Blog記事一覧 > ogino-sekkotsu | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院の記事一覧
こんにちは。
今回は「リトリート」というテーマです。
ただ、なんか難しくなっちゃったかもで。
すみません。
とりあえず、
身体と自律神経、
そして今の季節の視点から
紐解いてみたいと思います。
リトリートと聞くと、
どこか遠くへ行き、
非日常の中で休息をとるイメージが
あるかもしれません。
ですが、
その本質は
「どこかへ行くこと」ではなく、
元の状態に戻っていくことにあります。
春になると
春眠暁を覚えず。
と言われるように、
強い眠気やだるさを感じる方が
多くなります。
たとえば、
生まれたばかりの赤ちゃんは
1日に17時間も眠ると言われていますが、
起きている間に受ける視覚や
聴覚の膨大な情報を処理するために、
頻繁に意識をシャットダウンして、
脳内で整理整頓を行っている時間なんですね。
実は、今の私たちの身体にも、
これと全く同じことが起きています。
春は、
景色に色が増え、
新しい匂いや音が生まれ、
社会的にも人間関係も交差する季節。
空気も濃密になり、
脳に入ってくる「情報量」が
爆発的に増えます。
脳はその情報を処理するために、
強制的なシャットダウン、
つまり眠気を要求しているのです。
同時に、
冬のあいだ寒さから身を守るために
固めていた皮膚の境界線が、
少しずつほどけていく移行期でもあります。
だから、
春の眠気やだるさは
不調ではなく、
身体が自らスペースを作ろうとしている
正常なサインなのです。
春の風物詩である「お花見」も、
実は日本人が古来から無意識に行ってきた
リトリートの一つかもしれません。
日常の建物や街のノイズという「圧」を、
圧倒的な桜の淡い色が覆い尽くす。
あの色の空間に包まれることで、
自分と外の世界との境界線が曖昧になり、
強制的に「個」から
「空間の一部」へと意識が移っていきます。
桜の下でふっと身体が緩むのは、
強烈なスペースの確保が行われているからです。
スペース、余白、間、
これらは、勝手に自律神経を調律する働きがあります。
お花見で余白をつくる。
素晴らしい文化ですね。
話は変わり、
よく山が良いか、海が良いか?
みたいな質問をされることがありますが、
答えは、
どちらも良いです。^ ^
どちらも
自然自体に自律神経は調律する働きがありますから。
ただ、自律神経を調律する時、
特徴としては、
大きく二つの働きがあります。
例えるならば。
山は「充電」。
重力に対してまっすぐに立ち、大地に根を張り、内にエネルギーを集める垂直のエネルギー。
そして、
海は「解放」。
境界をほどき、外との区別をゆるめていく水平のエネルギー。
特に海のような水平線は、
脳の認識の枠を外し、
身体の中に広大なスペースを生み出します。
と、するなば、
情報と外圧でキャパシティが
いっぱいになっている現代の人達が、
無意識に強く求めているのは、
何かを足すことではなく、
海のような力がもたらす圧倒的な「解放」かも
知れませんね。
ただ、
わざわざ遠くの海へ行かなくても、
日常の中でこの「海の解放」を
起こすことができます。
![]()
それが「ゼロ圧」の感覚です。
私たちはストレスや外圧にさらされると、
無意識に自分を守ろうとして、
皮膚という境界線をバリアのように固く張ってしまいます。
壁があるからこそ、
外からの情報がぶつかり、
重さや摩擦と私が生まれるのです。
そんな私という
限られた器の中で情報を処理しようと
頑張るのではなく、
むしろ
その境界線を溶かしてしまうこと。
自分が何かを受け止める
個別の存在ではなく、
意識を水平線のように広げ、
空間そのものになる。

自らが透明な空間に溶け込んでしまえば、
春の膨大な情報も、
日常の重圧も、
引っかかる場所がなくなり
スッと透過していきます。
摩擦も、
重力さえもです。
春の眠気も、
動けない時間も、
無理にコントロールして
整えようとする必要はありません。
「今はまだ不完全だ」
という前提を手放し、
起きている反応をそのまま置いておく。
日常生活の中ふと立ち止まり、
何となく息を吐ききって、
内側に広がる静かな水平線を感じてみる。
あなたが勝手に空間になっている際に、
身体は自然と、
最も心地よいゼロの状態へと
調律されていくはずです。
こんにちは!
お彼岸も過ぎて、
少し間が空きましたが、
今日は大切なことをひとつ書いてみます。
人との関わりの中で、
「しんどくなる人」と
「自然にいられる人」
この違いって、気になりませんか?
栄養や文化などだけでなく、
また技術や性格の問題だけでもなく、
更に奥の深いなところに、
一つの違いがあります。
それは、
「境界線」と「間」です。
一般的に境界線というと?
距離を取ること
相手と自分を分けること。
のように思われがちですが、
本質は少し違います。
境界線とは、
切るものではなく、
“間(あいだ)を持つこと”です。
人と人のあいだにある、
ほんの少しの余白。
触れてはいるけれど、
混ざっていない状態。
この「間」があるかどうかで、
人との関わりの質は大きく変わります。
この間がないと、
相手の感情や空気をそのまま受け取ってしまい、
自分のことなのか、
相手のことなのかがわからなくなります。
周りの空気に巻き込まれる
誰かの機嫌に左右される
必要以上に気を使ってしまう
こういった状態は、
「優しさ」ではなく、
優しさと思っていたものが、
ただ巻き込まれている状態なのかもしれません。
では、
なぜこの「間」がなくなるのでしょうか。
一つは、身体の緊張です。
身体が常にこわばり、
自律神経が過敏な状態になると、
外からの刺激をすべて拾ってしまいます。
いわば、
境界のセンサーが開きっぱなしの状態です。
もう一つは、安心感の不足です。
安心があると、
外の出来事が起きても必要以上に巻き込まれません。
しかし安心が弱いと、
無意識に外に同調し、
自分の中心が外側に引っ張られていきます。
その結果、
出来事に振り回される生き方になっていきます。
本来の状態は、
そのようなものではありません。
嬉しい、嫌だ、
うまくいった、いかなかった、
そういった反応が起こる前に、
もっと静かな場所があります。
思考が動き出す前の「間」。
その場所には、
すでに満ちている感覚があり、
何かを足さなくても成り立っている
状態があります。
境界線とは、
この「間」に戻れるかどうかでもあります。
頭で「これは自分、これは他人」と
分けるのではなく、
間に戻ることで、
自然と混ざらなくなる。
そのとき、
自然と境界線が整っていきます。
だからこそ、
境界線は考え方ではなく、
身体から整えていくことが大切です。
呼吸が静かに戻り、
身体の力が抜け、
足の裏や重さを感じられるようになると、
自然と「間」が生まれてきます。
その状態で人と関わると、
無理に頑張らなくても、
ちょうどいい距離で関わることができるようになります。
施術をしていても、
この「間」が戻ると、
身体の緊張がふっと抜ける瞬間があります。
人とつながりながらも、
自然体でいられる状態。
それが、
「間に生きる」ということかもしれません。
もし今、
人との関わりで疲れていると感じるなら、
「どう関わるか」ではなく、
「どの状態で関わっているか」
そこに少し意識を向けてみてください。
境界線は、
引くものではなく、
もともとある「間」に戻っていることに
気づくことなのかもしれません。^ ^
こんにちは。^ ^
花粉症や大きな気温、気圧の変化で、
肝臓への負担が強まる時期ですね。
寝違え、身体のつり、
口腔内の炎症、
急なギックリ腰に気をつけておきましょう。
今日は、
呼吸が浅い人の“意外な原因”です。
整体をしていると、「この方、呼吸が浅いな」と感じることがあります。
肩こりが続く方や、
疲れが抜けにくい方に多い印象です。
呼吸が浅いと言われると、
「肺の問題なのかな?」
と思われる方も多いのですが、
実は呼吸は
肺だけの問題ではないんですよね。
呼吸は、身体全体を動かしている、
リズムでもあります。
それは海のように、
呼吸は全身に広がる“波”です。
息を吸うと、
横隔膜という筋肉が下に動きます。
すると
肋骨が広がり、
内臓がゆれ、
背骨がわずかに動き、
骨盤底も連動します。
この動きは、
筋膜を通して
全身に波のように広がっています。
呼吸は、
身体の中を流れているんです。
そんな呼吸の中心になるのが
横隔膜という筋肉です。
横隔膜は、
心臓や
肝臓、
胃や、
腰椎など、
多くの組織とつながっています。
そんな横隔膜の動きが小さくなると、
呼吸だけでなく、
血流から、
消化機能、
姿勢制御、
自律神経のバランスまで、
様々に影響していきます。
そう、意外な原因は横隔膜でした。
では、
横隔膜が硬くなる原因とは?
これも複数が混ざり合っていますが、
何らかの思い込みや、
運動不足により、
肋骨が固くなった結果、
デスクワークや
スマホ姿勢が続くことで、
胸が丸まりやすくなった結果、
食べすぎや栄養バランス失調による、
胃や腸などの内臓からお腹が緊張した結果、
職場や人間関係による緊張からの、
交感神経が優位になって、
血管が縮んだ結果、
血糖が不安定により、
アドレナリンなどの
ストレスホルモンが出して、
筋肉を緊張させた結果、
横隔膜を、
硬くさせる原因も多岐にわたります。
そして呼吸が浅いと言われると、
「深呼吸しなきゃ」
と思う方も多いと思います。
ですが。
実際は、無理に吸うことよりも、
呼吸が通る身体を作ることの方が大切です。
状態としては、
肋骨を動くようにし、
背中をやわらかして、
お腹は柔らかくゆるんでいる。
こうした状態になると、
呼吸は自然と深くなっていきます。
呼吸は、
一日中続いている動きです。
だからこそ、
身体の状態がそのまま呼吸に現れます。
もちろん身体が整うと、
呼吸は自然と変わります。
呼吸も
身体からのメッセージ。
整体では、
この呼吸の通りやすさを大切に見ています。
セルフやるには立ち方でそれをつくる訳ですが、それはまた院で受け取れる状態で伝えます。^ ^
こんにちは。
今日は雨ですね。^ ^
低気圧でなんとなく身体が重いと感じている方も多いのではないでしょうか。
頭が痛い。
首や肩がこる。
めまいがする。
やる気が出ない。
気分まで沈みがちになる。
それは気のせいではなくて、
この時期は気温だけでなく、
気圧が大きく上下します。
気圧が下がると、
内耳がその変化を感知し、
脳幹を通して自律神経に影響が及びます。
その結果、
先ず交感神経がやや優位になり、
血管や筋肉が緊張しやすくなります。
ここまでは、
よく知られている話かもしれませんね。
ですが、
本当に注意したいのはその先です。
気圧によって揺れている神経に、
血糖の乱高下が重なるとどうなるでしょうか?
血糖が急に上がると、膵臓から
インスリンが分泌されます。
その後、血糖が
急に下がると、
身体は低血糖を防ぐために
アドレナリンやコルチゾールを分泌します。
これは、
身体にとって軽いストレス反応です。
つまり、
気圧によるストレスの他に、
血糖によるストレスが重なり、
副腎は二重に働くことになります。
その状態が続くと?
頭痛が起こりやすくなり、
関節が痛みやすくなり、
気分も不安定になりやすくなります。
イライラや不安感も、
意志の弱さではなく、
生理学的な反応であることが
少なくありません。
季節の変わり目にしんどくなる方は、
代謝の土台が少し揺れている可能性があります。
血糖を安定させるためには、
朝にたんぱく質をしっかり摂ること。
炭水化物だけの食事を避けること。
甘いものは単独で食べないこと。
空腹時間を長くしすぎないこと。
そして、
野菜から食べることも、
血糖を安定させる一つの方法です。
ですが、
順番だけにこだわるよりも、
たんぱく質と脂質をしっかり含めた、
食事全体の設計が大切です。
特別なことではありません。
ただ、安定させる。
それだけです。
気圧は変えられません。
ですが、血糖の安定は
整えることができます。
季節の変わり目は、
頑張る時期ではありません。
攻める時期でもありません。
土壌を整える時期です。
血糖が安定すると、
神経が落ち着き、
炎症がやわらぎ、
回復力が戻ります。
命綱は、外ではなく、
身体の内側にあります。
今日のような雨の日こそ静かに整えていきましょう。^ ^
こんにちは。
今日はすり減らない身体について。
頑張れば進めれる!
気合いを入れれば、成果も出せる!
評価もついてくる!
でも?
どこかで乾いてくることはありませんか?
達成しているのに、
満たされない。。。?
それは性格の問題でも、努力不足でもありません。
もしかすると、いつもお話している
神経の順番が、少し入れ替わっているだけかもしれません。
身体は脳の認識よりも、
いつも先に知っています。
呼吸が浅い。
眠りが浅い。
お腹が固い。
甘いものがやめられない。
しかも、
イライラが増えてて、
焦りが強くなっていて、
新しい刺激を求めてしまう。。。
身体は、静かにサインを出しています。
それでも多くの場合は、さらにアクセルを踏んでしまう。
学校教育で、
真面目な人ほど、そうなりやすい。
刺激は悪くない。
挑戦も成功も、
悪いものではありません。
ドーパミンはエンジン。
進むための大切な力なんです。
でも、エンジンだけでは長く走れません。
土台が必要です。
土台とは何でしょうか?
具体的には、
血糖が安定していること。
腸が静かであること。
副腎が落ち着いていること。
皮膚が安心していること。
などです。
どれも派手ではありません。
SNSにも映りません。
でも、
ここが整っていると心も揺れにくくなります。
ここが崩れると、
どんな成功もどこかで苦しくなります。
腸は境界。
腸は、外と内のあいだです。
ここが疲れていると、
間が埋まって、
世界に対しても少し警戒が増えます。
呼吸が浅くなり、
知らないうちに力が入ってしまってる。
そして安心が減ると、何かの動画や、
何かのイベント、
とりあえず手っ取り早い刺激で埋めたくなる。
でも本当に必要なのは、安心、
そのものかもしれません。
血糖は感情の地盤です。血糖が落ちると、
交感神経が立ち上がります。
焦る。
怒る。
不安になる。
それは弱さというよりも、
エネルギー不足ってこと。
土台が揺れているだけです。
整えば、
気持ちも自然に落ち着いてきます。
触れるという回復、
強い刺激ではなく侵入しない触れ方。
ゆっくり、ふわっと、あたたかく。
皮膚が安心すると、
脳の感情を司る扁桃体が静まり、
内臓へ巡る迷走神経が戻ります。
身体は思い出します。
守らなくても大丈夫なんだと。
そこから回復は始まります。
副腎が疲れていませんか?
成功欲求の奥にあるのは、安心したい気持ちでは無いですか?
慢性的なストレスは、副腎を静かに消耗させます。
疲れているときほど、
成果を求めてしまうんです。
それも理由は簡単で、
認められれば安全だと、アタマが思い込んでいるから。
でも本当に必要なのは、
楽しいとか、役に立つとか、自信がどうとかではなくて。
休める神経です。
守られながらやってくる順番は、
先ず整う。
いわゆるセロトニン的な「安定」
朝日浴、リズム運動、深い呼吸、
腸内環境への食事。
↓
そしてつながり。
オキシトシン的な「つながり」
信頼、安心できる関係で触れられること。
↓
そして淡々と動くです。
仕事、勉強、遊び、エンジョイ。
ドーパミン的な活動です。
この順番を守るだけで、挑戦は続きます。
順番が逆になると、
どこかで燃え尽きます。
ですので荻野接骨院は、
治す場所というより、取り戻す場所です。
呼吸を。
体温を。
安心を。
何かを足す前に、
何かを証明する前に、
身体がそっと静かであること。
その上に、
仕事も、夢も、成功も、自然に乗っていきます。
最後に、
もし少しすり減っているなら、
刺激を増やさなくて大丈夫です。
まずは、
血糖を整え、
腸を休め、
副腎をいたわり、
触れられてゆるむ。
すると不思議と追わなくても進んでいます。
満たされている身体は、
強いんです。
焦らないんです。
そして、壊れにくいんです。^ ^
こんにちは。
立春も訪れて、
新しい春がやってきましたね。
今回の内容は、
「治してほしい」から「整えながら生きる」へです。
身体が痛くなったら治す。
とか、
悪くなったら治療する。
とか。
これらは当たり前のようで、
実はとても現代的な考え方かもしれません。
健診で異常がない。
病名がついていない。
だから健康。
でも、実際の現場ではよくあります。
検査は正常。
けど、しんどい。
数値は問題なし。
けど、身体が重たい。
「病気じゃない=元気」
とは限らないんですよね。
臨床で、
よく聞かれる質問があります。
「何が原因ですか?」
「何をしたら治りますか?」
その気持ちは自然やと思います。
でも正直に言うと、
身体の不調はほとんどの場合、
ひとつの原因だけでは起きません。
神経。
血流。
内臓。
呼吸。
栄養。
睡眠。
感情。
我慢や思考のクセ。
気温や見えない電磁波など。
いろんなものが重なり合って、
今の状態ができています。
だから
「これが原因です」
「これだけやれば治ります」
という答えの方が、
実は不自然なんです。
病気の域に入ったときは、
医療による治療が必要です。
これは大切なライン。
ただ、それよりもっと手前の世界があります。
それが
日々の暮らし。
毎日の姿勢。
呼吸の浅さ。
スマホを見る角度。
寝る時間。
食べ方。
人に気を遣いすぎる癖。
そういう積み重ねが、
静かに身体をつくっています。
そう、これは「治療」ではなく
「養生」と呼べる領域。
整体も本来は、
治す場所というより
整えて、
気づく場所やと思っています。
でも、
「私は身体の専門家じゃないから」
そう言って、その身体を
全部誰かに預けてしまう人も多いです。
でも本当は、
その身体に一番長く向き合っているのは誰なんですかね?
違和感に気づくのも、
疲れを感じるのも、
無理してるサインを受け取るのも。
自分って呼んでるもの。
ですよね。
専門家に任せる前に、
ちょっと立ち止まって
その身体に興味を向けてみる。
それだけでも、
身体から少し静かさが伝わってきます。
施術でよく感じるのは、
身体は生活だけで固まるんじゃなくて、
「無意識の緊張」
「守ろうとする力み」
でも固まるということ。
がんばりすぎてるとき。
我慢してるとき。
気を張り続けてるとき。
首やお腹や骨盤に、
それが現れることもあります。
そんな時に大事なのは、
治してもらう、よりも
整えながら生きる意識。
完璧じゃなくていい。
ちゃんとできなくてもいい。
ただ、
その身体を
雑に扱わない。
それだけでそれだけで、身体は少し安心するんです。
「治してほしい人」から
「整えながら生きたい人」へ。
その変化は、
ゆっくりで大丈夫。
身体はちゃんと、それについてきます。
応援してます。
こんにちは!
今日は興味深い、
江戸時代の武士の在り方からみた、
お話をギフトさせて頂きます。
江戸時代、
侍達は刀を腰に差して生きていました。
だけど、実は刀って、
「抜くため」だけにあるものでは
なかったらしいんですよね。
実際使うのは、
親や師匠の敵討のみ認めるみたいな、
法律があったみたいで。
当たり前なんですが、
町人とぶつかったりしたからと
本当に抜いてたら、
相手が傷つきますし、
場合によっては、命が終わる。
そして罪として牢屋行き。
だからこそ、
侍の世界には「抜かずに済ませる」
ための文化があったんだそうです。
使わずに、
武士の在り方を現す
といった立ち位置。
だから、
争う前に勝負をつける。
戦う前に場を収める。
言い換えるなら、
強さとは「勝つこと」よりも、
争いを起こさない“構え”にあった
とも言える話なんです。
最近、とある対談の中で
武士達が、右側を歩くのは、
『私は抜きません』という所作を表していた
みたいな話が出ていました。
これが事実かどうかは置いといて。
この話、
ものすごく象徴的で面白くないですか?
実は現代でも、
みんな刀を差して生きている。
ただ、形が違う。
現代の刀は、鉄ではないです。
なんだと思いますか?
それは、
現代の刀は、
「正しさ」でしょうか。
正しさは、めちゃくちゃ切れます。
しかもすぐ抜ける。
居合術者もびっくりするくらい。
むしろ、抜く方が簡単。
場面としては、
夫婦の会話で。
親子の会話で。
職場の空気で。
SNSのコメント欄で。
相手の言葉に引っかかった瞬間、
こっちは一瞬で刀を抜ける。
「それは違うやろ」
「普通こうやろ」
「常識的に考えて」
「なんで分からへんの?」
「私の方が正しい」
「あなたが間違ってる」
「謝るべき」
「改めるべき」
これらは全部、
正しさの刀に見えませんか?
切れ味抜群!!
その場では勝った気になる。
でもそのあとに残るのは、
相手の傷だったり、
場の凍りつきだったり、
関係の距離だったりする。
正しさを抜くと相手は切れる。
それだけやなくて、自分も切れる。
自分が作り出した「正義」に
自分が縛られて、
戻ってこれなくなる。
おもしろいのは、
正しさって「自信」から抜くんじゃない事がわかってて、
むしろ「不安」から抜くことが多いみたいで。
分かってほしい。
否定されたくない。
大事にされたい。
安心したい。
認められたい。
守りたい。
その感情の奥にある不安が、
正しさの刀を抜かせる。
正しさって、
相手を斬るためにあるんじゃなく、
自分の不安を守るために抜きたくなるもの。
だからこそ、
「右側を歩く」って比喩所作が、
今の時代に効いてくる。
右側を歩く。
それは、
正しさを抜かない所作。
抜けるのに抜かない。
言い返せるのに言い返さない。
論破できるのに論破しない。
黙って突き放せるのに、突き放さない。
勝てるのに勝ちを作らない。
これは弱さじゃなくて、
むしろ、強さに見えませんか?
正しさを抜かないというのは、
相手に負けることではないんですね。
「勝ち負け」の土俵に乗らないということ。
争いの世界線に入らないということ。
よくあるのが、正しさを抜かへんと、
「自分が負けた気がする」
って感じるパターン。
でも実際は違います。
正しさを抜くと、勝てるかもしれません。
けど、関係は負けます。
空気は負けます。
未来は負けます。
そして最後、自分の心が負けています。
抜けるけど抜かない。
この間、余白があるだけで、
余計な摩擦や、大切にしていた関係が
終わらなくて済むかも知れません。
これは整体の施術にも似ています。
身体を変えるために、
圧という刀は、簡単に抜ける。
効かせることもできる。
その場で変化を出すこともできる。
それらも時に必要な場面もあります。
でも、
抜かない方が深く整う時があるんです。
圧で変えるんじゃなくて、
安心の場を作って、
身体が勝手に戻るのを待つ。
「技で勝つ」ではなく、
「整いが起きる世界線を選ぶ」。
それはある意味、
現代の“無刀取り”みたいなものかもと思ったりしてます。
正しさってのは、手放すのは難しい。
なぜなら、
正しさは気持ちいいから。
自分が正しいと思えた瞬間、
一瞬だけ不安が消える。
でも、その気持ちよさには代償があるのでした。
相手との距離。
場の緊張。
心の硬さ。
だから今日、
ひとつだけ提案してみます。
現代の刀は「正しさ」。
そして右側を歩くとは、
正しさを抜かない所作。
抜けるのに抜かない。
してみません?
これができた時、
勝ち負けとは別のところで、
世界が静かに整い始めるかも知れません。。
争いを終わらせるのは、
言葉や理屈よりも、
所作かもしれませんよ。
あなたの今日の一歩が、右側になりますように。^ ^
こんにちは。
お正月と言う特別な時期から、
日常へとリズムは整ってきましたでしょうか?
今日は細胞の中にいて、
エネルギーを作り出してくれている、
ミトコンドリアについてです。
最近になって、
「ミトコンドリアが大事」という話をよく耳にします。
確かに、
ミトコンドリアは、
エネルギーを生み出すとても重要な存在です。
疲れやすさや、
回復力の低下を語るときに、
避けて通れないテーマやと思います。
ただ、
少しだけ立ち止まって
見ておきたいことがあります。
身体を発電所と配線に例えてみます。
ミトコンドリアは
発電所の役割。
でも、
発電所がどれだけ元気でも、
配線が絡まっていたり
途中で漏電していたり
スイッチが入りっぱなしやったりすると、
電気は
うまく必要な場所まで届きません。
実際の身体でも同じことが起きています。
眠りが浅い
呼吸が詰まっている
常に緊張している
血糖の波が大きい
不安や焦りが抜けない
こういった
「配線側の乱れ」がある状態で、
ミトコンドリアを上げる・活性化する
という刺激だけを入れると、
エネルギーは増えても身体は楽にならず、
逆に、
ソワソワしたり
眠れなくなったり
落ち着かなくなることがあります。
これはサプリメントでも同じです。
COQ10
NMN
NAD+
これらは良い・悪いで分けるものではなく、
身体に入る「刺激」として捉えた方が
分かりやすいと思います。
刺激はその人の状態によって全く違う反応を起こします。
楽になる人
動きやすくなる人
呼吸が深くなる人
そういう方もいれば、
ソワソワする
目が冴えて眠れない
気持ちが落ち着かない
そうなる方もいます。
この違いは、
ミトコンドリアが良いか悪いかではありません。
多くの場合、
エネルギーが増えた分だけそれを制御する
神経・血糖・ホルモン・炎症の
バランスの弱さが表に出ているだけです。
発電量の問題ではなく、流し方の問題です。
身体は頑張らせるほど元気になるとは限りません。
むしろ、
静まる
緩む
抜ける。
そういう方向を求めていることも少なくありません。
整体でも
栄養でも
先ず大切なのは、
何かを足すことより邪魔を減らすこと。
流れが整えば、ミトコンドリアはこちらが意識しなくても自然に働き始めます。
ミトコンドリアは大切です。
でも主役ではありません。
主役は今この瞬間の身体の状態です。
本来ならば、
エネルギーは作り出すものというより、
整った状態から自然に湧き上がってくるもの。
そんなふうに捉えてみても
いいのかもしれません。^ ^
こんにちは!
今日のタイトルは、
若いうちから健康を意識したほうがいいの?
です。
これを正月明けの身体から考えてみてみましょう!^ ^
今日は1月3日です。
年末年始は、
食べすぎたり、飲みすぎたり、
知らん間に生活リズムが少し乱れた人も多いと思います。
まあでも、それでもいいんです。(^^)
お正月ですから。笑
ただ、ここでひとつだけ。
それは、
身体の感覚に目を向けてみてほしいんです。
例えば、
胃が重いとか、
体がだるいとか、
朝が起きにくいとか?
むくみやすくなってるとか。
これらは「失敗」ではなく、
実は、
身体がちゃんと反応しているサインです。
正直に言うと、
健康を意識するのは、
体を壊した時でも、
頑張る時でもなく、
こういう「ズレたあと」が
一番やりやすいはずです。
健康って、構造が
お金の投資と少し似ています。
一気に何かを変えなくても、
ほんの少し整えるだけで、
あとがかなり楽になります。
ただし、
身体の投資にはひとつ特徴があります。
それは、後戻りがしにくいということ。
若い頃は多少の無理がききます。
食べすぎても、
寝不足でも、
「まぁ大丈夫」と感じられるかもしれません。
でもそれは、
回復しているというより、
体力でカバーしているだけの場合が
ほとんどです。
体を壊してから始める健康対策は、
プラスを増やすというより、
マイナスを減らす作業になりがちです。
だからといって、
正月明けにストイックになる必要は
ありません。^ ^
いきなり食事を制限しなくていい。
無理に運動を始めなくていい。
「リセット」しようとしなくていい。
大事なのは、そう、
今の身体の状態をちゃんと感じてあげること。
「少し重たいな」
「ちょっと疲れてるな」
それに気づけるだけで、
身体は自然に元のリズムへ戻ろうとします。
でもどうせ健康を意識するなら、
「壊してから」ではなく、
「元気と不調の間」にいる今のうちに、、
が理想的かな。
年明けは、
何かを始めるより、
身体に耳を澄ませるのに
ちょうどいい時期ですね!
新年あけましておめでとうございます。
旧年中は、
荻野接骨院に足を運んでくださり、
ありがとうございました。
年の始まりですが、
今年は「頑張るような話」ではなく、
いつもお伝えしている
「間(スペース)」について
少しだけ言葉を置いてみます。
もしも今受け取れるならば、
何も感じないとか、
何も考えないとか、
何もしないとか、
そんな時間を、
ほんの少し広げてみてください。
「間」をきれいにしようとすることも、
実は余計な手出しになります。
「間」は、
もともと何もしなくても
きれいなものだからです。
水と油が、
かき混ぜなければ
自然に分かれるように。
湖面が、
風が止めば
勝手に凪ぐように。
院での施術の時間は、
何かを足すためのものではなく、
身体が本来の静けさを
思い出すための時間だと感じています。
施術では触れることもありますが、
何かを「起こそう」とするより、
身体がほどけていくのを
邪魔しないようにしています。
新しい年も、
無理に整えなくて大丈夫です。
身体に任せて、
呼吸の「間」に
少し身を預けてみてください。
本年も、
どうぞよろしくお願いいたします。
荻野接骨院
エネルギー学整体研究所
武術指導の養人塾
代表荻野




























































