Blog記事一覧 > 武術稽古の養人塾 | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院 - Part 13の記事一覧
姿勢が変われば、
呼吸が変わります。
行動力が変わります。
そして対人関係が変わります。
対人関係の最終形態である武術では、
練習ではこの姿勢を作る為に色々な型を繰り返しています。
同じ事の繰り返しの様で課題や、設定を変える事で全く刺激は変わってきます。
その中で共通しているのは姿勢です。
姿勢が悪いと、それだけで無駄な力がは必要となり(姿勢を作る為にエネルギー消費)本当に伝えたい力はごく僅かになってしまいます。
ですから姿勢は兎にも角にも大事になります。
今年は、どんな年になるのか?
大きなテーマで見るなら、
自己を超越するような年になるそうです。
価値観、仕事観、人生観が変わるような。
大きな波が何度もやってきたりして。
そんな時は
自分を真っ白に、
自由に、
思い切って、
ぶっ飛んで
一年を考えてみるのに、
よい機会です。。(^ ^)
自分を越えていくってすごいですね!
でも、自分一人では出来ませんよ。
自分を壊すのも、
自分を作るのも、
そして自分を超越するのも、
他者が必要です。
他者との関係が自分を超越させる感性を作り上げていきます。
武術の考え方ですが、
今の自分を変えるには、自分主体から相手主体に
変える必要があります。
例えば施術で言えば、
身体を自分では上手く施術できないから、
病院や整体を受診するはず。
次回の、診察日の予約などは、何時がいいのか?
は、その身体を診た先生が一番分かっているはずなんです。
ですから、次は何時来たらいいですか?と尋ねるのが、
理順に則った、理想の筋になります。
と、いう事は、自分で予約を決める場合は、身体も変化しにくくなります。主体が自分になっているので。
自分でわからない部分は他人でないとわかりません。
もちろん、他人だからわかる部分があれば、自分にしかわからない部分もあります。
しかし、施術を利用して、現在の状態を変化させて行きたいならば、自分が知らない部分を変えてくれる他人が必要となります。
ですから、本気な時ほど、ちゃんと次回の予約日を訪ねてみて下さい。(^ ^)
ちゃんと武術を稽古しようと思ったならば、
ルールを決めた自己満足な行為や、自己主張の仕合いや、他人のいない稽古では、自分の我を高めていくだけで、
役立たない虚栄心や、勘違いの自信、不必要な恐怖心など、無駄な乱暴感が生まれていきます。
そして、それは武術としては逆のベクトルを向いてる事になります。
武術で稽古しているのは、
そういった事ではなくて、いかに自己を否定し、自分の癖に気づけるか?なのです。
他人がいるお陰で自分に問題を持つ事ができます。
そして、
自分に問題をもてなければ、
解決もできません。
それは、武術稽古をしていても、今までと何も変わりませんという事です。自分満足な世界。
それどころか人間関係的には迷惑な存在になりやすくなります。(;´Д`A
他人を尊重して、自分とちゃんと向き合う。
だから、成長できるんですね。
思いやりの世界です。
相手がわかるようになると、初めて自分が知れます。
この自分を知るとは、相手がいて初めて成立します。
良く武術などで、1人稽古をして、こんだけやったんだから、自分はめっちゃ強いと思い混んでしまうパターンがありますが、
武術の強いはあくまで相対的な物であるので、
相手を実際に向き合って稽古をした時に、自分の実力がわかってきます。
もちろん、昨日の自分と比べるというのもありますが、その昨日の自分も他人との関係の中で生きているので、それを無視してしまうと、自己満足の気持ちの悪い人間になってしまいがちです。
で、結局、
稽古には他人が必要なんですが。
他人に稽古を付き合って貰うには他人を尊重しないと、そもそも付き合ってくれません。
稽古自体が尊重が大事になってきます。
そして付き合ってくれる他人に技がかからない自分を知っていく事で、1人稽古も役立ってきます。
量子学的には自分とは全ててあるんですが。
実際に生活の中で問題としてでてくるのが、
個と個との関係性です。
なんで問題になるのか?というと、
みんな自己主張したいんですね。
で、相手の話は聞いていません。
人は人の間で生きるから人間といいますよね。
その間を感じる能力が落ちているんですね。
昔から、間が悪いとか、間をとると、間をつくるとか言葉が残っていると思います。
そうした間を感じる能力の低い人を、
間抜けと呼んでいました。
そんな難しい間の稽古などを武術を通して経験する事で、相手を幸せにする能力が養われていくのですね。(^ ^)
武術と医療は表裏一体です。
現在医学は、戦争の際に特に発達してきました。
武術でも、相手を思いやる見切りを、
手当てに使うと、医療になります。
例えば、
この人はこんな風に歪んでるな。
この人はこんな生活をしていそうだな。
この辺りを手当てすると、良く動くようになりそうだなぁ。
などです。
また、どんな意識かで手は大きく変化します。
礼をするのか。
受け入れるのか。
支えてあげるのか。
見守りながら待つのか。
強引に引っ張ってあげるのか。
様々な可能性を引き出してあげるのか。
そして、
親子関係は?
仕事の関係は?
自分は見切れてるのか?など。
武術の、世界では意外にも思いやりが一番大切な学びとなります。
それは、生命として、相手の存在価値を尊重する。ということ。
相手を思いやり、相手の立場に立って、相手の意識を感じとり、相手の気持ちになる。
これは、相手を見切ると言った事に繋がります。
この見切りは、とても大切な技術です。
何故なら見切りが無ければ、時代が時代だと、自分よりも強い相手との交渉だとすぐに殺られてしまいます。
武術とは生き延びる事ですから。
見切りがどれ位大切な事か。
これが、出来るようになると、
現在の時代では、相手の気持ちを察したり、場の空気を読むなど、とてもありがたがられる人にもなれる訳です。
また逆に言えば、武術的には自己主張はしないになってきます。
自己主張するとは、相手に見切られる。
すなわち殺られてしまい易くなると言う事です。
そんな事から私もちょっとおとなしくなりました。(^_^)
大人しくなりすぎたら、また面白さもないので、これもバランスが大事ですね。
武術とは生き延びる為につくられてきたもの。
生き延びる為とは、簡単に言えば、自分と他人の様々な形の交渉というやり取りの中で、ですね。
ですから、それは時代とともに形を変えてきています。
初めはどついたり投げたりから、刀や斧で斬ったり、槍ができて突いたり、弓ができて、鉄炮ができて。更には爆弾ができて、法律を武器にしたり、戦艦や飛行機ができて、今ではサイバー兵器として、目に見えない色んなウィルス兵器や、植物の種の独占や、地震発生装置までを使って、どんどん規模が大きくなっています。
武術とは、突きや蹴りだという認識は、間違いだという事になります。
まして、戦国時代とかならまだ知らず、
現在で武術でいう突きや蹴りをしたら、暴行傷害罪になってしまいますね。笑
では、現在見える世界での武術とは、
やはり自分の身体を使っての人間関係の交渉の改善が本質になりますね。
結局、人は人と関係を持たずには生きていけないので、必ず関係のやり取りが生まれます。
そのやり取りを理屈ではなく、
身体を使って、気持ちを使って経験するもの。
これが私の考える武術になります。
ですから、その武術には生きていく為にとても支えになる可能性があります。
(^ ^)
世の中には、
格闘技や、伝統と名のつく武道があります。
さて格闘技の目的は、なんなのでしょうか?
それは早い突きや、威力のある蹴りなどを繰り返して行い身体を練っていく作業であり、
汗を流してストレス発散を行う事が多い様に感じます。
たしかに気持ち良いですね。(^ ^)
伝統武道では、おもに型をメインに
刀を振ったり動いたりしています。
これはいかに綺麗に出来るか、型通りにできるかが目的になり易いです。
決まると嬉しいですし、
なんか、カッコ良く見えます。
では私の考える武術の目的は?
生き延びる為の技術を身につけたい訳ですから、
実はどんな武術をやっていても、
その意識があれば何らかの役には立ちますね。
何故なら、
ストレス発散も大事ですし、
綺麗に型をして、気分を良くするのも大切ですから。(^ ^)
自分が取り組みたい事がその目的とリンクしてるならば、なんでもオッケーですよね。
探せば、空手や、柔道、相撲、剣術や、ボクシングなど、色々ありますが、
要するに、何をやるかではなくて、
個人がどの様に取り組むかの方が大切だと考えています。