一流や天才に近づくには
凡人が天才に近づくにはと考えた時、
施術技術でも何でも、
モノにするには鍛練が必要です。
鍛練とは、
千日の稽古を鍛といい、1万日の稽古を練とするとは、宮本武蔵の残した五輪書の話です。
千日の修行をしてようやく自らを鍛えたと言えるわけです。
1万日の修行をして、鍛練を積んだと。
凡人にとっては30年近くの修行を要するわけですが、
それは、学業でも、仕事でも、武術でも、
他の技能をモノにするには、この時間的圧力が必要でしょう。
私はまだこの道20年ほどで、
鍛えた?と言えるのかくらいで、練にはなってないですが。
この練への過程が人生での楽しみにもなっているわけです。
ある程度の線を超えると、
人は何でも分かった気になってしまい、慢心や怠惰の気持ちが出てきて、
天狗化、錆つきしやすいですが、、。
鍛と練の違いは、
わかる人にしか分からんかも知れない程の微差でしかないです。
でも、
この微差が人間として後世にも残して伝えられるモノや人や智慧などへとの、
可能性の資産になるかと思っています。
第一級、一流、天才への道は、自分との勝負。
それは決して、
修行が厳しいわけではなく、
錆つきさせない様に磨き続ける、
そう、続ける事が難しいのですね。