Blog記事一覧 > 10月, 2025 | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院 - Part 2の記事一覧
ここまで、
「プライド」「世間体」「駆け引き」
という三つの価値観を見てきました。
本来はカウンセリングでお伝えしている内容のごく一部ですが。
プライドは鎧となり、
呼吸や学びを止めてしまう。
世間体は自分の中に他人の目を作り、
自由を奪ってしまう。
駆け引きは不安の計算で、
信頼のスペースを潰してしまう。
どれも一見、常識的には
大切そうに思えるものですが、
実際には共通して、
「流れを止め、硬直させる」
点がありました。
これら三つの深い奥にあるものは?
プライドの奥には信頼。
世間体の奥には 調和。
駆け引きの奥には 循環。
と言うキーワードが隠れており、
それらが、
「信頼したい、されたい、」
「調和したい、させたい、」
「循環したい、させたい、」
と思っている我欲の働きになっている。
もしくは、
「信頼していなければ、されてなければならない」
「調和していなければならない」
「循環していなければならない」
と
義務感に変わっている時にも、
本来すでにある生命の流れから離れて、
間違えない世界、
プライド、世間体、駆け引きという形へと、
固めてしまいます。
信頼も調和も循環も、
つくり出すものではなく、
すでにそこに用意されていて、
塞がなければ自然に現れているかもしれません。
いや、本来はそんな言葉の必要性もないかも知れませんね。
次回からは、
これらとは違う次元である「間」をテーマにしていきます。
日常生活の中でどうやって「間」を増やし、
調和とリズムを取り戻すのか?
「スペース」「調和」「リズム」
の三つの切り口でお伝えしていきます。
(^人^)
こんばんは。
三部作で、
今日のお話しは駆け引き編ですね。
なんか好評だったので、
また三部作構成で、
次の日常生活の間編も書くかも知れません。
お楽しみに。
戦略と言えばカッコいいかもですが、
日常生活での駆け引きは、
人を相手にしているようでいて、
実は自分をすり減らす行為かも知れません。
「どう言えば得をするか」
「どう振る舞えば損をしないか」
こんな選択肢を
頭の中でシナリオを描き続けると、
心も体は、
常に緊張した状態になっています。
それは、短期的に利益を得ても?
その裏では呼吸が浅くなり、
肩や胸が固くなり、
夜眠っても何故か疲れが抜けないような
感覚を残します。
たとえば恋愛では、
本当は「会いたい」「好き」と
伝えたいのに、
「重いと思われるかな」と
計算して黙ってしまう。
仕事では「これを提案したい」と
思っても、
「上手くいかなかったらどうしよう」と
様子を伺ううちに、機会を逃してしまう。
家庭でも、
素直に「ありがとう」や「助けてほしい」
とキチンと言えば済むことを、
言えずに溜め込んで疲れてしまう。
駆け引きは一見すると
賢い立ち回りに見えますから。
けれどそれは、
生命のリズムで見れば、、
実は
流れをせき止めることなんです。
先を読もうとすればするほど、
今この瞬間の調和から外れていき、
本来の自分の声が聞こえなくなる。
そしてエネルギーの視点から見れば、
駆け引きは「信頼のスペース」を
潰す行為でもあります。
本来、人と人の間には
循環する場があって、
そこに安心や気づきが流れ込んできます。
ところが、
駆け引きが入るとその場は計算で満たされ、
エネルギーの通り道が塞がれてしまう。
結果として、
相手は「何か違う」と感じて距離をとり、
自分自身も「常に張りつめている」
緊張状態になるのです。
反対に、駆け引きを手放すとは、
「不安を計算で覆い隠さない」こと。
それは自分のリズムを取り戻し、
同時に人との間にスペースを
開くことでもあります。
不安も素直に差し出すことは、
損することではありません。
むしろ、そのスペースを通じて
調和が生まれ、結果的に
思わぬ学びや豊かさが循環してくるのです。
あなたは今、
どんな場面で駆け引きを
してしまっていますか?
もしその計算を一度手放したら?
人との関係や、
自分の体と心に、
どんな軽さが戻ってくるでしょうか。
幸せは「先回りの計算」によって
得られるものではなく、
「今ここで素直に差し出すこと」から
始まるのかもしれません。
こんにちは。
今日も秋空がたくさんの状態を見せてくれますね。
続きを書いていきます。
幸せから遠ざけるかも知れない、
世間体編です。
あなたは人の目を気にして、
やりたいことをやめてしまったよ
って経験はありませんか?
本当は着たい服があるのに、
「派手すぎるかな」とやめる。
言いたい言葉があるのに
「変に思われるかな」と飲み込む。
新しいことに挑戦したいのに
「失敗したら笑われるかも」と動けない。
世間体とは、こうした
「人の目に縛られて自分を止める力」の
ことです。
一見すると秩序を守るための
大切な感覚に思えますが、
行きすぎると人生の選択肢を
どんどんと狭めてしまいます。
なぜなら、世間体を気にするとき、
実は“他人”が縛っているのではなく、
自分の内側に作りあげた仮想の他人の目に、
自分が反応しているからです。
まだ起きてもいない評価を想像して、
そのイメージに合わせて行動を縮めてしまう。
これは外から縛られているように見えて、
実際は内側から自分を縛っているのです。
生命のリズムで見るなら、
世間体に囚われているときは、いわゆる
「呼吸が浅くなっている」ときです。
(肩こりを感じる状態)
そして肩や胸に見えない膜が張りついたように、体も心も硬くなる。
反対に、
世間体をゆるめて
「まあ、どっちでもいいかな」と
一呼吸おくと、
体も心もふっと軽くなり、
自然なリズムが戻ってきます。
本来の「世間」とは、
ただの評価の場ではありません。
世の間、つまり 自我と自我の間に生まれるスペース です。
そこは本来、可能性のエネルギーに満ちた
自由で調和的なスペースであるはずなのに、
私たちはそこに「どう見られるか」
という想像を詰め込み、
せっかくの間を自分で狭めてしまうのです。
(人類は視覚野がでかいので仕方ないけれど)
だから、
世間体を気にしすぎると
ジワジワと幸せから遠ざかります。
他人の目を気にしているようでいて、
実は「自分の内側に作った他人の目」
によって、自分のスペースを奪ってしまう。
選択肢を収縮させている状態。
あなたは今、
どんな場面で「世間体」という見えない鎖に
自分を縛ってしまっていますか?
もし、その鎖を少しでも緩められたなら?
世間体って何でしょうね。
世間体を中庸で見れたならば?
そこから何が受け取れるでしょうね。
もしかしたら、そこに新しい調和と、
軽やかなリズムが広がるかもしれませんよ。
こんにちは。
10月に入りました。
秋の空気は実りを受けるエネルギーなので、
何でも受け入れがちです。
特に他人から言われた情報に左右もされやすいので、落ち着いて受け取りましょう。
余計な状態を招いてしまうかもですから。
今日は昨日の続きでプライド編を書いていきます。
あなたは今までに、プライドが邪魔をして?
素直になれなかった経験はありませんか?
たとえば、
職場で間違いを指摘されても
「でも…」と反論してしまった。
家族や友人に謝れば楽なのに、
意地を張って口を閉ざす反応で返した。
体調が悪いのに「自分は大丈夫」と
強がって無理をした。
こうした小さな積み重ねは、
知らぬ気づかぬうちに、
人間関係のエネルギー循環を硬直させ、
身も心も、生命のリズムを乱していきます。
プライドは「自分と思っているものを守る鎧」のようなものです。
もちろん、まったくプライドがないと、
自分を安売りしてしまったり、
乱れてしまったりするかも知れません。
けれど鎧を必要以上に、
過敏に、
厚く着込みすぎるとどうなるでしょうか。
重いし、
動きにくく、
呼吸もしづらくなります。
見た目は、
強そうに見えても、
実際は不自由そのものなのです。
すなわち、
プライドに囚われるとは?
まさに不安の鎧をまとって、
硬直した状態で生きていることなのです。
プライドが厚いと、
まず「負けを認められない」状態になります。
結果として、
仕事ではミスを改善できない。
人間関係では謝れず溝が深まる。
身体では肩や首に力が入りっぱなしになる。
これらはすべて、
学びやつながりや流れを止めてしまいます。
生命のリズムで捉えると、
プライドに囚われる状態は「硬直」です。
呼吸も浅くなり、
心や体の流れが止まります。
本来のリズムや調和から外れていくのです。
逆にプライドを少し手放した瞬間って、
どんな選択になるでしょうか?
「まあ、いいか。
今回は学びに変えようか」
と受け入れたとき、
リズムは再び整い始めます。
それは「負けを認める」のではなく、
鎧を脱いで軽くなること。
そもそも勝負にならないくらい
軽い選択をしている状態。
その軽さが、流れ循環を生み出して、
新しい学びや気づきを招き入れるのです。
上司や同僚に対して、自分の方が正しいから、
と思いすぎてしまう。
パートナーに「自分ばかりが我慢している」と感じてしまう。
子どもに「親としての威厳」を保とうとして強く叱ったりキツイ反応をしてしまう。
こうした場面の裏には、
たいていプライドが隠れています。
でもそのプライドを守っても、
心は軽くならず、
逆に関係がこじれたり、
自分を責めたりしてしまうのです。
それよりも「ごめんね。ありがとう」
その一言を出す方が、
ずっと楽に生きられます。
プライドを守ることは、その行動が
一時的には安心を与えます。
けれど長期的に見ると、
学びを止め、
人を遠ざけ、
身体を固める。
そんな要因になりえます。
あなたは今、
どんな場面でどん状況で、
鎧を着ていると感じますか?
もし、その鎧を少しでも外したら?
そこにはどんな調和や、
新しい景色が広がるでしょうか。
結果的に幸せに近づく一歩は、
意地を張ることではなく、
軽くなる勇気なのかもしれませんね。^ ^




























































