ^