Blog記事一覧 > 武術稽古の養人塾 | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院 - Part 11の記事一覧
今週の武術では聴勁で聴功を鍛える稽古を中心にしました。
と、言っても遊びですけどね。笑
聴勁とは、相手の情報をいかにい汲み取り把握し、それに逆らわずにこちらの情報を伝えるかという、言葉にしても難しい稽古です。
でも、武術では相互の関係の中で、この情報のやり取りは基本になるので、とても大切です。
武術の稽古は決して道場や、稽古場が主ではなく、人生という舞台でこそ主になり、だからこそ活用範囲が広いです。
施術でも、腕や足を触っただけで、何処とどこが詰まっているのか?などが分かるようになります。
良かったら一緒に練習しませんか?(^^)
楽しみたい人は来て下さいね。
商売がうまくいかない。
恋愛がうまくいかない。
一体、
自分の価値とは?
答えは、
誰かに自分の価値を証明する必要はない。
ただあなたが自分の価値に気づいていればいいのです。
もしも自分で価値が見いだせないならば、
他人はもっとあなたに価値は見いだせません。
誰かがいつか価値をわかって、たくさん買ってくれるはず!
愛してくれる誰かがきっとどこかにいるはず!
と、期待するのはラクですが。
自分がその価値をまず認めてあげない限り商売は長く続がないでしょう。
また、自分を愛してない限り、その恋愛は上手くいく事は難しいでしょう。
価値は自分から試行錯誤して作り出す物だからです。
自己啓発セミナーなんかに参加すると、
ある人は意思表示をするなと言ったり、、
意思表示はしろと言ったり。。
どっちなんでしょうか?
と聞かれましたが。
が、私の考えでは当たり前なんですがどちらも大切です。
場次第とも言えます。
この前は武術的にその稽古を行いました。
意思表示とは相手に伝えるものであると同時に、相手になんらかの本気をぶつけないと、相手はまったく反応しません。
意味のないというか、
本気でない意思表示はスルーされやすいという事です。
反応がないので、そのまま意思が通るか、見破られてカウンターをくらいます。
この本気というのは、他人から与えれるというよりも、自分から湧き上がってくるもの。
湧き上がって来ないなら、
それは自分を押し殺す義務教育の賜物です。
押し殺せる人は、会社では重要だし、学校でも良い子として扱われます。
しかし、これからの情報化、国際社会では、自分を押し殺しているとある人は個性がないと言われたり。ある人は我慢の限界となりストレスとなって病気になりかねません。
かと言って我が儘放題というのは、まるで三歳児かな?ってなってしまいます。
ワガママには本音が隠れているので大切ですが、それは素直という条件付きであり、
これもまた場合によります。
では本気を取り戻すには?
それは、本気のものに触れる事です。
本気とぶつかったその時の、自分の押し殺していた感情を認める事です。
会話はその本気の時に奇跡を起こします。
動的歩行と静的歩行というものがあります。
歩く際に重力によって重心が不安定になったお陰で脚を前へ出し、歩くものが動的歩行。
逆に、重力の中で重心を安定した場所で脚を出して前に進んでいくのが静的歩行です。
どちらが良いの悪いのではないですが、
古来日本の文化での歩きは動的歩行だったそうです。
重力を上手く使うので疲れない。
武術でも縮地法という、相手との間合いを一気に詰める歩法がありますが、
これも動的歩行の応用です。
静的歩行と言えば、軍隊や、モデル歩き、スリッパ音鳴らし歩きみたいな歩き方で、
現在人はほぼこちらの歩き方ですね。
この歩き方は、自分を安定させ続ける事にエネルギーを使い、歩く際にもまた安定を求めて、エネルギー不足に陥りやすいです。
逆に動的歩行は、
不安定の中で安定を作ります。
軸は不安定なんですね。
自転車や一輪車もそうですね。
止まっているより、動いてるほうが安定します。
また、
歩行といえば人生は歩みと言いますが、
毎日の人生が不安だと思っている方も多いですが、不安定の中にこそ安定があります。
その不安定の中の安定を見つけるには、動き続ける事が大切だと言えますね。
続けてきたものだけが、安定をつくる要素となります。(^^)
小学生の頃の私のブームは書道でした。
それには理由があって。
何かというと先生が褒めてくれるから。
で、何故褒めてくれるのか?というと、
周りとは違う事に意識があったから。
それは、私が
書道で意識していたのは文字じゃなくて音。
墨をする音や
文鎮を置く音。
筆の進む音。止まる音。
自分の息づかいの音。
筆を置く音。
その時々の出している音は自分の心を映し出しています。
だから、
書道では丁寧に、時間をたっぷりとって、音を静かにしていくと、心も静かになって、先生にも褒められると。笑
色々な賞も頂きました。
なんせ、みんなガヤガヤうるさかったから。笑笑
でもこれは日常でも同じです。
腹が立ってる人はドアを閉める動作もうるさい。
ドアの開け閉めの音ひとつでも、
その人の心の音そのものを表現しているといえます。
あなたはどんな心を表現しているでしょうか?
おはようございます。
私が好きな武術に沖縄空手があります。
何がよいかと言われると、
沖縄空手は受けを大事にしているという所です。
沖縄はもともとは琉球王国として、
自分達よりも巨大な力を持つ日本、中国、アメリカなどとの貿易の中で絶妙な受け身を使ってバランスを取ってきた文化があります。
受けとは、相手の自己主張でもある攻撃をキャッチするという事から始まるという行動学です。
これは個性の時代と言われる現在人には難しい事です。
結局、
自分がどうしたいか?
自分が何をしたいのか?
を、ただ闇雲に主張する方が簡単だからです。
相手の攻撃を受けるのは大人になってないとできません。
赤ちゃんや子供は自己主張が仕事です。
大人は、それを受け、上手に返す技術が必要になります。
受けはそのまま攻撃にもなります。
上手な受けは上手な伝え方に繋がるからです。
大人の関係で大事なのは伝えれるのかどうか?です。
その為の受け。
いかに受けるのか?
これを空手を通して模索して、一緒に成長していく稽古が楽しいのです。
私もまだまだですが、
大阪人はウケを狙う人が多いですよね。笑
私、漫画が好きなんですが、
ワンピースと漫画はすごいですね。
この今の時代を綺麗に描写してます。
特に正義という文字を背中に掲げて、
正義の名のもとに、思いやりがなくなってしまった政府はいつも自由を掲げる海賊と衝突してます。
でも、見方によってはどっちが海賊かわかりません。
正しいってのは、
丁度良いってのが本来の使い道なんですが。
勘違いして、こうじゃないといけないと決めつけてしまうと、
思いやりをなくし、敵が増え、ストレスが上がり、気がつけばギスギスしてしまいます。
だから、丁度良い所を探しましょう。
その為には、
仁の気持ちが大事です。
よく仁義といいますが。
義は、誠実さを貫く時に使われますが、
その義の前に仁があるのには意味があります。
仁は思いやりですね?
自分が正しいという気持ちの前に
思いやり。
思いやりあっての正しさなんですね。
養生訓とは、健康で生きる為にはを研究した人の書いた江戸時代の書物です。
その養生訓で特に大切なのが、
身体は毎日少しでも動かそうという発想。
同じ場所に長く座っていてはいけない。
食事の後にも、静かにちょっと動いておこうと。
書かれています。
と、いう事で、
ブログを書く姿勢は長く同じ姿勢になりますから、歩いてきます。ヽ(・∀・)
人生をどんなものにしたいのか、考えるならば、
どんな終わり方が理想なのか?を考えてみましょう。
人生の幕引きを考え、意識した時から、
理想の生き方とは?が決まります。
でも、それを人にいう必要はありません。
大事にしまって起きましょう。
武術には息の吐き方で相手をコントロールして負けない様にする技が口伝であります。
例えば、空手の息吹き。
これは、ハの音霊で、引き合う力が働き相手の重心をコントロールしたりします。
その他にチの音霊をだし、身体を凝縮させて突きや蹴りを跳ね返す。
ロシアのシステマではフの音霊で酸素を増やし自分の身体を脱力させるなどです。
因みに空手でヤァーの言霊を使うのは飽和させる力があるので、伸びない突きとなり相応しくありません。
ため息なんかも、ハの音霊が多いですよね。
はぁーと、一緒にいる人の重心を狂わす事にもなりかねませんから、あまり多用はよくないですね。
ホはどうでしょうか?
安心した時なんかに、ほぉっ、とでますよね。
ホは引き離す言霊があります。
ですから、不安と離れたい場合なんかは良いですよ。
自分に力が入ってる時はフぅーと脱力しましょう。(^。^)
過緊張は病気の元ですからね。




























































