Blog記事一覧 > 武術稽古の養人塾 | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院 - Part 7の記事一覧
先日、
大陸の家伝で一子相伝に伝わっていた水の呼吸を表す型を学ぶ機会があり稽古に参加させて頂きました。
内容は硬く他言禁止という事なので、
詳しくは書けませんが、
簡単に言うと、
静止した状態による様々な気づきを味わうような内容でした。
静止って、
結構ハードです。
岡山で入ったタンクを思い出します。
あれは寝てるだけですけど。
その型をすると、
正座もしてないし、立っているだけなのに、脚が痺れます。
だけど本来ならば、その状態が一番心地よく楽な状態なんだと教わりました。
私自身が型の最中に気づいた事としては、
普段からなんでもあまりに細かく伝えすぎるのも、
本人の気づきの邪魔になるなというものでした。
沈黙の大切さといいましょうか。
自分で気づくから、
思いもよらない結果や効果が現れる可能性があるからです。
整体中も、
身体と会話をしているときには、様々な情報が入ってきます。
だけど、それを言語化して言葉にするのは、またモードが、変わり、繋がりは無くなります。
何をしていたのか、
何が起こるのか。
あまり言葉にしないことの大切さを大事にしたいと思います。
かと言って、伝えないといけないことは伝えれるようにしますけれど。
伝えることと、
沈黙することの
絶妙なバランスを今後も精進したいと思います。
私は昔から
言ってることがどんどん変わると言われていました。
そして、コロコロ変わる事が全然苦痛ではありません。
次々に払い、祓い、はらいまくりの人生です。
むしろこだわりが、少なすぎる様にも見えることもありましたが、
でも実際は物凄く軸はあります。
今の真実で生きたいということです。
普遍の追求ですね。
施術で言えば、より自然治癒力が出せる方法があるならば、こだわりはありません。
だから色々と勉強しています。
そして勉強したことは自分で留めずに必要だと思う方へお伝えしています。
また、この時点で真実だと思うことをなるべくお伝えしています。
とはいえ、
正しいと信じていることも時代と共に、
転換して循環するのも真実です。
宇宙?
世界はその正しいの反対の正しいことに出会うようになってそうなんです。
そういった意味からこれからの世の中では、
何が正しくて、
何が正しくない。
という論争や言い争いは、ようわからん傾向へ進みそうです。
何故ならば、
正しいの反対には、陰陽の如く、
必ずその正しいの反対の正しいが在るのがわかったからです。
西洋医学や、栄養学なんて、真反対になることは散々ありますしね。
だけど、問題があるならばやはり、
時代、時点、ただ今、
この瞬間に、
問題を作りだした人にとっての真実は、
問題を作りだした人の関係性の中に隠れているのです。
だから会話で色々とわかるわけです。
関係性を無視すると、
どうなるのか?
この前未来健康フェスタに参加して、
西洋医学のお医者さんが見えないモノの話をされていましたが、
この世は、見えるものと見えないものが、
交互にきらきらと光の中でまぶしく球回転したり、
螺旋回したりしているようなのです。
量子力学のことなので、難しいですが、
それは、
ぶっちゃけ、観測できるこの世の中のことは、
すべてが正しくて、
またすべてが正しいということが真理になってしまいます。
だけど、やっぱり
関係性で成り立つ、社会では相対性の
場なので、
そうはならないですね。
やはり立ち位置、
言語、
行動によって
問題が起こったり、味わえたりします。
ワンネスの視点ならば、
バランスを取らずとも、
調和に気づくと問題は問題でなくなりますがね。
今を生きるって、
実は私達は今を感じれるようにはなっていません。
今は思考を、超えたところだからです。
今を感じようとした瞬間にそれは思考を通した過去になっています。
それを今週、武術の稽古で行いました。
武術では今を生きてる人が生き延び易いと教わります。
あれこれ先を考えてたり、過去を分析したりしてるようではやられてしまいます。
考えるのは確かに大事です。
しかしそれは戦略と言って、
今、その場で相手と向かい合う前に練るものなのです。
その場で行うのは思考ではなく、
思考で身体の邪魔をしない事です。
その何千分の何秒かの決断力というかの違いが勝敗を左右することになるからです。
今を生きている時は時間感覚が無くなります。
表現するなら、頭の中の雑念が消えシーンとする感じでしょうか。
まぁこれも後付けですが。
体験しないとわからないもので、
体験すると、なんだこんなの経験した事あるよって感じでしょうね。
何故なら、人が真剣になった時は、
今を生きているからです。
人生で一度も真剣にならなかった人はいないと思います。
今週は、
示現流や天然理心流の使われてる様な木刀が手に入ったので、
先ずはそれを使って入り身の稽古。
そこから四股を使ってワーク。
サンチン、
ナイハンチ、
初段、
の型稽古。
受け身の稽古と、
刀を持っての受け身。
裏肩抑えと足さばき。
入りのコツ。
天と地を使った投げ。
手首の極めと繋がり。
在り方の中のやり方。
やり方は仮説と検証の繰り返し。
自分が変わらなければ、生活も変わらない。
野球にしても、うまくボールを打てなかったら、打ち方を変えるなど工夫がいる、
同じ打ち方を続けて打てるようになりたいというのは無理な話。
ウォーズマンのパロスペシャル。
肩手首抑えと活。
導引の肩。
縮んでいるだけじゃなく、開いてるだけじゃなく、縮んで開くが大事な話。
そこからのギフト投げ。
押し合いでの通り道つくり。
相手に動かされる体操、
価値感があるから反発できて、
軸やおもみができる。
だけど、
単なる反発や否定は何も生み出さない。
それは自分とは違う意見を受け入れられない頭の固い人間ということを表している。
学習能力が高いとは、
器の柔軟度と、ブレンド力。
できないモードでも、やる事に意味がつくれる。
でした。
楽しい稽古になりました。
いつもありがとうございます。
感謝いたします。
今週の武術は久々の?
エネルギーを使った技の稽古でした。
と、いうのも霊能力みたいなものを修業したいと言われる方が、おられたので、そのためには、肉体を使って稽古しないとあかんということ体感的に行いました。
まずはマインド設定の話から。
人は自分の好きなものや、
好きなことに時間、お金、命を、先に優先させると、
他のことや後の事はなんとかなる話から、
今があるのは、その前と、その後がらあるからの仮説話。
そこから今を変えるには?
1、準備を変える。
2、未来を承認する体術理論。
達成感とは承認である。
承認と問題視。
エネルギーの見えない太刀を意識しての入り身稽古。
目線とエネルギーの動き。
火事場のクソ力の呼吸力。
エネルギーの移動と、流しかた。
エネルギーを物質だと思って扱う話。
重さとエネルギー。
サンチンの癖修正。
エネルギーと移動力。
足と股関節の重心移動。
刀を使った握りと斬り方のひとつ。
エネルギーと空間操作。
言霊と文字が及ぼす影響エネルギーの実験。
すべてはエネルギーの現れの違いということの解説。
エネルギーを使った肩抑え。
エネルギーを使った小手返し。
抑えは導引術となる話。
導引術は中心を軸に詰めたり離したりする体操の話。
手鏡。
エネルギーを着る。
砂の我愛羅の絶対防御の例え。
腹を使った手首の押し合い。
先に出すと必要なものが入る。
捨てるから入る、
問題にしないと、問題にならない。
願いは溜めておいてもエネルギーになる話。
循環が大切な話。
などになりました。
武術稽古はあくまで趣味であり、遊びです。
ありがとうございます。
感謝いたします。
今週の武術稽古には、
小学一年生の男子とパパが参加してくれました。
目的は空手の試合に負けたのが悔しくて。強くなりたいとの願望からとの事。
子供の試合の場合、
ほとんどは前進力がモノをいいます。
速い突きや蹴りというよりも、相撲の様な稽古で地味に鍛えていくと、グンと勝てる様になります。
後は審判に見える様な立ち位置を確認するとか。
そんな話をしながら、楽しみながら稽古をしてもらいました。
後は、
正拳の握り方のひとつ。
握り手で変わる力の出方。
握り手で稽古。
体重の移動を使った対応、
身体中の線を使った肩抑えのからの逆転、
遠方へのアプローチで変わる目の前。
相手を認める事でのありようを使っての小手返し。
緊張と弛緩のさとりを使った変化技
抵抗に対する抵抗からの脱出。
認められるから緩む。
結果に対してアプローチを変える。
変えるけど、変えるのは相手と一番近い所だけ。
表裏逆。
肩抑え、
肘決め、
後ろ掴みからのキメ、
回転しての投げと足さばき
などを行いました。
女性の方はダンサーをしてはったので身体の動かし方が抜群に上手いです。
くるくる廻され私は目が回りました。
ありがとうございます
感謝いたします。
今週の養人塾のお稽古は、
基本にもどって、在り方のとらえかた。
外は寒いけど身体は熱くなりました。
出始めはマイナスなコトばかりに目が行く?の改善を塾生からのリクエストでした。
この世の現実として、マイナスやプラスってのは、とらえ方次第で、思考が作り出したもの。
現実は現象がただ起こり流れてるだけ。
マイナスにとらえてしまう癖として、
スタートからゴールまでの間ではなくて、
ゴールにだけ目が向き、
結果的に満足感にだけ集中してしまうからの実技。
そもそも癖は後天的につくりあげたもの。
武術は癖の客観的視点の訓練。
満足感は、一瞬であり、
また次の満足感を求めてさまよう。
永遠には手に入れ続けれない現実を知る。
満足感も良いけど、それまでの空間に達成感を取り入れてみる。
達成感はゴールできなくて良い。
アクションを起こす事で味わえるのが達成感。
達成感はやれることをやるから得れる。
ゴールにたどり着くか、
欲しいものを手に入れるか、
なりたいものになるかは、
自分の力を超えたエリアだと知る。
コントロールできない自然物。
コントロールしようとするマインド。
コントロールしようとするから掴む。
コントロールを手放してみる。
空間を味方につける。
空間が表す結果。
結果と使命と、AKB48に入りたい人と、本当のゴール。
お任せできるのか、
信頼できるのか。
立ち方と、カラダのゆらぎ。
強くても弱くても、重くても軽くても尊重。
腹のゆるみ。ひろがり。
ナイハンチとゆらぎ。
武術的な、
手首表逆、裏逆、
肩抑え表逆裏逆。
手刀と足がまえ。
さばき。
押し合い。
わかるも、わからないもコントロールしない。
自然におまかせ?
おまかせのみだと、だから何?になる。
どうなったらよいのか?の助言や欲望の重要性。
合気両手押さえ二人組。
を稽古しました。
いつもありがとうございます。
感謝いたします。
今週の武術のお稽古は、
取手、関節技の体操。
感じる稽古を中心に、
自分の身体を知る。
遊びと気づき。
反射と流し。
片手持ち押し合い。
裏投げ。
四方投げ。
腹式呼吸と逆腹式呼吸。
逆技
不可視の長波とイメージ力
などをやりながら、
自分がいかにやってるつもりでいるのか、
本来の全然能力を使ってない、
自分の身体が当たり前過ぎて感じてないか、
の稽古になりました。
相手になっている方が手首を掴んできても、
いつもの日常の延長線上の使い方で、
出来ないあり方で動かそうとしてしまう自分。
でもストレスがかかるからこそ、
自覚できる自己能力の発見の楽しみ。
日常のストレスが自分を成長させてくれる経験の積み重ね。
全体へ繋がりを感じる。
繋がりを諦める前にちゃんと対応したのかを知る。
繋がるほどエネルギーは大きく作用する力となる。
相手を緩めるだけでなく、自分の身体を使い切る。
力の中の繊細さ。
などを稽古しました。
ありがとうございます。
感謝いたします。
世の中には一発逆転!
を表面にだした話がたくさんあります。
新しい商品を作り出し成功したとかストーリーや、
貧乏状態だったが何かの秘密を知って大金持ちになったストーリーとか。
そういう話はやっぱり人気ですので。
小説や映画にもなりますね。
そして、
そんな成功ストーリーに興味し、
注目し、いつか
自分にもチャンスがこないかと期待します。
勉強会なんかに行っても、
実際に一発逆転を求めている人が多いのも事実です。
たまたまギックリ腰が一回で治った経験があったり、噂を耳にした事がある人は、日頃の行いは無視して、
そんな一発逆転で治る方法や先生を探します。
人前で緊張して上手くしゃべれない人は、何とか一瞬で緊張を解いてくれる方法がないかと求めます。
ダイエットをしては、中々上手くいかずリバウンドを繰り返している人は、
もっと楽して簡単に、かつ短期間で。
体重を減らせる方法を求めます。
商売で売上が低迷している店舗のオーナーさん達は一気に売上を上げてくれる方法を求めます。
これは、わからなくもないですね。
実際、世の中はそれが正しいかのように様々な情報を流していますから。
ですが一発逆転で!のように見える話も、
実は、
影で努力をしているのが真実だったりします。
武術で言うならば、マンガ刃牙道にもでてる
日本一の剣豪として有名な宮本武蔵さんは、
『五輪書』という自分で書いた本の中で、
武術家は「常に平常心であれ」というようなことを言っています。
これは、常日頃から平常心であることを訓練していなければ、、いざって時には武術の技は役に立たないよ。って意味です。
平常心に限らず、
どんなスキルでも同じ事が言えます。
例えば車の免許を持っていても、
普段からまったく乗っていない、いわゆるペーパードライバーの方に、いきなり平常心で運転しろと言われても無理です。
いかに普段から運転して慣れていくかが大事になります。
要するに、
普段の心がけや、
生活の中での習慣が、
結果いざという時にも、
一発の様に見えるモノを作り出しているんです。
何気ない普段のこそが大事で、
日常こそが大切で、
毎日の心がけが、
すべてに通じます。
普段心の大切さを意識していない人が、
本番で緊張したからと言って、
いきなり心を大事にしようと思っても、
時既に遅しです。
普段一生懸命を楽しもうと考えていない人が、
大事な場面だけで一生懸命を楽しもうと考えても変化を実感できるはずがありません。
普段何の稽古もしてない人が達人の技を扱えるはずもありません。
普段なんのケアやメンテナンスも日常に取り入れずに、ギックリ腰になって動けなくなってしまった人が、どんなに凄い先生に施術してもらったから、といっても治りません。
そういった意味でも予防に勝る施術はないという事です。
毎日が、本番であり稽古であり、遊びです。
人生も、健康も、信頼も、スキルも、
一発逆転を求めず、
コツコツと続けてきたことだけが、
生き様に現れてきます。
私がやってる武術は趣味であり、
ライフワークみたいなもの。
何故武道でなくて武術なのか?
それは、
武術を通して、
武道にする時間だと思っているからです。
武道を探す、発見する、気づく時間。
武道とは武を通して見つける道のこと。
茶道、花道、書道、柔道などにも道がついているのは、
それらを使って道を見つけ学ぶ為。
道は私にはまだまだ未知。
道とは全てに共通する原理原則の事。
理であり、
法であり、
礼であり、
慈愛であり。
代謝機能であり。
わからないし、出来ないことばかり、たっぷりあり。
未知だから楽しいし、
身血だから離れることなく、
身近なところで、
すべて満ちている宇宙そのもので。
あとは気づけるかどうか。
というか、気づくのか。
その材料が術なんですね。