Blog記事一覧 > 9月, 2026 | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院の記事一覧
こんにちは。
もうすぐ、秋のお彼岸ですね。
今回は、
お彼岸なので、自分の少し前を辿ってみる。
です。
お彼岸になると、お墓参りに行ったり、
仏壇に手を合わせたり、ご先祖様のことを思い出したりする方も多いと思います。
この前の夏の合宿でも、
「先祖」というものについて、少し考える機会がありました。
といっても、何か特別なスピリチュアルな話ではありません。
もっと単純に、
「自分より前には、どんな人たちがいたんだろう?」
という話です。
当たり前ですが、自分には父と母がいます。
そして、その父と母にもそれぞれ父と母がいる。
祖父母ですね。
さらに、その祖父母にも父と母がいる。
そうやって遡っていくと自分の後ろには、
たくさんの人がいたことになります。
もちろん、
家系をずっと遡れば、同じ祖先に行き着くこともあるので、
単純に倍々で増え続けるわけではありません。
それでも普段は、
「自分の人生」
「自分の身体」
「自分の考え」
と思って生きていますが、自分一人で突然ここに現れたわけではありません。
考えてみれば、不思議なことです。
先日、宮古島で、
「あなたは誰ですか?」という話をしました。
そう聞かれるとたいていは、自分の名前を答えます。
でもその名前も、自分で決めたものではありません。
生まれてから、誰かにつけてもらったものです。
そして、何十年もその名前で呼ばれているうちに、いつの間にか、
「この名前が私」
という感覚になっていく。
では、考え方はどうでしょう?
自分の考えは、全部自分のもの?
たとえば、
「人に迷惑をかけてはいけない」
「ちゃんと働かなければならない」
「男なんだから」
「母親なんだから」
「人に頼ってはいけない」
「お金は大切にしなさい」
そんな考え方も最初から自分の中にあったのでしょうか?
子どもの頃に父や母から聞いた言葉。
家の中で当たり前だったこと。
親が人と接する姿や、お金の使い方。
働き方や、夫婦の関係、
会話など。
そういうものを見ながら、知らないうちに受け取ってきたものも、
たくさんあるのかもしれません。
そして、その父や母も、また誰かの子どもでした。
父には父の、母には母の、
育ってきた環境があります。
そう考えていくと、
「自分だと思っているものは、いったいどこからやってきたんだろう?」
という問いが出てきます。
ここは、大事なところです。
今の悩みや、身体の不調、人間関係などを、
全部、先祖が原因なんですー!と、
言いたいわけではありません。
何代前の誰かがこうだったから今の自分がこうなっているんだー
ということでもありません。
ただ、
自分が「私の考え」だと思っているものにも、
自分より前から流れてきたものが
含まれているかもしれないですね。
そして、ここが面白いところです。
親や、その前の世代から、何かを受け取っていたとしても、
それを全部、そのまま次の世代へ渡さなければならないわけではありません。
たとえば、
「弱音を吐いてはいけない」
という考えを、自分もどこかから受け取っていたとします。
それに気づいた時、
「ああ、こんな考えが自分の中にあったんだな」
と一度見ることができる。
そのまま持っていてもいい。少し変わってもいい。
次の世代には、違う形で渡してもいい。
受け取ることと、
そのまま採用し続けることは、
同じではありません。
お彼岸だからといって、何か特別なことをしなければならないわけでもありません。
お墓参りに行く人もいる。
仏壇に手を合わせる人もいる。
行けない人もいる。
気づいた人、それぞれでいいと思います。
ただ少しだけ、自分より前を辿ってみる。
父や母、祖父母。
そのまた父や母。
名前を知っている人もいれば、知らない人もいる。
どんな人生だったのか、まったく知らない人もいる。
でも、
その人たちの流れの先に、今の自分がいる。
そう考えてみると、
いつも「自分」から始まっている世界が、
少し違って見えるかもしれません。
「ここまで、いろんな人がいたんだな」
それくらいでも、いいのかもしれません。
そして、
もし興味が出てきたら、
両親や祖父母に、昔の話を聞いてみたり、
家系図を作ってみたりするのも面白いと思います。
どこまで辿れるのか。
どんな人たちがいたのか。
知らなかったことが、見えてくるかもしれません。
お彼岸なので、
たまには、
自分のこれからだけではなく、
自分より少し前を眺めてみる。
そんな時間があってもいいのかもしれません。 ^ ^
身体には、予定のない4日間が必要だ。
と言う事で、
もうすぐ沖縄で、3泊4日間の合宿をします。
まあ、なんか変わった台風が近づいてますが。
合宿と言っても、
朝から晩まで予定を詰め込んで、
何かを勉強するわけではありません。
観光地を回る予定も、
今のところありません。
海に入ったり、
身体を動かしたり、
話したり、
ぼーっとしたり。
お腹が空いたら何か食べて、
行きたいところが出てきたら行く。
そんな4日間です。
考えてみれば、
普段の生活は予定だらけです。
仕事に行く。
人と会う。
家事をする。
子どもの予定に合わせる。
LINEを返す。
買い物に行く。
次に何をするかが、
だいたい決まっています。
休みの日でさえ、
「せっかくの休みだから」
と予定を入れてしまうことがあります。
旅行に行けば、
何時にここへ行って、
次はここを見て、
何時に予約した店へ行く。
気づけば、
休みに行ったはずなのに、
予定をこなして帰ってくる。笑
もちろん、
それも楽しい旅です。
でも時々、
人生には、
予定のない時間も必要なんじゃないか
と思います。
予定がないということは、
何もしないということではありません。
「次はこれをする」
というレールが、
少しなくなるということです。
すると、
今まで予定の陰に隠れていたものが、
出てくることがあります。
本当は疲れていたこと。
意外と海をずっと眺めていたいこと。
誰かと話したかったこと。
逆に、
誰とも話したくなかったこと。
身体を動かしたくなることもあれば、
何もせず、
ただ風に当たりたくなることもある。
それは、
頭で考えて決めた
「やりたいこと」とは少し違います。
予定がなくなったところに、
今の自分が、
そのまま出てくる。
そんな感じです。
だから今回の合宿も、
何かすごい答えを
持って帰る必要はありません。
人生を変える必要もない。
成長しなくてもいい。
海に入って、
身体を使って、
飯を食って、
話して、
笑って、
眠る。
その中で何か起きれば、
それを見ればいい。
何も起きなければ、
それもいい。
もしかすると、
僕たちは普段、
人生を良くしようとして、
少し予定を入れすぎているのかもしれません。
何をするか。
どこへ行くか。
何を学ぶか。
どう成長するか。
どう変わるか。
それを決めることも大切です。
でも、
何も決めていない時間にしか
現れない自分もいます。
空白は、
何もない時間ではなく、
まだ何になるか決まっていない時間。
だから時々、
人生には、
予定のない4日間くらいが
必要なのかもしれません。
普段の整体の教室や、武術稽古では、
やりたくてもやれないところになります。
さて、
何が起きるんでしょうね。
決めてないので、
誰にもわかりません。😊
ただ、整体技術にせよ、
身体の在り方にせよ、
余白という可能性の中から、
たくさん降りてくる気はしています。
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