Blog記事一覧 > 院長の考え方 | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院 - Part 18の記事一覧
現在物理学では、
全ては陰陽、表裏、光影の二つから生まれているので、
今。
この瞬間生きてる限り、死んでいってます。
そして、どこで、
何かをしても、何かをしなくても、
私の事やあなたのことを、
好きとか好みと思う人と
嫌いとか嫌な感じと思う人が必ずいることになります。
当然すべての人から好かれることは、
不可能なので、
「嫌われないようにする」という行為には、ほとんどというか、まったく意味がないようにも思えます。
そんなこんなで、一番簡単で、気持ちが楽なのは、
いつでも、”そのままのあなた”でいることかもしれません。
出来るか出来ないかは、あなた次第です!
って書きつつ、
私はどうか?と言われれば、
実はそんな事いっても、好かれたいという気持ちはあります。´д` ;
だってそれも人間だもの。( ̄^ ̄)ゞ
でも、施術に関しては別で。
院の方針に合わない人に好かれようとは思っていません。
でもその思いも、相手の事を考えての結果でもあるし、
自分で自分が好きでいれるには?を考えての結果であり哲学になります。
今感じている痛みや違和感を、感じないように、見えないような蓋をする施術を対処療法といいます。
また、今感じている痛みや違和感にアプローチせずに、地味にその根本にアプローチし、ジワジワ根治させていくのを根本療法といいます。
お客さんは、どうしても対処療法を求める節があり、また医療者側もそれに答えようとして、悪循環に入ります。
特に怖いのは、薬害ですね。
楽で便利で簡単な薬ですが、誤魔化し続けた身体は、少しずつおかしくなっていきます。
例え、途中から止めたとしても薬害で落ちた器質機能は、元に戻してと泣いても、完全には元に戻らないそうです。(ノ_<)
私もやはり、過程よりもその場で結果を出すべく技術をたくさん習得してきました。
技の数だけで言えば千種類はあるかなと、思いますが。
それって、対処療法やん。っと気づくのに、時間がかかりました。
結果はもちろん出て欲しいですが、
人は自然物である以上、自然から考えて施術した場合、やはり理順があり、それを無視する訳にはいかないという結論になりました。
その上で施術家は、お客さんの身体のサポートでありきっかけであり手入れでいるべきであると。
地味でもコツコツ続けます。
以前ブログに書いたように、
完璧完全を求めて人は動いてます、
が、
完璧完全は終わりの世界。
動きが止まる世界になります。
完全に悟った坊さんが更に修行という遊びをするのは、不完全の中に完全があるから。
悟ったら終わりではないんですね。
不完全は終わりのない世界。
動きの世界。
施術でも、すべてを、100点に、完璧にすると逆に壊れます。
1回につき、1つの場所を整える位が丁度良い加減になります。
実際は、あそこもここもとやりたくなるんですけどね。
また、施術よりも大事なのが予防です。
正直に言うと、
本当の施術が出来ているのは1000人いたら1人位のものです。
急性の問題がある限り、
(急性とは、今の症状ですね。)
本当の歪みの施術は出来ないんです。
どこにも症状がなく、
表にでている硬膜の問題が見つからない状態で初めて過去の歪みにアプローチ出来るんですね。
お客さんからしたら、予防に来られた位の時が施術になるという事ですね。
ただ自分で急性の歪みの状態を感じれてないだけの人がほとんどですが。^^;
最近遊んでますか?
毎日どうやって遊ぼうか考えて下さい。
生活に遊びが必要です。
仕事にもね。
よく、仕事は真剣にやれ!と怒られている人もいると思いますが、真剣は深刻ではないです。
ゲームをやってる子供は遊んでいるけど、マジで真剣です。邪魔なんかしたら怒鳴られるかもです。
遊んで時が真剣だという発想も大事です。
身体もそうです。
遊びがなければ、働きは行き詰まります。
話は変わりますが、
私はこの前知り合いの先生にカラオケに誘われ熱唱してきました。
ハモりが決まれば最高な気分です。
また誘って下さい。o(`ω´ )o
で、戻ります。
遊びですが、特に身体の組織や関節は、
遊びがあるかどうかがとっーても大事です。
遊びがないとロックするのが身体。
だから荻野接骨院ではモーション検査をするんですね。必要だから。
ちなみに。
遊びが過ぎると脱臼しますから。
世間からはみ出し過ぎないように遊びましょうね。
また関節の遊びは、
自分の意思では動かせません。
が、
他人なら動かせます。
キーワードは他人です。
他人との関係性が遊びを作ります。
他者が自分の遊びの幅を広げ柔軟にしてくれるんですね。
感謝ですね。
ありがとうございます。
完璧なものを数学で証明しようとして、見つかったのが、完璧なものはないという答えだった。という不完全性定理がありますが、
それでも人は完璧をもとめて生きている人が多いですね。
私自身も、終わりなき身体の研究をしていますし。
その中で、確実にわかるのが、
自然の凄さですね。
今の身体を形づくり、成長させ、適応させ、自然の摂理から外れると、痛みや病となって表現される。
どれだけ私が頑張って施術をしても、全ては自然治癒力が働くかどうかにかかっている。
私の行いはあくまでも自然治癒力の働きやすい環境にする事なんですね。
ゴッドハンドとか言われたりしても、
私は少しも治せてませんからね。
内臓や脳硬膜に包帯を巻いてるだけです。
人が、生まれ持った能力が治してるんですね。
ただ、じゃあほったらかしてていいのか?と言われれば、それはどうかなと。
自然はほったらかしてたら、どんどん無秩序に広がっていきます。
生活で使っている部屋も掃除しなければ、ホコリや物が溢れ散らかっていきます。
庭のせんだいも雑草まみれに。
身体も自然物です。
自然治癒力や、適応力、成長力、免疫力などがちゃんと働きやすくなるようにするには、完璧じゃなくても日頃から手入れが必要なんですね。
掃除も、整理整頓も、整体も。
やると、やらないでは、大違いです。
今日も私は老人ホームの看護師です。
というタイトルで、
当院で予防整体を受けていらしゃる看護師の鈴橋加織さんが、漫画を出版されました。
内容は老人ホームでの実際のお話しと、
老人ホームに入る際に必要な知識などを
面白い楽しく表現されています。
漫画は可愛いのですが、そこで起こっている事は大変なんだという事がわかります。
サクサクと笑顔で読めちゃんですが、
本を読んでいて改めて、
これからはやはり、予防医学の時代だなと。
情報もたくさんあり、その中で、
個人一人ひとりが身体を自己管理していかなくてはならない時代とも言えます。
何らかの症状に対処しているだけでは追いつかない様な状態です。
ウィルスも環境も人間を置いて進化していってます。
医療もまた、考え方を進化させる必要があるかなと思います。
症状や何かあってからの対策じゃなくて、
何かが起こらない様な状態へシフトすることが大切だと。
どこどこの先生は90分施術してくれる。
違う先生は、120分やでー。
と長ければ良い施術という考えは危険です。
何故ならば、
施術とは身体の破壊と再構築だからです。
施術家がやるのは綺麗な破壊です。
そして、お客のイネイト、いわゆる自然治癒力が再構築していきます。
だから、体力がいるんです。
荻野接骨院では
体力の具合をチェックしながら整体するので、時間は個人差があります。
もっとアプローチしたくても、体力を超えた刺激は、逆効果になるからです。
逆効果とは、健康からは遠ざかるという事です。
料理でもなんでも、大事なのが加減です。
その加減、適量を与えられるのが一流の条件でしょう。
今の時代の特徴の一つが、
自己責任の時代に入っていると言われています。
確かに自己責任ができる人は、どんどん伸びるし、施術でも活かせる人が多いですね。
自分の思考と行動によって問題が発生してるんだから、今後どんな風にしていけば良いかと考えられるからですね。
一方、他人に責任を負わす人は、
どんだけ他人からアドバイスを受けたり、施術を受けても、全ては周りの責任と考えているので、いつまでたっても同じ問題に苦しめられ一向に楽になれない傾向があります。
私は自己責任タイプかなと思いますが。。?
違うかな?笑
違うな。笑
都合の良い人理論かな。一番あかんやつですね。
でもまぁ、どちらもほどほどに必要かなと思います。
自己責任論はカッコイイけど、究極は自己の責任はないんですよね。
自分は結果なんで。
どうしょうもない。
だからと言って、愚痴愚痴と他者責任では面白くない。
結果、自己責任の方が生き甲斐はあるかなと思います。
だって、自己責任論がないと自由もないですから。
子供が悪いことをしても怒らない方がいいという考え方が少しずつ広まっていますね。
でも、罰を与えないで行儀がよくなるのかが心配だとカウンセリングされました。
まず、考えるのは怒るか怒らないの二つしか選択肢はないとは思わない事ですね。
人は、そんなに単純でも無かったりします。
その子供がした行動を全てと考えずに、いいところを思い出させながら、
その行動の裏に注目しましょう。
例えば、それは楽しむ為にやってたのか?
それとも、苦痛を避ける為にやっていたのか。
それは良いことだとも悪いことだともわからなかった。
最低でもこれらにしっかりと目をやり、その子供なりの考えに興味を持つべきですね。
悪さイコール罰では、いずれこころは頑になっていき、投げやりになり、自分の過ちを正当化しはじめます。
子供の根本に目を、向ける。
これは施術でも、大人の人間関係でも一緒ですね。(^ ^)
今がよければ、それでいい。
これは意識の話ですね。
私はこの考え方は好きです。
が、
この考えは、実はかなり深くて、
本当に今を生きれてる人が使えれば、
それでいいになります。
だけど、ほとんど方は今ではなく、過去か、未来に生きています。
ですから、神経も過緊張気味になり、身体は硬くなっていきます。
いくら意識で今が良ければと言っていても、身体は徐々に変化していき、10年単位で見た場合、
身体のケアに投資してきた人と、
ほったらかしにしていた人との差は歴然とします。
今、当たり前の様にできている仕草。
例えば、立ったり座ったり、
歩いたり。
そんな当たり前の毎日が当たり前じゃなくなってしまう。
大抵の場合、失ってから気づくのが人間です。
仕事や、家庭、社会などを言い訳にして、身体への意識、時間を作らなかった結果は、とても大きいです。
今を生きているとは、身体と全てが隅々にまで薄く通っている状態。つながりがわかる状態です。
つながりがわかると、違和感がわかります。
自分ではできない人はプロと一緒に。
人は支え合う生き物ですから。(^ ^)