Blog記事一覧 > 武術稽古の養人塾 | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院 - Part 6の記事一覧
先日の武術稽古では、
キックボクシングを習っている小中学生が参加されました。
普段は養人塾では、
あまり殴ったり蹴ったりはしませんが、
たまには良いかと打撃スタイルの秘訣を何個かお伝えし、練習しました。
私が何故突いたり蹴ったりをあまりしないかというと、
自己主張の練習をしても、
自分より力のないものにしか通用しないことを実感しているからです。
要するにいくら強い突きができても、中学生では大人には敵いません。
大人でいくら強い突きをしても、もっと巨体で筋肉モリモリの外人には敵いません。
そんな虚しいことに時間を割いてまでということから、あまり練習していませんが。
ただ、
個人的な自己主張のやり方ということであれば、
〇〇を利用すると、突きは突然重くなったり、
〇〇を利用すると、断然避けれない程早くなったり、
〇〇を利用すると、首相撲で楽々投げれるという、
〇〇を利用すると、全く突きが届かなくなったりする、
などの身体の使い方は多々あります。
ので、
それらを意識して身体で使うと結果、
どれくらい身体が変わるのかをインスタント式に練習しました。
一つ一つがほとんど教えてはくれない、もしくは無意識過ぎて教えれない、奥伝のインスタントなので、
子供は大喜びしていましたが、
大人はそこから、
要するに身体の使い方から、
対人関係の中で活用出来るように精進が必要です。
軽く突いて吹っ飛んだからどうなん?
ってな感じで、
だからこうなのか?にならないと、
ただの自己満足で終わってしまうからです。
昨日は武術の稽古日でした。
久しぶりに出たバイオリズム。
これを使った術技を稽古しました。
これを使うと、どんなに踏ん張ったり力で抵抗しても、崩されてしまいます。
この技の元は三国志に出てくる張遼という武将から日本に伝わり、
細々と伝承されて来たものだと聞いています。
で、
ここで大事なのは、
この術技の概念。
概念を伝えて貰えてない人は、
一生わからないですが、
概念を伝えて貰った人は、
今は出来なくても、またある日突然出来るようになったりします。
ですから秘伝とは概念であるとも言えますね。
今日は今を生きるの世界感について話をします。
この今という世界には、
水平の線と、
垂直の線があります。
水平の線とは、人との関係性での線です。
答えは常に他人にあります。
様々な問題や、
悩みや、
カウンセリング、
解決策なんかの会話が成り立つ、
わかる世界です。
垂直の線とは、
自分の感性の線です。
赤ちゃんや子供や、
自然に近い感じですが、
そのように言語で言ってしまうと、水平の線になりますが、
他人に答えを語れない、わからない世界です。
自分で掴むしかない世界といいますか。
人が地球という星にどこからやってきて、
どに帰るのか。
と言ったような世界。
この二つの世界はまったく別の次元の線なんですが、
この二つの線が触れた時に、
今を、生きているを大きく感じれます。
ゴールデンウィークもあけて、
2週間ぶりの武術の稽古を書いてみます。
今回は、
武術と施術の奥義である、
直線と螺旋と連動の表現から知るから、
わかる、できるまでの量と質の稽古。
そしてサンチン立ちと、
中心軸と、突きの移動練習。
中心がわかる事で生まれる縦横軸と、方向。
そこからわかる自分の姿勢。
姿勢と行動の一致。
足裏の陰陽図、
横隔膜と手足の連動、
相手と幻想の世界共有する行動と、
現実世界の投げ。
技から力への転換。
分解と力。
動き始め初動と手の観察。
脇の締めとエネルギーの伝え方。
対立しないで、日本文化はいなす。
受け入れて和解。
などを行いました。
きっと普段使わない部分を使うので筋肉痛になりますね。
先日、
気功家であり医師である矢山さんと、
わかりやすい気功セミナーで有名な清水さんの講演会に行き出会ってきました。
おはなしの中で
お二人が言われる共通点としては、
これからはダブルコンピュータが必要な時代。
要するに、
見える世界と、
見えない世界の
二つの思考力が必要になるよという事。
これは、
AIが出来ることでないものとは?を考えるとなると、
やはり見えない世界を考えた方が良いかなということだと。
後は、
怪しい〜お話ですが、
本質生命体へのお願いの仕方。
ただ、
お願いするには、自分が変性意識状態に入らないといけないので、
今回は、
指と、音楽を使ったやり方を聴きました。
眠くなります。笑
矢山先生云く、
見えない世界を扱う時に必要なのは、
身体を練ることと、
倫理観を持って生きること。
この二つがあれば、見えない世界でもバランス良く生きれるとの事でした。
この二つは参考になりますね。
身体を練るということは、
自分の生きる細胞や微生物、小宇宙と向き合うということになります。
倫理観は、やはり人とお付き合いする関係性の中で生きているからには必要ですね。
無いと、ただのオカルトオタクと言われてしまいます。笑
スマホが出来てから目からの情報が増えて、
耳を使うことが下手くそになってきているという話を聞きました。
耳を使うとは、
相手の話を聞くとか、
感じる事に近いのかなとも思います。
私もメガネを変えてから、
見え過ぎて、
実際は0.7位ですが、
私にとっては見え過ぎてる時には、手や耳からの情報量は感じにくくなる様に思えます。
ですから、施術中には目をつぶったり、そらしたり、空間を見たりしています。
逆に目からの情報で、
顔色とか、目の輝き具合とかはよりわかるようになりました。
五感のありがたさを感じます。
ちなみに武術の稽古ではメガネは外していますから、ほとんど見えていません。
しかし、ちゃんと稽古できます。
この場合もやはり、目だけじゃなくて、耳や空気の流れに敏感な皮膚などを使っているんだと思います。
久しぶりに稽古の内容を書いてみます。
養人塾では、
あくまでも個人の大切なものを守るためにコンセプトに稽古しています。
積極的な守備です。
相手を無視した暴力的な行為や、
力ずくな強引な稽古はやりません。
いのちを守る為、
身体を守るため、
家族を守るため、
プライドを守るため、
色々ありますが、
それらが行動で表現できる身体つくりを、
対人、もしくは一人稽古で養っていく塾です。
技は自然の法則に従ってやります。
多少のエネルギー療法なんかも出来る様にはなりますが、
本当のエネルギー療法をするには、
医学の基礎知識と、検査法、
哲学と体力が必要なので、あくまでプライベートで使う範囲でのエネルギー療法です。
昨日は、
足から手までの関節運動。
そこから繋げる関節技。
サンチンでの引きと、その作用、
開放サンチンでの手加減操作。
空間のコントロールと入り身。
ナイハンチでの重心稽古。
ナイハンチ突きと重力。
諸手突きでの左右操作。
手で振って身体を運ぶ稽古。
左右の振りと浮かし。
肘と軸を使った合わせ。
股関節での座り投げ。
真ん中を使った座とり稽古。
などをやりました。
たまたま稽古生がギックリ腰をやっていたので、その状況を使った考え方と稽古になりました。
いつも、
ありがとうございます。
若い時は、恋愛なんかでは見た目、特に顔を重視するのが子供らしさでもあり、
また芸能人が整形をしてでも重視するのが顔ですね。
ではその顔はなにがつくっているのか?
それは、
その人の脳が作っているのだということ人相学で習った事があります。
だから、顔はそのは人の脳を表現する鏡であるわけです。
そんな脳は、内臓と様々なコミニュケーションで成り立っています。
特に腸ですね。
だから、顔は内臓筋が作り出しているとも言えるわけです。
現在、腸の働きが鈍く顔に覇気がない方が増えているように思えますが、
そんな内臓筋をしっかりと働かせる方法の一つをご紹介しましょう。
それは、
それは、
それは、
笑う事ですね。
とにかく笑うこと。
はははっと、声に出して笑う。
武術でも、笑いながらやれると強いです。
普通は真剣にしろと起こられますが。
しかし、
笑うことで顔は血色を回復させ、
脳の活性化になり、
内臓筋も刺激
身体に中心軸がしっかりと作られます。
そして、運気を高める事にもつながるわけです。
全ては完璧である。
そんな言葉がありますね。
人間の身体を診ていると、本当にそう感じさせられます。
だけど、完璧では動きが発生しないんですね。
動きがついた時から、完璧さは不安定な完璧さになっていくようです。
そんな不安定の中での完璧な状態を整体では動きの中で見つけていきます。
もちろん、静止状態も大切ですよ。
で
私は今も日常とバランスを取りながらも勉強をし続けているわけですが、
その理由としては、好きだからということと、
後は、今の自分と理想の自分のギャップを感じるからです。
それは出来ていて当然という意識が高いというか。
決して他人と比べているわけではありません。
見えない自分とのそのギャップを埋めるために日々努力をしています。
一所懸命努力しているが、
うまくいかないという方は、他人と比べているのかもしれませんね。
どうせ自分は出来ないし。みたいな。
でも他人とは違って当然なので、
比べても仕方ないです。
見えないものへの意志ある人はコツコツと知識や体験を毎日積み上げています。
何事も一夜にして成果を成す事は不可能に近いのです。
人生はプロセスが大切です。
健康も、子育ても、仕事も、人間関係も。
講演やセミナーを渡り歩いているだけでは、対して次に繋がりません。
広さと同時に深さが大切だからです。
深さを出すには、
何度も繰り返す必要があります。
セミナーも勉強も、武術も同じですね。
一度で理解で来るはずもありません。
出来る人は初めから経験済みの方のみです。
春満開ですね!
通りの公園にある桜が満開に咲いてます。
木の近くで下から見上げる桜が私は大好きです。
天気の良い昼間とか、最高ですね。
青い空とピンクの桜色。
癒されます。
そんなお花見にも実は意味があったようで。
それは古来の日本人が行なってきた、
いわゆる願望実現とつながりがあったみたいです。
古来日本人にとっての1番の願いは、食べるもの。
要するに
「穀物がタッープリ豊かに実ること」。
では、どうすれば無事に秋に、
豊かな穀物を収穫することができるのか。
そこで生まれたのがお花見なんだそうです。
まず、春に満開に咲く桜を秋のお米の実りに見立てます。
まだ秋ではないですが、
先に喜んで、
秋の収穫を祈っていたそうなんです。
この先に喜ぶってのがミソですね。
これを『予祝』よしゅくといい、
先に結果や成果を喜び、
祝福をあらかじめ予定することで、その現実を創造していたといいます。
これは、武術でも気を使った約束組手なんかでやったりしていますが、
先にその状態を作り出し、体験させるという概念です。
成功の法則なんかにも以前はよく書いてありましたね。
文章を書く時は過去系で書くと良いとか
、
先に宣言しちゃおうみたいな。
もしも何か実現したいことがあったとき、
どうしても今の自分の立場で考えてしまいがちな所を、 先に結果や成果を体感して、
お花見で言えば、
先にお祝いして、
思いや願いを実現する方向へと向ける。。
賢い人が沢山いたんですね。
お花見をきっかけに願望実現を行なってみるのも良いですね。
ただ、
願望実現法は諸刃の剣ってところもあるので、
実現したい夢が叶っても、それが決して幸せになれるとは限らないことも知っておく必要がありますね。