Blog記事一覧 > その他 | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院 - Part 16の記事一覧
整体といっても何でもかんでも全てが改善する訳ではありません。
やれる事をこちらは全力を尽くして行ないますが、
それはあくまでお客さんの身体の体力の範囲内。
そして体力を上げるには、
やはりお客さん本人の気持ちと、それを表す行動が必要になります。
いくらどんなカリスマゴットハンドの先生であろうと、
どんな状態でも改善する訳ではありません
が、
諦めずに継続して受けて頂くことで、
直ぐには実感出来なくても、
目には見えない、
検査にも出ない様な、
細胞レベルからの変化は確実に起こっているのを、
私自身が、17年の臨床経験の中から確信しております。
ですから、
どんな状態であれかならず起こる好転する反応を無駄にしない様に、
生活習慣の見直しも是非に取り組んで頂きたいです。
こんにちは。
私はMr.Childrenが好きで。
大体このグループの歌ばかり聞いたりカラオケでも歌うんですが、
最近発売されたNewシングルの
ヒカリノアトリエ
という歌も、すごい良いでシェアします。
なんだか勇気が湧く歌詞で、
NHKの朝ドラの主題歌にもなってたみたいですね。
以下が歌詞です。
「雨上がりの空に七色の虹が架かる」
って そんなに単純じゃない
この夢想家でも
それくらい理解ってる
大量の防腐剤
心の中に忍ばせる
晴れた時ばっかじゃない
湿った日が続いても腐らぬように
たとえば100万回のうち
たった一度ある奇跡
下を向いてばかりいたら
見逃してしまうだろう
さあ
空に架かる虹を今日も信じ
歩き続けよう
優しすぎる嘘で涙を拭いたら
虹はもうそこにある
「一体何の意味がある?」
つい 損か得かで考えてる
でも たった一人でも笑ってくれるなら
それが宝物
誰の胸の中にだって薄暗い雲はある
その闇に飲まれぬように
今日をそっと照らしていこう
過去は消えず
未来は読めず
不安が付きまとう
だけど明日を変えていくんなら今
今だけがここにある
遥か遠く地平線の奥の方から
心地好い風がそのヒカリ運んで
僕らを包んでく
たとえば100万回のうち
たった一度ある奇跡
ただひたむきに前を見てたら
会えるかな
空に架かる虹を今日も信じ
歩き続けよう
優しすぎる嘘で涙を拭いたら
虹はほらそこに
過去は消えず
未来は読めず
不安が付きまとう
だけど明日を変えていくんなら今
今だけがここにある
きっと
虹はもうここにある
以上です。
今、ここで、このブログを読んでいるあなたは100万回のうちの奇跡どころか、
無限である0から産まれた存在。
もしも叶えたい夢があるならば、
行きたいところがあるならば、
治したい病気があるならば、
応援したい事があるならば、
会いたい人がいるならば、
見たい景色があるならば、
幾つになっても、諦めるのはまだ早い!
若さとはチャレンジし続ける事なのだから!
今から部屋からでて、ドンドン行動しよう!
行動に移そう。(^^)
毎年元旦に
奈良療法院の津野晃玄斎先生から届く
年賀状での素晴らしい言葉を、
にシェアしますね。
無病短命。
一病息災。
健康は他人任せで良いほど安物ではない。
自らも力を注いで守るものである。
家の代わりはあっても、
身体の代わりはない。
病気があるのではなく、ただ病める人がいるのである。
人間はもともと孤独で弱いものである。
特に病気になった時は、心身が傷つく。
臓器の医学ではなく、
人間医学が必要である。
病は軽傷の時にこれを施術すべし。
罪は小さい時に、ザンゲすべし。
未病を治す。
無理な我慢は命を削る。
慢性病を治すのは、借金返しと同じである。
我慢と辛抱と根気よさが必要である。
身体が悪くなるには余程の日数がかかっている。
施術とは行った道を帰るようなものである。
病は自然が治す。
神が傷を癒し、我はただ包帯をするのみ。
人間は生きてる限りよくなろう、
よくなろうとしている自然治癒力を授かっている。
病ありて、薬をせざるときは、中医を得る。
人生ひとつの旅路である。
道草をくったり、迷ったりした苦しい旅の方が面白みがある。
主役はあなたということ。
どーでもいい話ですが、
最近、モスバーガーに行きメロンソーダを飲んだんですが、ストローで飲む炭酸って、すごく飲み心地が良いですね。
ズッゴォーって入ってきます。
添加物の塊ですが
たまには飲みたくなったりします。
その場の雰囲気や影響力でしょうね。
これは身体も一緒で、
ストローの様に折れ曲がらず綺麗に伸びていたらズッゴォーっと体液が流れ、
病気の悩みは少なくなるだろうなと思いました。
その為には、日頃から少しずつでも歪みをなくしていきたいですね。
新年あけましてお目出とうございます。
初日の出は見られましたか?
どこで見られましたか?
いつも通りのいつもの場所から。。。
そう。家の窓から。笑
昨年話した神様とは年神様の事です。
元旦には年神様(としがみさま)という一年の幸福をもたらしてくれる神様が、
各家庭に来て下さるそうです。
ですから、お正月の子供の頃からやっている?事は、その年神様をお迎えする作法なんですね。
例えば、玄関のしめ縄は、見えない邪気を防いで、門から中を神聖な場としての結界になります。
他には鏡餅。あれはお迎えした年神様の依り代。つまり、神様に宿っていただく場所です。
お正月明けの「鏡開き」のときには
お餅を割っていただくのですが
「神様から功徳を分けていただく」
という意味があるそうです。(°▽°)
子どもたちの楽しみであるお年玉は、年神様から分けてもらった「年玉=年魂」を意味し、年魂を貰う事で、
この一年を元気で幸せに過ごすための活力を頂けるという作法です。
そしてコマ廻し。
コマの中心を芯と呼びますが、他には「新」、「真」を表していて、「ひとコマ」のようにひとつの「節目」の表れのコマを廻して遊び、末長く安定して良い運気が廻り回るように願掛けが隠れています。
凧あげでぐーんと高く出世するように願掛けをしたり。
男の子が生まれた時は特に行っていたみたいですね。
そしてお目出度う。
おめでとうと、
節目を祝います。
この祝いムードに乗って、
本年もよろしくお願いします。(^^)
大晦日になりましたね。
大掃除は終わりましたか?(^^)
新年に神様が参られますから。
綺麗にして、入らないものは捨てちゃいましょうね。
私も今日はお昼から氏神様へお礼参りに行って来ます。
循環は礼に始り、礼に終わりますからね。
そして、
今年も一年間、
当院に賛同、応援、活用していただいて、
誠にありがとうございました。
みなさんのお役に立つには?
に、ベクトルを向け525,600分?
頑張ってきました。
それは施術のコンセプトをも覆しました。
整体であらゆる症状を改善したい。
でも、その根っこは、
ただ痛みや症状が無くなれば良い。
とりあえず治れば良い。
今さえ良ければ。
とするのでは、自然物である身体に手入れをし過ぎてしまう。
それでは必ず歪みがくる。
今にちの自然災害の様に。
それでいい?
いや、そうではなくて。
なるべく、極力自然に近い形で。。
日本人が大事にして来た自然への手入れ。
それは支配、征服ではなく、
共存。共有。
身体へもそうありたいとの思いが、
今のエネルギー学整体技術へと繋がっています。
お陰様で元気に仕事ができました。
来年も引き続き、更にお役に立てる時間を提供したいと思います。
人は意識ある限り、進化は止まりません。
どうぞよろしくお願いします。
良いお年を〜\(^o^)/
先日、勉強会の為に飛行機に乗っていると、
耳が聞こえなくなり痛くなってきました。
目的地に到着しても痛む。
変な体勢で本を読んでいたからかなぁ。
こんな時はどうしよう?
と、唾や水を飲む耳抜き法をやってみましたが、なかなか痛いだけで変わらず。
うーむ。
こうなったら、整体を知識をフル活用。
耳が痛くなるのは、急な気圧による内圧バランスからくるもの。
と言われるが、
首の負担と、鼻の通りが悪いとも考えられます。
予想どおり、
鼻の通りを良くする為に頚椎の調整をすると、耳抜きが成功しました。
帰りの時には耳鼻を温めて、首の凝りが詰まらないように予防して帰りました。
チャンチャン。
今日は10月頭の台風時に雨水が床下に浸水してきた場所の修理をしてもらってます。
やはりプロですね。
作業は早いです。
昨日から現場の邪魔になる小物類をダンボールに入れてるんですが、、まぁびっくり。
結構すごい量です。
引っ越しのダンボール五つくらいになりました。
もう11年もやってたら小物も増えますね。
来年は開業12年目に突入です。(^^)
それにしても物が無くなったらシンプルでスッキリで。
なんだかこれはこれで良いかも。
でも、ちょっと寂しい雰囲気です。
私は自分の好きな物に囲まれて生きるのが気持ち良いみたいです。(^^)
養生訓とは、健康で生きる為にはを研究した人の書いた江戸時代の書物です。
その養生訓で特に大切なのが、
身体は毎日少しでも動かそうという発想。
同じ場所に長く座っていてはいけない。
食事の後にも、静かにちょっと動いておこうと。
書かれています。
と、いう事で、
ブログを書く姿勢は長く同じ姿勢になりますから、歩いてきます。ヽ(・∀・)
界面活性剤は汚れを落とすには必須のもの。
だけど、もともとは天然の物を使っていました。
工業化が進み、より安く安くを求めて出来たのが合成の界面活性剤。
だけど、
私たちの身の回りには天然の界面活性剤があります。
身近な食材で言えば卵黄の卵黄レシチン、大豆の大豆レシチンは食品の乳化剤として使われていれそうです。
マヨネーズを作るときに卵と油がきれいに混ざるのは、卵黄レシチンの働き。
また、
ムクロジの実やサイカチのサヤと実など、
植物に含まれるサポニンは、石けんのなかった時代に洗浄剤として使われてました。
これらレシチンやサポニンは天然の界面活性剤です。
いまさら天然の物を使って洗濯とかは出来ないですよね。
ちなみに、石鹸は油脂とアルカリを原料として、人間が作り出したものです。
ただ、石鹸はいわゆる「合成界面活性剤」ともかなり違っています。
人と共存してきた歴史が長く、
製造方法がシンプルで、
酸と出合ったり薄まったりすると界面活性をすぐに失ってしまう性質は、
合成界面活性剤にはない特長です。
初めての石鹸は、羊を焼いたときに肉からしたたり落ちた脂と熱々の木灰(アルカリ)が反応してできたといわれていますが、
このときの石鹸はかなり原始的なものですが、しかし現在私たちが使っている石鹸と本質的には変わりません。
「たき火」と「焼き肉」程度のことで簡単にできてしまうことからも分かるように、石鹸は数ある人工物の中でもかなり自然に近いものであると考えられます。
高温・高圧をかけ、さまざまな化学技術を駆使してようやくできあがる合成洗剤とは、だいぶ様子が違うのですね。
そういえば、
最高級の石鹸の元は、人間の脂肪からとれる脂だと聞いた事があります。
信じるか信じないかはあなた次第!笑




























































