Blog記事一覧 > 武術稽古の養人塾 | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院 - Part 13の記事一覧
4月2日は研修の為にお昼までになります。
自分を変えないとあかん。
今の自分を変えていかなぁー、
って強く思って行動すれば、する程、
実は変われません(´Д` )がーん。
変えたいよぉーの思いの裏には、
他に何らかの問題があり、(本当に欲しいものや、やりたい事から目をそらさせる為のもの。)
それに対して感情的に疲れて、
どうにもならなくなって、
もがいている現状なんです。
もがいても、この世は上手にそことバランスをとり、続けます。
そもそも問題というものは無くなりません。
しかし、不安や恐怖を軸にした行動だと、問題は〜やらねばの感情だけが強くなっていく。
ではどうしたら変われるのか?
それは、しっかり味わう事です。
ちゃんと目の前事を味わったら
次に素直な気持ちが湧いてきます。色眼鏡が外れ出すんです。素直に、客観的な自分を受け入れれる。
変わる必要なんてないやん。みたいな。
すると、この世界は陰陽、表裏は同時に起きて現れているので、結果まったく反対の自分に変わっています。
そして不安じゃなくなってきます。
不安からの行動ではなくて、
楽しくての行動に変わり始めます。(^ ^)
どうあがいても自分がいるからです。
気がつけば次のステージに進んでいます。
それは問題ではなく、課題という認識のステージ。
姿勢が変われば、
呼吸が変わります。
行動力が変わります。
そして対人関係が変わります。
対人関係の最終形態である武術では、
練習ではこの姿勢を作る為に色々な型を繰り返しています。
同じ事の繰り返しの様で課題や、設定を変える事で全く刺激は変わってきます。
その中で共通しているのは姿勢です。
姿勢が悪いと、それだけで無駄な力がは必要となり(姿勢を作る為にエネルギー消費)本当に伝えたい力はごく僅かになってしまいます。
ですから姿勢は兎にも角にも大事になります。
今年は、どんな年になるのか?
大きなテーマで見るなら、
自己を超越するような年になるそうです。
価値観、仕事観、人生観が変わるような。
大きな波が何度もやってきたりして。
そんな時は
自分を真っ白に、
自由に、
思い切って、
ぶっ飛んで
一年を考えてみるのに、
よい機会です。。(^ ^)
自分を越えていくってすごいですね!
でも、自分一人では出来ませんよ。
自分を壊すのも、
自分を作るのも、
そして自分を超越するのも、
他者が必要です。
他者との関係が自分を超越させる感性を作り上げていきます。
武術の考え方ですが、
今の自分を変えるには、自分主体から相手主体に
変える必要があります。
例えば施術で言えば、
身体を自分では上手く施術できないから、
病院や整体を受診するはず。
次回の、診察日の予約などは、何時がいいのか?
は、その身体を診た先生が一番分かっているはずなんです。
ですから、次は何時来たらいいですか?と尋ねるのが、
理順に則った、理想の筋になります。
と、いう事は、自分で予約を決める場合は、身体も変化しにくくなります。主体が自分になっているので。
自分でわからない部分は他人でないとわかりません。
もちろん、他人だからわかる部分があれば、自分にしかわからない部分もあります。
しかし、施術を利用して、現在の状態を変化させて行きたいならば、自分が知らない部分を変えてくれる他人が必要となります。
ですから、本気な時ほど、ちゃんと次回の予約日を訪ねてみて下さい。(^ ^)
ちゃんと武術を稽古しようと思ったならば、
ルールを決めた自己満足な行為や、自己主張の仕合いや、他人のいない稽古では、自分の我を高めていくだけで、
役立たない虚栄心や、勘違いの自信、不必要な恐怖心など、無駄な乱暴感が生まれていきます。
そして、それは武術としては逆のベクトルを向いてる事になります。
武術で稽古しているのは、
そういった事ではなくて、いかに自己を否定し、自分の癖に気づけるか?なのです。
他人がいるお陰で自分に問題を持つ事ができます。
そして、
自分に問題をもてなければ、
解決もできません。
それは、武術稽古をしていても、今までと何も変わりませんという事です。自分満足な世界。
それどころか人間関係的には迷惑な存在になりやすくなります。(;´Д`A
他人を尊重して、自分とちゃんと向き合う。
だから、成長できるんですね。
思いやりの世界です。
相手がわかるようになると、初めて自分が知れます。
この自分を知るとは、相手がいて初めて成立します。
良く武術などで、1人稽古をして、こんだけやったんだから、自分はめっちゃ強いと思い混んでしまうパターンがありますが、
武術の強いはあくまで相対的な物であるので、
相手を実際に向き合って稽古をした時に、自分の実力がわかってきます。
もちろん、昨日の自分と比べるというのもありますが、その昨日の自分も他人との関係の中で生きているので、それを無視してしまうと、自己満足の気持ちの悪い人間になってしまいがちです。
で、結局、
稽古には他人が必要なんですが。
他人に稽古を付き合って貰うには他人を尊重しないと、そもそも付き合ってくれません。
稽古自体が尊重が大事になってきます。
そして付き合ってくれる他人に技がかからない自分を知っていく事で、1人稽古も役立ってきます。
量子学的には自分とは全ててあるんですが。
実際に生活の中で問題としてでてくるのが、
個と個との関係性です。
なんで問題になるのか?というと、
みんな自己主張したいんですね。
で、相手の話は聞いていません。
人は人の間で生きるから人間といいますよね。
その間を感じる能力が落ちているんですね。
昔から、間が悪いとか、間をとると、間をつくるとか言葉が残っていると思います。
そうした間を感じる能力の低い人を、
間抜けと呼んでいました。
そんな難しい間の稽古などを武術を通して経験する事で、相手を幸せにする能力が養われていくのですね。(^ ^)
武術と医療は表裏一体です。
現在医学は、戦争の際に特に発達してきました。
武術でも、相手を思いやる見切りを、
手当てに使うと、医療になります。
例えば、
この人はこんな風に歪んでるな。
この人はこんな生活をしていそうだな。
この辺りを手当てすると、良く動くようになりそうだなぁ。
などです。
また、どんな意識かで手は大きく変化します。
礼をするのか。
受け入れるのか。
支えてあげるのか。
見守りながら待つのか。
強引に引っ張ってあげるのか。
様々な可能性を引き出してあげるのか。
そして、
親子関係は?
仕事の関係は?
自分は見切れてるのか?など。
武術の、世界では意外にも思いやりが一番大切な学びとなります。
それは、生命として、相手の存在価値を尊重する。ということ。
相手を思いやり、相手の立場に立って、相手の意識を感じとり、相手の気持ちになる。
これは、相手を見切ると言った事に繋がります。
この見切りは、とても大切な技術です。
何故なら見切りが無ければ、時代が時代だと、自分よりも強い相手との交渉だとすぐに殺られてしまいます。
武術とは生き延びる事ですから。
見切りがどれ位大切な事か。
これが、出来るようになると、
現在の時代では、相手の気持ちを察したり、場の空気を読むなど、とてもありがたがられる人にもなれる訳です。
また逆に言えば、武術的には自己主張はしないになってきます。
自己主張するとは、相手に見切られる。
すなわち殺られてしまい易くなると言う事です。
そんな事から私もちょっとおとなしくなりました。(^_^)
大人しくなりすぎたら、また面白さもないので、これもバランスが大事ですね。