Blog記事一覧 > 1月, 2026 | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院の記事一覧
こんにちは!
今日は興味深い、
江戸時代の武士の在り方からみた、
お話をギフトさせて頂きます。
江戸時代、
侍達は刀を腰に差して生きていました。
だけど、実は刀って、
「抜くため」だけにあるものでは
なかったらしいんですよね。
実際使うのは、
親や師匠の敵討のみ認めるみたいな、
法律があったみたいで。
当たり前なんですが、
町人とぶつかったりしたからと
本当に抜いてたら、
相手が傷つきますし、
場合によっては、命が終わる。
そして罪として牢屋行き。
だからこそ、
侍の世界には「抜かずに済ませる」
ための文化があったんだそうです。
使わずに、
武士の在り方を現す
といった立ち位置。
だから、
争う前に勝負をつける。
戦う前に場を収める。
言い換えるなら、
強さとは「勝つこと」よりも、
争いを起こさない“構え”にあった
とも言える話なんです。
最近、とある対談の中で
武士達が、右側を歩くのは、
『私は抜きません』という所作を表していた
みたいな話が出ていました。
これが事実かどうかは置いといて。
この話、
ものすごく象徴的で面白くないですか?
実は現代でも、
みんな刀を差して生きている。
ただ、形が違う。
現代の刀は、鉄ではないです。
なんだと思いますか?
それは、
現代の刀は、
「正しさ」でしょうか。
正しさは、めちゃくちゃ切れます。
しかもすぐ抜ける。
居合術者もびっくりするくらい。
むしろ、抜く方が簡単。
場面としては、
夫婦の会話で。
親子の会話で。
職場の空気で。
SNSのコメント欄で。
相手の言葉に引っかかった瞬間、
こっちは一瞬で刀を抜ける。
「それは違うやろ」
「普通こうやろ」
「常識的に考えて」
「なんで分からへんの?」
「私の方が正しい」
「あなたが間違ってる」
「謝るべき」
「改めるべき」
これらは全部、
正しさの刀に見えませんか?
切れ味抜群!!
その場では勝った気になる。
でもそのあとに残るのは、
相手の傷だったり、
場の凍りつきだったり、
関係の距離だったりする。
正しさを抜くと相手は切れる。
それだけやなくて、自分も切れる。
自分が作り出した「正義」に
自分が縛られて、
戻ってこれなくなる。
おもしろいのは、
正しさって「自信」から抜くんじゃない事がわかってて、
むしろ「不安」から抜くことが多いみたいで。
分かってほしい。
否定されたくない。
大事にされたい。
安心したい。
認められたい。
守りたい。
その感情の奥にある不安が、
正しさの刀を抜かせる。
正しさって、
相手を斬るためにあるんじゃなく、
自分の不安を守るために抜きたくなるもの。
だからこそ、
「右側を歩く」って比喩所作が、
今の時代に効いてくる。
右側を歩く。
それは、
正しさを抜かない所作。
抜けるのに抜かない。
言い返せるのに言い返さない。
論破できるのに論破しない。
黙って突き放せるのに、突き放さない。
勝てるのに勝ちを作らない。
これは弱さじゃなくて、
むしろ、強さに見えませんか?
正しさを抜かないというのは、
相手に負けることではないんですね。
「勝ち負け」の土俵に乗らないということ。
争いの世界線に入らないということ。
よくあるのが、正しさを抜かへんと、
「自分が負けた気がする」
って感じるパターン。
でも実際は違います。
正しさを抜くと、勝てるかもしれません。
けど、関係は負けます。
空気は負けます。
未来は負けます。
そして最後、自分の心が負けています。
抜けるけど抜かない。
この間、余白があるだけで、
余計な摩擦や、大切にしていた関係が
終わらなくて済むかも知れません。
これは整体の施術にも似ています。
身体を変えるために、
圧という刀は、簡単に抜ける。
効かせることもできる。
その場で変化を出すこともできる。
それらも時に必要な場面もあります。
でも、
抜かない方が深く整う時があるんです。
圧で変えるんじゃなくて、
安心の場を作って、
身体が勝手に戻るのを待つ。
「技で勝つ」ではなく、
「整いが起きる世界線を選ぶ」。
それはある意味、
現代の“無刀取り”みたいなものかもと思ったりしてます。
正しさってのは、手放すのは難しい。
なぜなら、
正しさは気持ちいいから。
自分が正しいと思えた瞬間、
一瞬だけ不安が消える。
でも、その気持ちよさには代償があるのでした。
相手との距離。
場の緊張。
心の硬さ。
だから今日、
ひとつだけ提案してみます。
現代の刀は「正しさ」。
そして右側を歩くとは、
正しさを抜かない所作。
抜けるのに抜かない。
してみません?
これができた時、
勝ち負けとは別のところで、
世界が静かに整い始めるかも知れません。。
争いを終わらせるのは、
言葉や理屈よりも、
所作かもしれませんよ。
あなたの今日の一歩が、右側になりますように。^ ^
こんにちは。
お正月と言う特別な時期から、
日常へとリズムは整ってきましたでしょうか?
今日は細胞の中にいて、
エネルギーを作り出してくれている、
ミトコンドリアについてです。
最近になって、
「ミトコンドリアが大事」という話をよく耳にします。
確かに、
ミトコンドリアは、
エネルギーを生み出すとても重要な存在です。
疲れやすさや、
回復力の低下を語るときに、
避けて通れないテーマやと思います。
ただ、
少しだけ立ち止まって
見ておきたいことがあります。
身体を発電所と配線に例えてみます。
ミトコンドリアは
発電所の役割。
でも、
発電所がどれだけ元気でも、
配線が絡まっていたり
途中で漏電していたり
スイッチが入りっぱなしやったりすると、
電気は
うまく必要な場所まで届きません。
実際の身体でも同じことが起きています。
眠りが浅い
呼吸が詰まっている
常に緊張している
血糖の波が大きい
不安や焦りが抜けない
こういった
「配線側の乱れ」がある状態で、
ミトコンドリアを上げる・活性化する
という刺激だけを入れると、
エネルギーは増えても身体は楽にならず、
逆に、
ソワソワしたり
眠れなくなったり
落ち着かなくなることがあります。
これはサプリメントでも同じです。
COQ10
NMN
NAD+
これらは良い・悪いで分けるものではなく、
身体に入る「刺激」として捉えた方が
分かりやすいと思います。
刺激はその人の状態によって全く違う反応を起こします。
楽になる人
動きやすくなる人
呼吸が深くなる人
そういう方もいれば、
ソワソワする
目が冴えて眠れない
気持ちが落ち着かない
そうなる方もいます。
この違いは、
ミトコンドリアが良いか悪いかではありません。
多くの場合、
エネルギーが増えた分だけそれを制御する
神経・血糖・ホルモン・炎症の
バランスの弱さが表に出ているだけです。
発電量の問題ではなく、流し方の問題です。
身体は頑張らせるほど元気になるとは限りません。
むしろ、
静まる
緩む
抜ける。
そういう方向を求めていることも少なくありません。
整体でも
栄養でも
先ず大切なのは、
何かを足すことより邪魔を減らすこと。
流れが整えば、ミトコンドリアはこちらが意識しなくても自然に働き始めます。
ミトコンドリアは大切です。
でも主役ではありません。
主役は今この瞬間の身体の状態です。
本来ならば、
エネルギーは作り出すものというより、
整った状態から自然に湧き上がってくるもの。
そんなふうに捉えてみても
いいのかもしれません。^ ^
こんにちは!
今日のタイトルは、
若いうちから健康を意識したほうがいいの?
です。
これを正月明けの身体から考えてみてみましょう!^ ^
今日は1月3日です。
年末年始は、
食べすぎたり、飲みすぎたり、
知らん間に生活リズムが少し乱れた人も多いと思います。
まあでも、それでもいいんです。(^^)
お正月ですから。笑
ただ、ここでひとつだけ。
それは、
身体の感覚に目を向けてみてほしいんです。
例えば、
胃が重いとか、
体がだるいとか、
朝が起きにくいとか?
むくみやすくなってるとか。
これらは「失敗」ではなく、
実は、
身体がちゃんと反応しているサインです。
正直に言うと、
健康を意識するのは、
体を壊した時でも、
頑張る時でもなく、
こういう「ズレたあと」が
一番やりやすいはずです。
健康って、構造が
お金の投資と少し似ています。
一気に何かを変えなくても、
ほんの少し整えるだけで、
あとがかなり楽になります。
ただし、
身体の投資にはひとつ特徴があります。
それは、後戻りがしにくいということ。
若い頃は多少の無理がききます。
食べすぎても、
寝不足でも、
「まぁ大丈夫」と感じられるかもしれません。
でもそれは、
回復しているというより、
体力でカバーしているだけの場合が
ほとんどです。
体を壊してから始める健康対策は、
プラスを増やすというより、
マイナスを減らす作業になりがちです。
だからといって、
正月明けにストイックになる必要は
ありません。^ ^
いきなり食事を制限しなくていい。
無理に運動を始めなくていい。
「リセット」しようとしなくていい。
大事なのは、そう、
今の身体の状態をちゃんと感じてあげること。
「少し重たいな」
「ちょっと疲れてるな」
それに気づけるだけで、
身体は自然に元のリズムへ戻ろうとします。
でもどうせ健康を意識するなら、
「壊してから」ではなく、
「元気と不調の間」にいる今のうちに、、
が理想的かな。
年明けは、
何かを始めるより、
身体に耳を澄ませるのに
ちょうどいい時期ですね!
新年あけましておめでとうございます。
旧年中は、
荻野接骨院に足を運んでくださり、
ありがとうございました。
年の始まりですが、
今年は「頑張るような話」ではなく、
いつもお伝えしている
「間(スペース)」について
少しだけ言葉を置いてみます。
もしも今受け取れるならば、
何も感じないとか、
何も考えないとか、
何もしないとか、
そんな時間を、
ほんの少し広げてみてください。
「間」をきれいにしようとすることも、
実は余計な手出しになります。
「間」は、
もともと何もしなくても
きれいなものだからです。
水と油が、
かき混ぜなければ
自然に分かれるように。
湖面が、
風が止めば
勝手に凪ぐように。
院での施術の時間は、
何かを足すためのものではなく、
身体が本来の静けさを
思い出すための時間だと感じています。
施術では触れることもありますが、
何かを「起こそう」とするより、
身体がほどけていくのを
邪魔しないようにしています。
新しい年も、
無理に整えなくて大丈夫です。
身体に任せて、
呼吸の「間」に
少し身を預けてみてください。
本年も、
どうぞよろしくお願いいたします。
荻野接骨院
エネルギー学整体研究所
武術指導の養人塾
代表荻野




























































