Blog記事一覧 > 院長の考え方 | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院 - Part 15の記事一覧
久々に映画を見て来ました。
ジブリのメアリと魔女の花ってやつです。
映画自体はテンポが良くて、グイグイと進み、あっというまに終わりました。
ジブリの作品は自然の描写が綺麗ですよね。
風の通り吹く道から、
草むらとか、
森の木々とか、
触ったらイガイガなりそうなものでも、
映画の中では、気持ち良いソファーです。
そこに、
心地よい音楽と、
サクサクと歩く草の音。
人を支える葉っぱや枝の音。
キラキラ輝く太陽の光と花。
こんな森や場所なら行きたいなぁ〜と
思いつつも、
この前行った河川敷の草むらは、除草剤で皮膚が痒かったなぁと、実家の山では虫が凄いんだよなぁ〜と、
現実と、比べたりしてました。
そんな映画で心に響いたのは、
魔法と科学は一緒。
って台詞でした。
で、
最近私は、最先端の科学の力の凄さを勉強した所でして、
その科学のマシンを使うと、
他人の脳波をコピーしてしまい、
行動パターンや思考がその人になっていくというものでした。
なりたい人になれるというマシンですね。
映画でも、
メインの子供達は自分を変えたい、
今の自分じゃない人になりたいと願ってました。
大人達も、
他の誰かになる為の変身の魔法を、
一番難しい魔法だとして長年研究していました。
で、
ネタバレになったらごめんなさい。
最期に、
メアリは魔法なんかいらない!ってなるんですね。
そのままの自分が好きになれたからですね。
科学で便利になって、
願望実現までも科学で簡単にしてしまえる様な世界になってきてますが、
改めて、
科学に頼りすぎるのは気をつけないといけないなと、デジタルは使い方も学ばないといけないなぁと、
感じる事が出来ました。(^^)
世間ではスピリチュア的には
与えることが大事ですと言われます。
当たり前ですが、
与えないと入って来ないからです。
循環しないものは自然物としては、
エネルギーの低いモノとなされてしまい、人間ならば死んでしまいます。
と、いう事で自分は何を与えられるのか?
一度考えてみましょう。
よくある答えが、自分には何の取り柄もありません。
私には与えるものが何にも無いんです。
という答え。
実は私もそんな風に感じたりする事もありました。
でも。
本当ぉ〜〜に与えるものは何も無いですか??。
なんにもとりえがないですか?
もしもないよというのならば、
仕方ありません。
わかりました。
ならば、そのままのあなたを差し出してくださいよっ。
なんの取り柄もない、
そのあなた自身をまるごとですよ!
これ実はとても勇気がいるかもしれませんね。
人はときとしてこんなジャッジを自分に下しています。
それは、
「わたしは〇〇だから価値がない。」
っていうやつですね。
〇〇には、例えばですが、
太っているから、価値がないんだ〜
痩せてるから、価値がないんだ〜
高年齢だから、価値がないんだ〜
低年齢だから、価値がないんだ〜
などなど。
もう、いっぱい、たくさんあるかもですが。
私が辿り着いた答えは
私がそんな人間だからこそです。
あなたでいうならば、
あなたがそんな〇〇だからこそ!
そんなあなたのお陰で助かる人は、たくさんいるんですよー。
あなたが自分で思っている以上に、
この世はバランスで出来ているんです。
もう、
生きてるだけで、存在してるだけで、
誰かの役に立ててるんです。
逆に迷惑もかけてるんですが。
ここで、
大事なのは偏り過ぎない事。
もしくは、存在している事に価値があると思えるかどうか。
思えないならば、
それは謙虚じゃなくて、勉強不足。知恵不足なだけ。
思えたならば、
周りにそんな風にみてくれている人を見つけれるようになれますよ。
存在してだけで与えてる関係は、
人は支えあいの関係の中で生きてるからこその答えなんですね。
先日はサンチンという武術の型の練習で、
捻れの作用や、平等の表現をしました。
その武術稽古の後、稽古生の一人が、
こんな事を話してくれました。
「荻野先生、実は今日は武術稽古はお休みしようと思っていたんです。
だけど、ちょうど最近読んでいる刃牙という漫画で、空手家の愚地独歩という人物が、体調が整わずに襲われた時に、こんな事を言っていました。
『人間生きてりゃ飯も喰えば酒も飲むんだ。
ケガもするし病気もするだろうよ。
ベストコンディションなんて望むべくもねぇ……。』
それで、ハッと気づいたんです。
いつも体調が良い時にだけ稽古をするのは違う気がするって。
今日は絶不調ですが、稽古にでたお陰で、
楽しくまた新しい自分を見つけれました。。」
これは私自身が稽古の時に言っていた事でした。
それは、
「どんな理由があっても、
いつでも今が一番の調子良い時。
いつでも今がベストコンディション。
それが結果でもあり過程でもあり。
例えば、
事件に巻き込まれた際、
自然物である相手の方に、
ちょっとまだ私はベストコンディションじゃないから、またにして下さい。
は通用しないですよね。」
施術でいうならば、
頭が触れないならば、
お腹で、お腹が触れないならば背骨で、
背骨が触れないならば手足で、
今、どこも触れないならば空間で、
整体という手入れをする。
みたいな哲学にも繋がってきます。
それにしても、稽古生の方から自分が発言していた言葉が返ってきて、とても感動しました。(^^)
病気にならないかどうかとか、
結婚できるかどうか心配だとか、
人生なんだかんだと不安で一杯。
と、いつもしんどそうな人が陥るのが不安ですね。
人生に対して不安な気持ちになるのは、
そもそもですが、
どこかに正解があると思っているからです。
もちろん、
セミナーなんかに行くと、そのセミナーの主催者が正解ですし、
日本の世間では憲法や法律が正解。
そんなふうに、
場によって正解が用意されている時もあるけど、
正解が用意されていないものは、
作り出さないといけない時もあったりします。
たとえば、
人生の正解は?
家庭での正解は?とかですね。
そんなのは、
その時のその場で決まってきます。
では、どの場で生きていくのか?
おぎの、お前も日頃から考えとかなあかんぞ、
と、20歳頃に通っていた、
ちょー怖いスキンヘッドの武術家の先生に言われた事は、
今でも思い出したり忘れたりします。
とりあえず、
病気になりたくないとか、
不安になりたくないならば、
あわてない。
願いが叶わない〜とか、
あわてない。
結果を、あわてない事です。
今。
過程でやれる事を探しましょう。
そして、
やりたい事を味わう余裕を持つ。
そしたら、
過程の連続が、達成感をあらわし、
満足感が生まれ、
また新しい願いや結果を作り出しますから。
私も昨日は河川敷で一休みいたしました。
暑かったな。
空とは何か?
勘違いされやすいのは、無。
空は、無ではありません。
有と無の間というか、
存在している事と、存在しない事が同時に起こる可能性を示します言葉です。
有とも言えて、無いとも言える、両方の状態です。
これはゆらぎに似ています。
波と粒子の間といいますか。
ゆらぎがある時は、とても気持ち良くなります。
だけど、ゆらぎの後に、
結果という思考戻ると、
白か黒かの、二元の世界となり、
ゆらぎは見えなくなり、
現実的に今、
必要な状態へ優遇されて、現れてしまいます。
症状や状態はココロが必要だから存在しています。
その症状にフォーカスせず、
揺らいでいると、いつの間にやら消えてしまうのが自然です。
整体では、ゆらぎで終えたいのですが、
指標という現実も検査で確認します。
症状ではなく、指標で見るのは、
症状に目を合わすと、症状はココロと同調してますます居つくからです。
どんな症状があっても、
整体の検査指標に目をやってみて下さい。
良好な状態が現れてきますよ。
成長には二つあります。
一つは、もくもくと毎日努力を重ねて、身につけていく成長。
もう一つは、別に何か特別な事はしなくても、勝手に成長しちゃう成長。
前者一つしかないと思うと、
毎日が追い詰められたような切迫感と、
いつまで経っても、
足りない、出来ない、と
消えない不安に怯えさせられ易いです。
あれもこれもと、
やりたい事よりも
やらなければならない事が増え、
金銭はかさみ、
いつまで経っても満たされない、
それでいて疲労しながらも、
成長という一つの言葉で、
世間に踊らされてしまいます。
で、
後者の自然に、
勝手にいつの間にか成長するから大丈夫だという視点もあれば、
何故だか、
本当にやりたいことに時間を使える余裕が生まれてきます。
不安から動いていた時と違い、
本当にやりたい事にはお金も惜しくないし、
楽しいし、失敗しても笑えます。
行きたいとこへいき、
会いたい人に会い、
成長は結果、
気がついた時についてきます。
過程を味わえる余裕が生まれます。
そして、
何故だか色々と周りも協力してくれる運もついてきます。
なにより、生きるのがほんのり楽に感じれます。
でもどちらにも共通しているのは行動です。
そして、どちらにも偏らない、
二つの成長があるんだという、三つ目の立ち位置にいれることが理想ですね。
身体というのは生きている限り常に新陳代謝を行なっています。
要するに生まれ変わっているんですね。
身体はほぼタンパク質ですが、
そのタンパク質も、約三カ月後には丸ごと新しくなっています。
硬いイメージの骨なんかも、
だいたい一年位でリニューアルされちゃいます。
それがわかると、どんな症状や病気も、
解剖生理学的には、治らないものなんてないように思えますよね。
だけど、そうもいかない場合が多いのは何故か?
その原因が、恒常性であり、習慣であり、記憶なんですね。
量子力学的には身体の細胞一つ一つに記憶があふ事が言われだしてますが、
それが恒常性という常に同じ状態にする力として働き、物質的に変化しても、ほとんどわからないように入れ替わっている訳ですね。
そして、それに協力するものが習慣ですね。
人はこの習慣にアプローチする事が許されています。
習慣は頑固な記憶や恒常性を変化させれるエネルギーです。
男は40代になったら、自分の顔に責任を持てと言われますが、顔は習慣の宝庫になるわけですね。
今日でゴールデンウィークも終わりの人がほとんどですかね?
って事で、
関係ないけど、
ちょっと哲学的な話をします。
道教なんかでは自然は無から生まれたというけれど、
無は何から生まれるのかな?
私は海が大好きでして。
夏は必ず海に行きます。
海は色々な事を教えてくれます。
海は、波を矯正したりはしないで、そのままで許容しています。
その場に大きさが違う波が来ても、
平均の波に合わせろとも言わない。
日本人は刺激を求めるけど、
みんなと同じ位が好きだったりする。
その場に耐えきれないほどの悲しみや痛みが現れても、
おおもとの海が波によって壊されたりしない事がわかっているかの様に見えます。
海は、あらゆる波をあるがままに許容し、
許容された波も、また
自然に海に戻っていく。
海と波は一体の存在。
ですよね。
じゃあ、海と波を別の存在にさせたのは誰かな?
最近ここ一番位、悩むような選択をお世話になっていた人からもとめられました。
選択にはかなり悩みました。
すぐに正解がわかると錯覚しやすい現在社会では、
時には悩み、葛藤することを忘れがちです。
悩みや葛藤が
人生の醍醐味になるというか、深く味わえるスパイスとして、
成長につながる事は多くあります。
今回の選択次第で人生はまったく変わってしまうなぁーという、よく出来たストーリーでの決断。
あーあ。
よく当たる占いでもしてもらおうか?
なんて位、悩んでみました。笑
でも、実は出てくる答えは決まっているんですね。
どんな答えを選択しても、
選択しなかった道に魅力は感じる事も多いでしょう。
というか、自分で選択し出した答えに後悔した場合は、別の選択を選んでいても後悔するはずです。
大事なのは、どんなものも自分で選択しているんだと、思えるかどうか。
自分で選択するから人生に、厚みや、重み、魅力がでます。
悩んだり葛藤したりすることがなくなった人生よりも、
それらを楽しめるような、
そんなゆとりも持ちながら、
柔らかなこの世界で、
滅多に起こらない、
この緊張感を糧にしたいですね。
本当は自分など、いないとしてもね、、
3月22日は私の誕生日です。
もう何歳になるのか。忘れました。笑
誕生日というと、大概は人に祝って貰うのが普通になってますが、
だんだん歳を取ると、祝って貰うのではなくて、こちらがお礼を言わないといけないんじゃと言う心境になってきています。
私に縁のある、良くも悪くも、すべての人に、ありがとうございます。
お陰様で、誕生日を迎える事が出来そうです。(^^)