準備された状態でのみ、扉は開く。
こんにちは。
今日は、
準備された状態でのみ、扉は開く。
について。
ソツタクドウキ。
漢字では、
「啐啄同機」という言葉があります。
啐啄同時とも言われます。
本来は禅の言葉で、
卵の中の雛が内側から殻をつつくことを「啐」、
親鳥が外側から殻をつつくことを「啄」といいます。
内側から、
「もう出たい」
という合図がある。
それに合わせて、外側から親鳥が助ける。
この内と外のタイミングがぴったり合った時、
雛は無事に殻を破って生まれてくる。
これが、啐啄同機です。
この言葉は、
整体にも、カウンセリングにも、
武術にも、人生にも、
とても大事なことを教えてくれている
ように思えます。

人は、外からどれだけ良いことを言われても、
まだその準備ができていない時は、
なかなか受け取れません。
正しいことを言われても、
ありがたいアドバイスをもらっても、
有名な先生に教わっても、
タイミングが合っていなければ、
それはただの「圧」になることがあります。
逆に、本人の中で何かが熟している時は、
たった一言で変わることがあります。
たった一回の施術で、
たった一本のブログで、
たった一つの出来事で、
人生の見え方が変わることもあります。
でもそれは、
その一言が魔法だったというより、
その人の中で、
すでに準備が進んでいたのだと思います。
扉は、いつでも開くわけではありません。
準備された状態でのみ、扉は開く。
だから、無理に変えようとすることは、
時にその人を傷つけることがあります。
まだ内側から音がしていない卵を、
外から割ってしまえば、
それは誕生ではなく、破壊になります。
子育てもそうかもしれません。
親としては、
早く気づいてほしい。
早く成長してほしい。
早くちゃんとしてほしい。
そう思うことがあります。
でも、子どもの中に
まだ「啐」が起きていない時、
外からいくら「啄」をしても、
ただうるさい音にしかならないことがあります。
夫婦関係も似ています。
相手に変わってほしい。
わかってほしい。
気づいてほしい。
そう思うほど、
こちらの言葉は強くなり、
正しさの形をした圧になっていくことがあります。
でも、相手には相手の間があります。
もちろん、
何でも待てばいいという話ではありません。
危険なこと、
身体を壊すこと、
人を傷つけること、
生活が崩れていくことに対しては、
ちゃんと線を引く必要があります。
ただ、
「今この人の中で何が育っているのか」
「今は開く時なのか、それとも温める時なのか」
そこを見る目は、とても大切ですね
整体の現場でも、
身体は急に変わることがあって、
ずっと痛かったところが、
ふっとゆるむ。
動かなかったところが、
急に動き出す。
呼吸が深くなる。
顔つきが変わる。
でも、それもこちらが無理やり
変えたというより、
身体の中で準備ができていたところに、
少しだけきっかけが入ったのだと思います。
本当の手助けとは、
相手をこちらの理想の形に変えることではなく、
その人の中にあるスペースを聴くことなんじゃないかなと。
早すぎず、遅すぎず。
押しすぎず、放置しすぎず。
言いすぎず、黙りすぎず。
その間合いに、
本当の導きがあるように思います。
内側からの小さな音を聴く。
外側からの一打ちを焦らない。
扉は、力でこじ開けるものではない。
今日も、誰かを変えようとする前に、
その人の中で何が育っているのかを、
少しだけ聴いてみたいし、
そして自分自身にも、
同じように問いかけてみたいですね。^ ^
今は、殻を破る時なのか。
それとも、もう少し温める時なのか。
焦らなくていい。
でも、眠り続けなくてもいい。
内側から音がした時、
扉はちゃんと開いていくかも知れません。




























































