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こんばんは。
三部作で、
今日のお話しは駆け引き編ですね。
なんか好評だったので、
また三部作構成で、
次の日常生活の間編も書くかも知れません。
お楽しみに。
戦略と言えばカッコいいかもですが、
日常生活での駆け引きは、
人を相手にしているようでいて、
実は自分をすり減らす行為かも知れません。
「どう言えば得をするか」
「どう振る舞えば損をしないか」
こんな選択肢を
頭の中でシナリオを描き続けると、
心も体は、
常に緊張した状態になっています。
それは、短期的に利益を得ても?
その裏では呼吸が浅くなり、
肩や胸が固くなり、
夜眠っても何故か疲れが抜けないような
感覚を残します。
たとえば恋愛では、
本当は「会いたい」「好き」と
伝えたいのに、
「重いと思われるかな」と
計算して黙ってしまう。
仕事では「これを提案したい」と
思っても、
「上手くいかなかったらどうしよう」と
様子を伺ううちに、機会を逃してしまう。
家庭でも、
素直に「ありがとう」や「助けてほしい」
とキチンと言えば済むことを、
言えずに溜め込んで疲れてしまう。
駆け引きは一見すると
賢い立ち回りに見えますから。
けれどそれは、
生命のリズムで見れば、、
実は
流れをせき止めることなんです。
先を読もうとすればするほど、
今この瞬間の調和から外れていき、
本来の自分の声が聞こえなくなる。
そしてエネルギーの視点から見れば、
駆け引きは「信頼のスペース」を
潰す行為でもあります。
本来、人と人の間には
循環する場があって、
そこに安心や気づきが流れ込んできます。
ところが、
駆け引きが入るとその場は計算で満たされ、
エネルギーの通り道が塞がれてしまう。
結果として、
相手は「何か違う」と感じて距離をとり、
自分自身も「常に張りつめている」
緊張状態になるのです。
反対に、駆け引きを手放すとは、
「不安を計算で覆い隠さない」こと。
それは自分のリズムを取り戻し、
同時に人との間にスペースを
開くことでもあります。
不安も素直に差し出すことは、
損することではありません。
むしろ、そのスペースを通じて
調和が生まれ、結果的に
思わぬ学びや豊かさが循環してくるのです。
あなたは今、
どんな場面で駆け引きを
してしまっていますか?
もしその計算を一度手放したら?
人との関係や、
自分の体と心に、
どんな軽さが戻ってくるでしょうか。
幸せは「先回りの計算」によって
得られるものではなく、
「今ここで素直に差し出すこと」から
始まるのかもしれません。
こんにちは。
今日も秋空がたくさんの状態を見せてくれますね。
続きを書いていきます。
幸せから遠ざけるかも知れない、
世間体編です。
あなたは人の目を気にして、
やりたいことをやめてしまったよ
って経験はありませんか?
本当は着たい服があるのに、
「派手すぎるかな」とやめる。
言いたい言葉があるのに
「変に思われるかな」と飲み込む。
新しいことに挑戦したいのに
「失敗したら笑われるかも」と動けない。
世間体とは、こうした
「人の目に縛られて自分を止める力」の
ことです。
一見すると秩序を守るための
大切な感覚に思えますが、
行きすぎると人生の選択肢を
どんどんと狭めてしまいます。
なぜなら、世間体を気にするとき、
実は“他人”が縛っているのではなく、
自分の内側に作りあげた仮想の他人の目に、
自分が反応しているからです。
まだ起きてもいない評価を想像して、
そのイメージに合わせて行動を縮めてしまう。
これは外から縛られているように見えて、
実際は内側から自分を縛っているのです。
生命のリズムで見るなら、
世間体に囚われているときは、いわゆる
「呼吸が浅くなっている」ときです。
(肩こりを感じる状態)
そして肩や胸に見えない膜が張りついたように、体も心も硬くなる。
反対に、
世間体をゆるめて
「まあ、どっちでもいいかな」と
一呼吸おくと、
体も心もふっと軽くなり、
自然なリズムが戻ってきます。
本来の「世間」とは、
ただの評価の場ではありません。
世の間、つまり 自我と自我の間に生まれるスペース です。
そこは本来、可能性のエネルギーに満ちた
自由で調和的なスペースであるはずなのに、
私たちはそこに「どう見られるか」
という想像を詰め込み、
せっかくの間を自分で狭めてしまうのです。
(人類は視覚野がでかいので仕方ないけれど)
だから、
世間体を気にしすぎると
ジワジワと幸せから遠ざかります。
他人の目を気にしているようでいて、
実は「自分の内側に作った他人の目」
によって、自分のスペースを奪ってしまう。
選択肢を収縮させている状態。
あなたは今、
どんな場面で「世間体」という見えない鎖に
自分を縛ってしまっていますか?
もし、その鎖を少しでも緩められたなら?
世間体って何でしょうね。
世間体を中庸で見れたならば?
そこから何が受け取れるでしょうね。
もしかしたら、そこに新しい調和と、
軽やかなリズムが広がるかもしれませんよ。
こんにちは。
10月に入りました。
秋の空気は実りを受けるエネルギーなので、
何でも受け入れがちです。
特に他人から言われた情報に左右もされやすいので、落ち着いて受け取りましょう。
余計な状態を招いてしまうかもですから。
今日は昨日の続きでプライド編を書いていきます。
あなたは今までに、プライドが邪魔をして?
素直になれなかった経験はありませんか?
たとえば、
職場で間違いを指摘されても
「でも…」と反論してしまった。
家族や友人に謝れば楽なのに、
意地を張って口を閉ざす反応で返した。
体調が悪いのに「自分は大丈夫」と
強がって無理をした。
こうした小さな積み重ねは、
知らぬ気づかぬうちに、
人間関係のエネルギー循環を硬直させ、
身も心も、生命のリズムを乱していきます。
プライドは「自分と思っているものを守る鎧」のようなものです。
もちろん、まったくプライドがないと、
自分を安売りしてしまったり、
乱れてしまったりするかも知れません。
けれど鎧を必要以上に、
過敏に、
厚く着込みすぎるとどうなるでしょうか。
重いし、
動きにくく、
呼吸もしづらくなります。
見た目は、
強そうに見えても、
実際は不自由そのものなのです。
すなわち、
プライドに囚われるとは?
まさに不安の鎧をまとって、
硬直した状態で生きていることなのです。
プライドが厚いと、
まず「負けを認められない」状態になります。
結果として、
仕事ではミスを改善できない。
人間関係では謝れず溝が深まる。
身体では肩や首に力が入りっぱなしになる。
これらはすべて、
学びやつながりや流れを止めてしまいます。
生命のリズムで捉えると、
プライドに囚われる状態は「硬直」です。
呼吸も浅くなり、
心や体の流れが止まります。
本来のリズムや調和から外れていくのです。
逆にプライドを少し手放した瞬間って、
どんな選択になるでしょうか?
「まあ、いいか。
今回は学びに変えようか」
と受け入れたとき、
リズムは再び整い始めます。
それは「負けを認める」のではなく、
鎧を脱いで軽くなること。
そもそも勝負にならないくらい
軽い選択をしている状態。
その軽さが、流れ循環を生み出して、
新しい学びや気づきを招き入れるのです。
上司や同僚に対して、自分の方が正しいから、
と思いすぎてしまう。
パートナーに「自分ばかりが我慢している」と感じてしまう。
子どもに「親としての威厳」を保とうとして強く叱ったりキツイ反応をしてしまう。
こうした場面の裏には、
たいていプライドが隠れています。
でもそのプライドを守っても、
心は軽くならず、
逆に関係がこじれたり、
自分を責めたりしてしまうのです。
それよりも「ごめんね。ありがとう」
その一言を出す方が、
ずっと楽に生きられます。
プライドを守ることは、その行動が
一時的には安心を与えます。
けれど長期的に見ると、
学びを止め、
人を遠ざけ、
身体を固める。
そんな要因になりえます。
あなたは今、
どんな場面でどん状況で、
鎧を着ていると感じますか?
もし、その鎧を少しでも外したら?
そこにはどんな調和や、
新しい景色が広がるでしょうか。
結果的に幸せに近づく一歩は、
意地を張ることではなく、
軽くなる勇気なのかもしれませんね。^ ^
こんにちは!^ ^
九月も最終日。
朝が涼しくなって、
睡眠も散歩も気持ち良いですね。

今日は幸せを遠ざけるかも知れない、
三大価値観について、
続きもので書いていきます。
きっと誰しもが、
「もっと豊かに、もっと幸せに」
なんて、
そんな願いを少なからず所有しながら
日々を過ごしています。
けれど、
気づかないうちに、その願いとは反対に
自分を幸せから遠ざけてしまうような、
そんな
価値観を抱えていることがあります。
それは、
プライド・世間体・駆け引きです。
これらは一見すると、
社会を生きる上で、
「大切にした方がいい」と思われがちなもの。
でも、
生命のリズムで捉えると、
それらはエネルギーを閉じ込め、
自然な流れを止めてしまう要因となります。
鎧をまとったり、
人の目を気にしたり、
計算に明け暮れたりするほどに、
本来の自分の呼吸やリズムから、
離れていってしまうのです。
そうして「見えない調和」から外れたとき、
幸せは遠ざかっていきます。
では、
なぜプライド・世間体・駆け引きが
私たちを苦しめてしまうのか?
次回から、一つずつ紐解いてみましょう。
あなた自身の中では、
どの価値観が一番強いと感じますか?^ ^
こんにちは。
今日はクライアントのお話から
なんだかイライラするをテーマにお話しします。
最近、歩いているときにお年寄りの方がゆっくり歩いていて、
思わずイライラしたり、
スーパーのレジで前の人が
お財布から小銭を探すのに
時間がかかっていて、
「早くしてほしいな」と
感じたことはありませんか。
職場で部下が同じことを何度も
質問してきて、
ついモヤモヤすることもあるかもしれません。
私たちはつい
「相手が悪い」「相手が遅い」
からイライラしていると思いがちです。
けれど実は、
このイライラの原因は相手ではなく、
自分の中の基準にあることが多いんです。
人は無意識のうちに、
「こうあるべき」「こう動くべき」と
いう基準を持っています。
「私は早くできる」
「効率よく動ける」
「人より先を読んでいる」
そんな自分のイメージを握りしめていると、
その基準で相手を見てしまいます。
その結果、
「なんでこんなに遅いんだろう」
「なんで分からないんだろう」
とジャッジが生まれ、
イライラが起きるんです。
つまり相手に怒っているようで、
実は「自分の理想のイメージを守ろうとしている」だけかもしれません。
イライラの正体は、相手ではなく、
自分の握りしめた基準にあります。
ここで大切なのは、
「イライラしないようにすること」
ではありません。
イライラしたときに、
まずこうつぶやいてみてください。
「今、私の中のこうあるべきが強く働いているな」
そう気づくだけで、
相手を変えようとする力がふっと抜け、
呼吸も少し深くなります。
ここで面白いのは、
イライラした出来事は偶然のように見えるのに、
「その出来事に反応している自分」がいる
のは必然だということです。
偶然に見える出来事の中で、
自分の基準やジャッジが浮かび上がる。
これを「偶然と必然の境目」と呼びます。
この境目に気づけたとき、
私たちは「相手を変えたい」という
視点から離れ、
ただ自分の意識を見つめることができます。
すると、相手の遅さや不器用さは
その人のペースとして受け取れるようになり、
ジャッジが緩んで、
エネルギーの流れが自然に戻っていくんです。
とはいえ、
頭でわかっていても、
体が緊張していると、
この切り替えは難しいことがあります。
肩や首がこわばっていると呼吸が浅くなり、
余裕が持てなくなりやすいんです。
逆に、体をゆるめると呼吸が深くなり、
気づけば、
同じ出来事なのにイライラしにくい!
ということが起こります。
荻野接骨院では、
体をゆるめる施術を通して、
自律神経のバランスを整え、
意識と体の両方からイライラの流れを変えるお手伝いをしています。
もし最近、
イライラが続いてしんどいなと
感じる方は一度体から整えてみませんか。
体を整えることで、
気づかなかった偶然と必然の境目にも
気づきやすくなり、
心にも余裕が生まれやすくなるかも知れません。^ ^
こんにちは。
9月に入りましたが、
まだまだ夏が続いてますね。
今日は、何となく、
流れに乗るコツみたいな話をしたいと思います。
人間関係や体の不調や仕事やお金、
うまくいかないことが続くと、
どうしてもなんとかしなきゃ
と思ってしまいます。
早く治さないと、
もっと頑張らなきゃ!
どうにか変えなあかん!!
でも実はこのなんとかしなきゃ
という気持ちが、
体と心の流れを止めてしまうことがあります。
このとき意識は、
自分だけの力で何とかしようと働いていて、
肩や首は固まり呼吸は浅くなり、
神経もピリピリと過敏になっていきます。
頑張っているのに空回りしてしまう?
そんなときこそ立ち止まってみることが大切です。
そんな時にピッタリの表現が、
放っておく。
という言葉です。
これは諦めることでも、
無関心になることでもありません。
本当の意味は
小さな力で動かそうとするのをやめて、
大きな流れに任せてみる
ということです。
治そうと力を入れるほど体は固まり、
変えようとするほど心は緊張します。
でも一度ふっと手を放したとき、
呼吸が深くなり体の奥の流れが少しずつ戻り始めます。
施術でも大事にしているのが、
押しも引きもしないゼロ圧という考え方です。
ゼロ圧とはただ在ること、
頑張りも抵抗もない
ふわっと委ねているような状態です。
ゼロ圧に近づくと、
体はゆるみ神経や血流や呼吸の流れが自然に整い始めます。
うまくいかないとき、
悩みで頭がいっぱいのとき、
長引く不調にとまどうとき、
そんなときこそ結果をつかもうとする力を
一度手放してみる。
すると体は自分のペースを取り戻し、
本来持っている回復の力が動き出します。
心と体をしばるものの多くは
所有したいという思いかもしれません。
健康な体を持っていたい、
大切な人との関係を失いたくない、
安心できる未来を確保したい、
こうした気持ちはとても自然なことですが、
強く握りしめすぎると心も体も硬くなってしまいます。
一方で、
結果を所有しなくても大丈夫!
そう思えたとき
呼吸が深くなり体のこわばりがほどけていきます。
流れが自然に戻り始め
気づけば心も体も軽くなっていることに気づきます。
深呼吸をしてみる、
三回ゆっくり吸って吐くときは倍の長さで。
治さなきゃより体を信じてみようとつぶやく。
なるべく太陽や風や木や水など、
自然の流れに触れてみる。
こうして少しずつ
流れに委ねる感覚は体でつかめるようになります。
流れに任せるというのは
何もしないことでも諦めることでもありません。
小さな力で動かそうとするのをやめて、
体と心を大きな流れにゆだねたとき、
自然と呼吸が深くなり
神経や血流のリズムが整い、
不思議と体も心もラクになっていきます。
頑張っているのにしんどいと感じたときこそ
一度ふっと力を抜いて、
大きな流れに身を委ねてみませんか?
荻野接骨院では、
体に触れることで神経や血流の流れを整え、
心と体が大きな流れと再びつながるお手伝いをしています。
施術やカウンセリングを通して
結果を所有することから解放され、
本来の呼吸とリズムを取り戻すきっかけになればと思います。
こんにちは!
8月も最終日です。
今年は暑さが長く、全体的に身体は炎症が起こりやすくらなっていますが、
熱中症など注意したいです。
お若い方々は、頭から水シャワーなんかを浴びて、頭を冷やすと良いです。
それでは、
今日は腱鞘炎について、
少し深いお話をしたいと思います。
親指や手首が痛い、
物を持つのもつらい、
パソコン作業ができない、
こんなお悩みで来院される方は多いですが、
お話を伺っていると、
手首だけの問題ではないケースが
とても多いんです。
腱鞘炎は手首の使いすぎで説明されがちで、
それは当然ですが、
実際にはそれだけでなく、
いくつもの要素が重なって起きています。
まず医学的な視点から見ても、
手首の動きは頚椎、横隔膜、呼吸などと深くつながっています。
首や肩の緊張によって神経や血流が滞れば、
炎症は長引きます。
肝臓の働きや血液の質も関係しますし、
女性ホルモンや副腎の機能が影響していることもあります。
さらに、重心の崩れや姿勢の問題で、
本来なら肩や体幹で分散されるはずの力が
手首に集中することもあります。
つまり、
痛い場所だけを見ても本質には届かないのです。
ここで大切なのは、
使いすぎた結果ではなく、
なぜ使いすぎてしまったのかという視点です。
腱鞘炎で悩む方を見ていると、
体に負担がかかっているだけでなく、
休めない意識が背景にあることが
多いと感じます。
もっと頑張らなきゃいけないから、
迷惑をかけられないから、
結果を出さなきゃいけないから、
ちゃんとやらなきゃいけないから、
こうした無意識の想いは、
体を休ませることを許さず、
手を止められないまま動き続けさせます。
結果として、
限界を超えているのに
力を抜けない状態をつくり、
手首に過剰な負荷がかかっていきます。
そして、身体と概念はつながっています。
手を握りしめると、
肩や首、横隔膜まで連動して硬くなります。
逆に手をゆるめると、
呼吸が広がり、
神経も落ち着きます。
腱鞘炎は、
手を握るという動きの中で起きていますが、
その奥には「手放せない意識」が
隠れているかもしれません。
抽象的に見ると、
症状は敵ではなくサインです。
腱鞘炎は、
もうそんなに強く握らなくてもいい、
もっと委ねてもいいというメッセージかもしれません。
痛みは不快なものですが、
その奥に解放や変化への扉が
隠れていることがあります。
腱鞘炎をきっかけに、
多くの方が最終的に気づくのは、
自分の生き方のパターンです。
頑張り続けること
休むことへの罪悪感。
もしくは与えることを優先しすぎていること。
手首の痛みは、
このまま握りしめて進むのか、
それとも少し手をゆるめてみるのか、
という問いかけかもしれません。
あなたは今、
何をそんなに強く握りしめていますか?
もしその手をふっと開いたら、
どんな世界が広がるでしょうか?
これしかないという、
正解はありません。
腱鞘炎は単なる手首の炎症かもしれません。
でもその奥では、
生き方や概念や意識がそっと動いています。
それに気づいたとき、
痛みよりも深いところから
変化が始まるかも知れませんね。^ ^
こんにちは。^ ^
日本は今年、41.2 °C(兵庫・丹波)
という記過去最高の記録を出したくらい、
雨が少なく、
尋常でない暑さが続いてましたが、
先週辺りから若干温度が下がってきましたね。

今日は悩みについてのまたら違った角度の話。
この世界から、
悩みを解消しよう、
悩みをなくそう!
悩みのない人生に!!
こういうフレーズは一見魅力的ですが、
よくよく見ると、
ちょっとした落とし穴も
あるかもしれません。
確かに悩みは、
どれでもしんどいです。
でも、
悩みを遠ざけることだけを
目的にした人生は、
まるで
水の流れを止めてしまうようなもので、
やがて揺らぎや潤いを失ってしまう
可能性があります。
例えば、
とある池に小石をポイと投げると、
波紋が広がりますね、
それは一瞬水面を揺らしますが、
やがて時間と共に静かに消えていきます。
でも、もしこの池が、
波紋はもういらないんだ!!
と決めてしまったらどうでしょう?
小石は避けられ、
風もさえぎられ、
水面はずっと変わらない鏡
のようになります。
凪状態ですね。
それはそれで美しいかもしれません。
でも、
やがて水はよどみ、
透明さや輝きを失っていきます。
揺れがあるから、
澄んでいられる。
水は、
揺れることで空気と混ざり、
光を反射し、澄んでいきます。
揺れを悪いものとして避け続けると、
水はだんだん重く、
にごっていくのです。
人も同じで、
日々の中で起こる小さな揺れが、
新しい空気や光を運んできてくれます。
それをなかったことにしようとすると、
表面は穏やかでも、
中は動かなくなってしまいます。
からだも同じことをしています。
肩が張るとき、
息が浅くなるとき、
関節が重く感じるとき、
それはからだの中の小さな波紋です。
この波紋を完全になくそうとしたり、
全く無くしてしまえとするのではなく、
そっと手を添えて、
ゆっくり形を変えてあげる。
すると、
水はまた自分の道を見つけ、
流れ出します。
揺れとともに暮らす。
大事なのは、
波紋を避けることでも、
波紋を大きくすることでもありません。
ただ、
その広がりを見ていること。
そして、
その広がりと一緒に呼吸していること。
揺れがあるから、
澄んでいられる、
それは、
水も、人も、同じことなのかも知れません。
こんにちは。
夏の暑さに蝉が鳴り始めましたね。^ ^
今日はご相談の内容をブログにしますね。

よく親子関係について、
ご相談をいただくことがあります。
多いのは、
「子どもにどう関わっていいかわからない」
「何を言っても聞かないことが多くて、疲れてしまう」
など、
身体の不調とあわせて、
心のしんどさまでもが、
かぶさってくる事も少なくありません。
このような場合、
整体という関わりの中で何ができるのか?
今日はたくさんある物の見方の中から、
厭わないという視点から、
一つの見方をご紹介したいと思います。
![]()
家族というのは、
もっとも近く、もっとも自我まみれで、
もっとも感情の揺れが出やすい場です。
だからこそ、
こんな思いも強くなり易いです。
それは、家族だからこそ、
嘘をつかれたくない、
分かってほしい、
傷つけられたくない、
感謝されたい、
助けてほしい、
そんな思いが自然に湧いてきやすいです。
でもその分だけ、
そんな「期待」どおりに『ならない』と言う、
現実に出会いやすくもあります。
そんな際には、
一つの問いを置いてみます。
この状態を、
この子の姿を、
この自分の気持ちを、
厭わないとはどういうことだろう?

例えば、
あなたは、
こっちの大変さを全然理解してくれない!
なんでそんな言い方するの!
そんな思いが湧いたときに
わかってもらいたいを傍に置き、
『わかってもらえないことを厭わない。』
みたいな。
そんな選択はどうでしょうか?^^
わかってもいたい。
理解するべきなど。
その物の見方に力を込めるのをやめた瞬間、
理解されないことに、
振り回されない自分が立ち上がるんですね。
すると不思議と?
求めていた優しさや、
共感が、想像とは違うかたちで、
訪れることもあります。

感情が出てしまったとき、
こんなことでイライラする私はダメ!
親なのにどうしてこんなに反応してしまうんだろう!
と、自分を責めてしまうこともあります。
でもそこに、
『イラッとすることもあるよね^ ^
それでも自分を厭わない!』
というスペースをつくると、
感情そのものが穏やかになっていきます。
不思議ですね。
自分の反応を受け入れることは、
自分を深く知ることにもつながります。
それが
家族の言動に振り回されない、
静かなありようを育ててくれます。
![]()
また、
もう何度言っても変わらない!
どうしてもっと良くなろうとしないの?!
と、感じる相手がいるときには、
このままでもいい、
変わらなくても私は自由でいる。
変わらないことすら愛の一部かもしれない。
そんなふうに
『相手の不完全さを厭わない。』
という視点を持ってみると、
変えようとする圧が抜けて、
かえって関係が変化していくこともあります。
厭わないというのは
無関心になることではないんです。
またすべてを許すことでも無いです。
ただ、
今ここにあるこの現実を、
否定せずに見るという姿勢みたいな。
![]()
その上で
距離を取る、
言葉にする、
境界線を引く、
それらの行動は
いわゆるスペースからの選択として機能していきます。
最後に。
家族は
自我を熟成させる発酵の場かも知れません。
発酵とは、腐敗と紙一重ですよね。
でも、
厭わない温度と湿度で関わると、
ちゃんと旨味に変わります。
家庭という場で、
厭わない自分として在るだけで、
空気が変わり、
時間が経つごとに思いもしない
豊かさが育っていくのかもしれませんよ。
そして
家族という関係の中で
生まれる日々の小さな緊張や反応は、
肩や首から、
腰やお腹といった
身体の内側にも静かに影響を与えています。

厭わないという意識は、
身体にも伝わり
ふっと力が抜けたり、
呼吸が深まったりすることがあります。
整体という場でも、
そのゆるむ瞬間を
一緒に味わっていけたらと思います。
今日も、ご自身の感覚をそっと感じてあげる時間になりますように。( ^ω^ )
今日のタイトルは、
沖縄になる整体。
沖縄に行かれてる先生への
メッセージとして書いてみます。
今そこで、
息をするだけで、
どこでも間は広がります 。

沖縄に行くと、
空が広く見えたり、
風がやわらかく感じたり、
時間の流れがゆっくりになったりします。
竹富島や鳩間島なんかは特にですね。
自然と肩の力が抜けて、
「何もしない」ことが、心地よく思える時間です。
けれど、
日常に戻ると、
また元の時間やスピードに
巻き込まれてしまい、
「あの感じ、やっぱり沖縄やから良かったんだな」と、
比較してしまうこともあります。
![]()
でも実は、
あの感覚は「沖縄が与えてくれたもの」
ではなく、
沖縄という空気に“なれていた”からこそ、
感じられたものなのかもしれません。
つまり、観光地であっても、ただ
何もしない。
ひと呼吸する。
沖縄になる。
この感覚だと、
場所に関係なく五感で感じることができます。

静かに息をして、
考えすぎず、
何かをしなければや、
何かをしたがる自分に気づき、
「何者でもない自分」でもいいと、
何も持っていなくてもいいと、
認識することで、
どこにいても、
空は広く、
風はやさしくなっていきます。
![]()
整体も同じです。
治すために「何かをする」手ではなく、
整おうとする力に寄り添い、
そっと触れることで、
本来の調和が静かに動きはじめます。
沖縄でのあの静けさ、
深呼吸の余韻、
空と海に包まれるような安心感、
それらは外にあるのではなく、
その呼吸の中に、すでにあるのですから。

日々の中で、
もしまた「楽しまなきゃ」と、
力が入ってしまったときや、
「あれもこれも」と、
予定を追いかけていると感じたときには、
ぜひ思い出してみてください。
息をする。
何もしない。
沖縄になる。
![]()
この「何もしない」の中から、
ほんとうの豊かさが流れ込んでくるのかもしれません。^ ^




























































