Blog記事一覧 > 武術稽古の養人塾 | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院 - Part 5の記事一覧
先週も武術稽古の月曜日に、
達人調整師のSさんが参加してくれ、
上半身の波の様な動きのレクチャーをしてくれました。
波の動きは、武術では連動の一種として、
色々な応用が利きます。
ただ、いきなり出来ないのが普通なんですが。
それでもスムーズにできる為のレクチャーがありました。
それはさする行為です。
しかもゆるゆる〜みたいに声にだして。
また、二人で背向かいでゆるゆるーと部位同調を使って身体でさする行為なども行いました。
そんな緩んだ上半身を、使って波の稽古。
そのまま、
歩法の稽古。
波手と歩法の居残り稽古。
そして今週は、
参加表明が多かったので、
スペシャルな稽古。
なんてったって、
二週間休みになりますやんということから。
始めは型の復習。
そして、基本動作の武術的、施術的な応用。
水を使った合気と、中心つくり。
返し技。
エネルギーを体術に実際使うと。
中心があるからの表現とは。
断層。各層。
それはどんな表現になるのか?
多人数の稽古と、
守り、受け、下準備が大切
をやりました。
また、
ヨガが何故に、
洗脳につかわれたり、
苦行であり、大抵の生徒はエネルギーが無くなるのか?
本物のヨガマスターの秘密。
先々週の多次元エネルギーのことを覚えいてはった塾生の、
現在のサイババに出会った時のお話など。
盛りだくさんでしたね。
またよろしくお願いします。
今週の武術の稽古は、
養人塾の発足時のメンバーである1人が、
ひさびさに参加してくれました。
彼は今も運動科学研究所で高い授業料を払って身体の使い方を勉強されてきたので、
身体の脱力や使い方は抜群です。
せっかくなので、前半はその彼に色々とやってもらいました。
その中でも、難しいのは肩甲骨を立てるしぐさ。
本来四つ足動物はみな肩甲骨が立っているんですが、
人間は腕の自由度と引き換えに肩甲骨を肋骨にべったりくっつけてしまう癖が強くなっています。
小さな頃、自由に遊んでいた子供たちの肩甲骨は、まだ立っていて、フニャフニャですが。
スポーツや、筋トレをする過程で皆硬くくっついてしまうみたいです。
そんな肩甲骨が立つと
どんな風になるのかを塾生ひとり1人に、突きや、投げの技で味わってもらいました。
コツは僧帽筋や、菱形筋を脱力して、
前鋸筋にだけ働きかける事。
まだまだ使い方には応用があるので、
また学びたいと思います。
後半は、
続施術家の手。
これを使って多列に並んだ塾生さんに連動させて動かしていくことを練習しました。
そしてナイハンチの型稽古。
分解稽古。
掛け手の次のバージョン。
で終わりました。
今日は祝日ですが、
仕事が楽しいので受付してます。
普段忙しい方や、久しぶりの方はこの機会に、是非ご連絡を。^ ^
なんか外国語で頻繁にメールしてくる方。
翻訳して連絡下さいねー。
難しい言葉はわかりません。
そして、
今週の武術の稽古は、
お盆やすみがあるので?
リクエストに沿って、
生命の本質に沿ったものを行いました。
生命の本質とは?
古代ギリシャのアリストテレスという哲学者が
生命の本質とは受け取って出すこと。
と簡単に言ったそうですが。
この真理を身体を使って行いました。
施術家の手をつくるには?ということに関しての話から、
相手が突いてきたものに対しての体現は、
なんとか出来ても。
相手が立ち突っ張った状態のままを
倒すのは難しかったみたいです。
重心が動いてないですからねー。
同じ土俵で向き合わない。
逆に同じ土俵に立つ。
そして、陰陽反射を使った捌き、
脱力を使った感覚の稽古。
ペットボトルを使った投げ。
あぐらでの呼吸を使った投げなどを行いました。
最後はナイハンチの稽古でした。
よく技がかかった時に、
手加減してるんでしょ?と言われる事がありますが、
実は基本的にはしていません。
自分が手加減していたら、
相手もいい加減になっていくからです。
もちろん、その技に対してそれ以外の違う変化はしていないということです。
最終的に武術は変化の取り合いなので。
稽古では受ける方も稽古なのです。
また武術においてやるべきことや、
言うべきことを言っていなかったら、
お互いの悪い部分が引き出されて、
表面的で薄っぺらい関係になってしまいます。
それを望んでいる方にはそうするかもですが、しないので続かない人が多いのかな。
それでも、相手の中の天才性や、
突き抜ける才能の種に合わせて、
その時点で精一杯、
信じて付き合っていけるように指導させて頂いています。
まあ、
施術の勉強をなさってる方は身体の使い方の引き出しが出来て、面白いでしょうね。^ ^
久々テレビをつけてみたら、
熱中症の方がかなり出てるみたいですね。
熱中症は、
脱水症状ですが、
塩分の補給も必要です。
水だけ取れば良いというわけではありません。
逆に水で塩分の濃度が薄まって熱中症にかかる場合もあります。
吐き気だけでなく、
寒気、
手足の痛みや、
頭痛、
眠気、
気怠さ、
めまい、
食欲不振も、
熱中症状の可能性があります。
これらの症状が出る前に、
こまめに水分とミネラルの補給をしましょう。
疲労の強い方や、寝不足が続いてる方、
高齢者や、小さな子供達は、
水分の補給の必要性を感じにくいので、
手遅れにならないように気をつけて下さい。
冷房もタイマーにせずに、
真夏日は、つけていた方が無難ですよ。
寝ている間に熱中症になる人もいますからね。
整体を教えてる時に
一番最初に伝える基本であり奥義は、
見るということです。
見るというのは、本来人間ができる大切な行為だからです。
そして、物事を見る能力だけは人間に、
もともと備わっている能力ですが、
残念ながら。。。
解決する。
という能力は、本来人間には備わっていません。
だけど、
見るという行為が消極的に感じられるので、
どうしても何かやりたくなるのですね。
ここを素直に。
そこをちゃんと見るに絞ると、
身体も自然に行くべき方向へ動きはじめます。
見るといってもたぶん深〜いですよ。
先週から今週にかけては、
呼吸法による足音や気配、
手や体の圧力の稽古をしました。
また学生さんが参加したので、
骨盤や背骨を使った蹴りや、
震脚を使った投げや、
手で反射と形と重みを使った間合いの稽古。
そして礼儀作法の凄さを少しやりました。
礼儀作法で大切なのは、
腰の低さと、間、そしてお返しです。
このお返しがないと武術ではやられてしまいます。
メールやメッセージ、ラインなどで、
自分から送っておいて、
返事が帰ってきたものに対して返信しない人が当たり前になってきていますが、
そういうのが続けば大概は、
身体や精神の調子が悪くなります。
私自身もちゃんとできているわけではないので、
反省しながらも気をつけようと思い返しました。
会話もそうですね。
今週の稽古は、
必要以上に反応しない。
これは武術的にも大切な概念です。
必要以上の反応で勝負が決まってしまうからです。
で、この必要以上に反応しないという行為は、以前やったオウテン以外でも日頃の行いでも稽古できます。
例えばコップに入ったお茶を飲む時。
そのコップと、お茶の重さと丁度良いバランスのとれた圧力と運動量でお茶を飲めているかなどです。
こういった稽古は、
やってみればわかりますが、
強すぎず弱すぎず、
ゼロポイントで扱うには、丁寧さが必要になってきます。
すなわち、丁寧に生きているか?
に繋がります。
丁寧な扱いは、人にどれだけの影響力があるのか。
着替えた服をぐちゃぐちゃに置いてる時と、
丁寧にたたんでいる時など。
それを型や呼吸を使った際にどう感じ変化するのか?
をやりました。(^^)
凡人が天才に近づくにはと考えた時、
施術技術でも何でも、
モノにするには鍛練が必要です。
鍛練とは、
千日の稽古を鍛といい、1万日の稽古を練とするとは、宮本武蔵の残した五輪書の話です。
千日の修行をしてようやく自らを鍛えたと言えるわけです。
1万日の修行をして、鍛練を積んだと。
凡人にとっては30年近くの修行を要するわけですが、
それは、学業でも、仕事でも、武術でも、
他の技能をモノにするには、この時間的圧力が必要でしょう。
私はまだこの道20年ほどで、
鍛えた?と言えるのかくらいで、練にはなってないですが。
この練への過程が人生での楽しみにもなっているわけです。
ある程度の線を超えると、
人は何でも分かった気になってしまい、慢心や怠惰の気持ちが出てきて、
天狗化、錆つきしやすいですが、、。
鍛と練の違いは、
わかる人にしか分からんかも知れない程の微差でしかないです。
でも、
この微差が人間として後世にも残して伝えられるモノや人や智慧などへとの、
可能性の資産になるかと思っています。
第一級、一流、天才への道は、自分との勝負。
それは決して、
修行が厳しいわけではなく、
錆つきさせない様に磨き続ける、
そう、続ける事が難しいのですね。
先日の武術稽古では、
キックボクシングを習っている小中学生が参加されました。
普段は養人塾では、
あまり殴ったり蹴ったりはしませんが、
たまには良いかと打撃スタイルの秘訣を何個かお伝えし、練習しました。
私が何故突いたり蹴ったりをあまりしないかというと、
自己主張の練習をしても、
自分より力のないものにしか通用しないことを実感しているからです。
要するにいくら強い突きができても、中学生では大人には敵いません。
大人でいくら強い突きをしても、もっと巨体で筋肉モリモリの外人には敵いません。
そんな虚しいことに時間を割いてまでということから、あまり練習していませんが。
ただ、
個人的な自己主張のやり方ということであれば、
〇〇を利用すると、突きは突然重くなったり、
〇〇を利用すると、断然避けれない程早くなったり、
〇〇を利用すると、首相撲で楽々投げれるという、
〇〇を利用すると、全く突きが届かなくなったりする、
などの身体の使い方は多々あります。
ので、
それらを意識して身体で使うと結果、
どれくらい身体が変わるのかをインスタント式に練習しました。
一つ一つがほとんど教えてはくれない、もしくは無意識過ぎて教えれない、奥伝のインスタントなので、
子供は大喜びしていましたが、
大人はそこから、
要するに身体の使い方から、
対人関係の中で活用出来るように精進が必要です。
軽く突いて吹っ飛んだからどうなん?
ってな感じで、
だからこうなのか?にならないと、
ただの自己満足で終わってしまうからです。
昨日は武術の稽古日でした。
久しぶりに出たバイオリズム。
これを使った術技を稽古しました。
これを使うと、どんなに踏ん張ったり力で抵抗しても、崩されてしまいます。
この技の元は三国志に出てくる張遼という武将から日本に伝わり、
細々と伝承されて来たものだと聞いています。
で、
ここで大事なのは、
この術技の概念。
概念を伝えて貰えてない人は、
一生わからないですが、
概念を伝えて貰った人は、
今は出来なくても、またある日突然出来るようになったりします。
ですから秘伝とは概念であるとも言えますね。