Blog記事一覧 > カウンセリング | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院 - Part 8の記事一覧
酷に感じるかもしれませんが、
精神エネルギーの世界で見ると、
大体10歳までにでる子供の症状は、
お母さんが原因な事が臨床上、
ただあります。
発達障害や、自閉症といった場合です。
お母さんが原因とは一体どういう理由があるのか?
これは、子供のお母さんのお母さんが関与しています。
要するにおばあちゃん。
この母親の呪縛?洗脳?依存から抜けれてないことが原因が多いです。
それは例え、
既にお母さんは亡くなっていても、
この母親の呪縛は抜けにくいです。
子供が成長障害や、社会問題がある場合、
それは食べ物なども勿論関与しますが、
なにより、
自分が自分の人生を生きるという子宮、丹田からくる覚悟が必要になります。
覚悟をもち、
自分の王国を作ることが、
王と、、女王になろうとする行為が、
結果的に、
子供の成長障害や病気を解決していきます。
女王でない女性は、まだ母親に依存する姫の状態なのです。
結婚とはまさに、母親からの呪縛の脱却を図る行為と言えるでしょう。
ただし、
この世には問題ができない限り正解もありませんし、
女王になる事が使命とかというわけでもありませんから。
悩んいる方にのみ通じる話となります。
今週の稽古は、
必要以上に反応しない。
これは武術的にも大切な概念です。
必要以上の反応で勝負が決まってしまうからです。
で、この必要以上に反応しないという行為は、以前やったオウテン以外でも日頃の行いでも稽古できます。
例えばコップに入ったお茶を飲む時。
そのコップと、お茶の重さと丁度良いバランスのとれた圧力と運動量でお茶を飲めているかなどです。
こういった稽古は、
やってみればわかりますが、
強すぎず弱すぎず、
ゼロポイントで扱うには、丁寧さが必要になってきます。
すなわち、丁寧に生きているか?
に繋がります。
丁寧な扱いは、人にどれだけの影響力があるのか。
着替えた服をぐちゃぐちゃに置いてる時と、
丁寧にたたんでいる時など。
それを型や呼吸を使った際にどう感じ変化するのか?
をやりました。(^^)
今回の地震で思い出した
運気の話です。
運気も名前や行い、出会いや言葉など、
色々と関わり合いがありますが、
今日は行いの話をします。
日常、生きていると、
なんでこんな目にあうのか?といった事がある人は良い意味でも悪い意味でも、
捉え方次第でもありますが、起こりますね。
これは陰陽的な見方ですが、
例えばDNA、これは4つのアデニン(A)・チミン(T)・グアニン(G)・シトシン(C)の塩基からなり、様々な模様を表します。
人生も陰陽てきに、4つに分けてみると、
単純かつ、様々な模様を表します。
例えば、
1、どうでも良いことで、いつでも良いこと、
2、どうでも良いことで、緊急のこと、
3、大事なことで、いつでも良いこと、
4、大事なことで、緊急なこと。
これはスティーブン・コビーと言う人が見つけた人生の時間見方の仮説です。
1に類するものは、パチンコとか晩酌とか
気晴らしやレジャーがこれに相当します。
2はあまり例になるものが無いのですが、
電話がかかってきたときなどはこれに相当します。
4は普通に言う「緊急事態」です
昔よく言われた「地震カミナリ火事親父」は
これに相当します。
つまり、人生を1で過ごしていると、陰陽バランスが働いて、
4が襲いかかってくると。
4とは、「重要であって」「緊急である」事態です。
これが来たときに人は不運とか不幸を感じます。
ではこれを避けるには?
3を行うことだと
スティーブン・コビーは言っています。
仮説ですけどね。(^^)
うちの子はいくら言っても、朝起きられないんです!
毎朝、起きた?もう起きたの?と、何度もこれの繰り返し!
一体どうして起きないのでしょうか?
病気でしょうか?
毎朝、、嫌なんですけど。。。
確かに副腎疲労だったり、起立性障害だったり、でその様な症状として出る場合もありますが、
今回とりあえずお子さんを診させていただいたところ、そういった感じでもない。
と、なると、
原因は、、、、。
効果のないことをやっているという自覚が無い親の責任。
いくら大声でどなって子供を起こそうとしても、効果がないのに毎日同じことを繰り返してしまっているわけです。
それは
何故か?を考えるわけです。
こういうむしろ、大声でどなること自体が、逆効果になっているかも?
を考えれない、そんな毎日繰り返す親子が、
やがて不登校や非行になって苦しむことはよくある話で。
では、
なぜこういう事態が発生するかというと、
この場合は家庭内での絶対権力者を握った母親に原因があったりします。
それまでの社会や人間関係で、
自分の感情を押し殺し、
承認欲求がみたされていない親は、
誰も本当の私を理解していない、
してくれない。
というところに入りやすのです。
「誰も本当の私を理解していない」のですから、
「私が言葉でいうことは実行するな」
という裏のメッセージが隠れています。
この母親が、
子供を起こそうとするとき、
「子供たち、起きなさい」と起こそうとし
ますが子供は、
母親のこの言葉から「無意識のメッセージ」を感じ取ってしまうのです。
その無意識のメッセージとは、
「私の言葉でいうことを実行するな」ということです。
すると子供は、
やはり表メッセージに従い起きません。
そうすると、母親は通常意識では
「子供を起こそう」としていますから、
従わない子供に対して感情的になってきます。
その結果、
「なにしているの、昨日も怒られたでしょ!早く起きなさい!」
と感情的に怒鳴りつけることになります
それは常に行われる変わりのないまるで「儀式」です。
儀式とは、手順どおりに行われなければなりません。
手順どおりであれば、
子供たちは「自発的にベッドやふとんから出てきては」いけないのと感じ、
それを見た母親の怒りはさらにエスカレートして、、、。
まさに子供は親の鏡です。
解決策は、
もうわかりますね。
自分を大切にです。
大切に、しているかどうかは子供や他人との関係性で目にできます。
今日は今を生きるの世界感について話をします。
この今という世界には、
水平の線と、
垂直の線があります。
水平の線とは、人との関係性での線です。
答えは常に他人にあります。
様々な問題や、
悩みや、
カウンセリング、
解決策なんかの会話が成り立つ、
わかる世界です。
垂直の線とは、
自分の感性の線です。
赤ちゃんや子供や、
自然に近い感じですが、
そのように言語で言ってしまうと、水平の線になりますが、
他人に答えを語れない、わからない世界です。
自分で掴むしかない世界といいますか。
人が地球という星にどこからやってきて、
どに帰るのか。
と言ったような世界。
この二つの世界はまったく別の次元の線なんですが、
この二つの線が触れた時に、
今を、生きているを大きく感じれます。
お休中に続いて
本田健さんの講演会に参加してきました。
世界中の成功者の共通点として、
夢を叶えるには何種類かのタイプがあって、
目標設定タイプ、
展開発展タイプ、
お祈りタイプ、
引き寄せタイプ。
夢希望タイプ。
とあるみたいです。
細かい事は本でも読んでもらって、
まぁ、どれも長所短所がありますが、
自分が憧れてたり、
理想的な願望タイプが決して自分に合った願望タイプでは無いということでした。
私的には多分、
継続できるタイプが、
その人のタイプなんじゃないかなと思いました。
続けれないものは、理想的であっても
やはり続けれないから結果も見えないということですね。
後は、ゼロ資金でも会社を経営する方法などを聞いてきましたが。
実際、どんな人なのか生で見てみたいと思ってた所でご縁があったので、話はあんまり良く覚えていません。笑
興味がある方はまた武術の稽古のときにでも聞いて下さいね。
全ては完璧である。
そんな言葉がありますね。
人間の身体を診ていると、本当にそう感じさせられます。
だけど、完璧では動きが発生しないんですね。
動きがついた時から、完璧さは不安定な完璧さになっていくようです。
そんな不安定の中での完璧な状態を整体では動きの中で見つけていきます。
もちろん、静止状態も大切ですよ。
で
私は今も日常とバランスを取りながらも勉強をし続けているわけですが、
その理由としては、好きだからということと、
後は、今の自分と理想の自分のギャップを感じるからです。
それは出来ていて当然という意識が高いというか。
決して他人と比べているわけではありません。
見えない自分とのそのギャップを埋めるために日々努力をしています。
一所懸命努力しているが、
うまくいかないという方は、他人と比べているのかもしれませんね。
どうせ自分は出来ないし。みたいな。
でも他人とは違って当然なので、
比べても仕方ないです。
見えないものへの意志ある人はコツコツと知識や体験を毎日積み上げています。
何事も一夜にして成果を成す事は不可能に近いのです。
人生はプロセスが大切です。
健康も、子育ても、仕事も、人間関係も。
講演やセミナーを渡り歩いているだけでは、対して次に繋がりません。
広さと同時に深さが大切だからです。
深さを出すには、
何度も繰り返す必要があります。
セミナーも勉強も、武術も同じですね。
一度で理解で来るはずもありません。
出来る人は初めから経験済みの方のみです。
人の三大欲には、食欲、睡眠欲、性欲がありますが、
今のところ、
食欲や睡眠欲は絶対に必要ですよね。
遠い?近い?将来はわかりませんが。。。
それに対して性欲って、
生きるのにそんなに必要だとは思われないですよね。
ぶっちゃけ無駄というか。
まぁ、たしかに遺伝子や子孫を残すためという理由もありますが、
それならば、
犬や猫の様に、年に一回繁殖期というか、
いわゆる盛りの時期があれば、年中もなくても良い気がします。
ましてや、
相手がいなくても、
個で性欲を発散する方法も人は見つけているにもかかわらず、
何故に相手が必要とされるのか。
本当に食欲、睡眠欲に匹敵するほどの生存に必要な欲になるのか?
その答えを、ある星のエネルギー体が教えてくれた話を聞きました。
そのエネルギー体が言うには、
人間が三大欲求としてまで大切な働きをしている
性欲とは、
実は
コミニュケーション欲だからだそうです。
他人と繋がりたい、コミュニケーションをとりたい欲なのですね。
繋がりが生きる為に絶対に必要なことだと刻み込まれているわけです。
よく、浮気されて辛い気持ちになったとかの話はありますが、
これも、繋がりから考えると、ちゃんとコミュニケーションがとれなかった悔しさが本当のところだそうです。
性欲とはコミュニケーションだとした場合、
それが満たされているということは、
何らかのグループか関係でコミニュケーションが取れて満足しているということであり、
満たされてない場合は、
コミニュケーションが取れずに不安になっているというになりますね。
もしくは、より質の高い、深いコミュニケーションで繋がりたいとかね。
参考になる、
深い話ですよね。
不幸の仕組みは実は、簡単です。
なぜなら面白くない日々があったときに、
人は「ため息をついて」自分の境遇や状態を嘆くからです。。。
境遇を嘆くとは具体的にいうと、
それを思い出して、、脳内で言葉で記述して、、
そして、記憶することです。
不幸だという人は、
たぶん毎日それをしているはずです。
思い出して、
言葉で記述して、
そして、記憶すること。
この継続によって、そういう記憶が
脳に強く定着する。
これが不幸の仕組みです。
それに対して「幸せな状態」とは?どういうことか?
あーお金持ちになって、
働かずに寝て暮らしたいわぁ〜と、
おばちゃん達が私に良く話してくれますが、
寝て暮らせばどうなるか?
記憶に残りませんね。
もっと脳科学的に言えば、
幸せなとき、
脳内にはエンドルフィンという麻薬物質が出ます。
つまり麻薬中毒状態と同じで、
幸せな時はぼーっとしている状態になります。
これが実は記憶に残りにくい状態なのです。
記憶に薄いから、忘れます。
通常、
歴史的にも幸せな状態よりも、不幸な状態の方が記憶に残りやすいのは仕方ないことなんですね。
美味しいキノコよりも、
命に関わる毒キノコの情報を覚えておくことが生きる、生き延びる仕組みだったからです、
これが不幸せと幸せの仕組みがわかれば、
幸せの状態を
思い出して、
言葉で記述して、
記憶することが出来れば、
それが定着すれば、幸せの出来上がりですね!
今から、
幸せなときだと感じたら、
ふと我に帰って
「あっ、『今』幸せだなっ!」と言葉にすることです。
おいしいものを食べている時には、
「うーん、おいしいっ〜!」と口に出すことです。
幸せなとき、
あっ今幸せっと自覚できるの人は
元々幸せになる才能があるということになりますね。
不幸せなとき、
「あーー今最悪ー。私って不幸せっ」と自覚するのが、
普通な人になります。
今日から、
せっかくなんで一緒に幸せの才能を高めてみませんか?(^^)
身体が楽になったら、あー楽ぅーと声出してみれば良いですね!
先日知り合った先生は十三のラーメン屋をよくご存知でした。
あなたも、知り合ったばかりの人が同じ出身地や同じ年齢だったりするとうれしくなりませんか?
相手との同じを見つけることができれば、
私たちは幸せな気持ちになりやすいようですね。
仲間意識というか。
安心感というか。
知らないセミナーなんかで、そういう情報交換があると、相手方の表情が簡単に変わったりします。
もちろん私も。
だけども逆もあります。
「違い=間違い」
という思い込みです。
無意識か、意識してか、
他人との違いにばかり目を向けている人は、
どうしてもその、
違うところが許せなくなってしまいます。
違いは間違いなのだから、変えないといけない。と。
そうなるとトラブルがじゃんじゃん起こります。
違うのは自然なこと。
違いがこの世を作っています。
グラデーションの違いとかね。
「同じ」が良いということでもないのですね。
同じでなければならないという思い込みは、
同調していき、
組織をつくり、
圧力を生み出し、
排他的な考え方が生まれ出します。
目的がある時には、とても頼りになる力がありますけどね。
本当に良い人間関係をつくれる人は、
「同じ」ところと「違う」ところを
同時に見ることができる人なんじゃないかなと思います。
「同じ」と「違い」をバランスよく見ることで良い人間関係をつくっていけるだと。
まあでも、
かと言って、私もあなたも仏様じゃないんだから、
何でもかんでも、
違うだけだよね?って言うわけにもいきませんけどね。
そこのところは、場がわかるかわからないかですね。
場が変われば正しいも変わるので。