お彼岸に自分の前を辿ってみる。
こんにちは。
もうすぐ、秋のお彼岸ですね。
今回は、
お彼岸なので、自分の少し前を辿ってみる。
です。
お彼岸になると、お墓参りに行ったり、
仏壇に手を合わせたり、ご先祖様のことを思い出したりする方も多いと思います。
この前の夏の合宿でも、
「先祖」というものについて、少し考える機会がありました。
といっても、何か特別なスピリチュアルな話ではありません。
もっと単純に、
「自分より前には、どんな人たちがいたんだろう?」
という話です。
当たり前ですが、自分には父と母がいます。
そして、その父と母にもそれぞれ父と母がいる。
祖父母ですね。
さらに、その祖父母にも父と母がいる。
そうやって遡っていくと自分の後ろには、
たくさんの人がいたことになります。
もちろん、
家系をずっと遡れば、同じ祖先に行き着くこともあるので、
単純に倍々で増え続けるわけではありません。
それでも普段は、
「自分の人生」
「自分の身体」
「自分の考え」
と思って生きていますが、自分一人で突然ここに現れたわけではありません。
考えてみれば、不思議なことです。
先日、宮古島で、
「あなたは誰ですか?」という話をしました。
そう聞かれるとたいていは、自分の名前を答えます。
でもその名前も、自分で決めたものではありません。
生まれてから、誰かにつけてもらったものです。
そして、何十年もその名前で呼ばれているうちに、いつの間にか、
「この名前が私」
という感覚になっていく。
では、考え方はどうでしょう?
自分の考えは、全部自分のもの?
たとえば、
「人に迷惑をかけてはいけない」
「ちゃんと働かなければならない」
「男なんだから」
「母親なんだから」
「人に頼ってはいけない」
「お金は大切にしなさい」
そんな考え方も最初から自分の中にあったのでしょうか?
子どもの頃に父や母から聞いた言葉。
家の中で当たり前だったこと。
親が人と接する姿や、お金の使い方。
働き方や、夫婦の関係、
会話など。
そういうものを見ながら、知らないうちに受け取ってきたものも、
たくさんあるのかもしれません。
そして、その父や母も、また誰かの子どもでした。
父には父の、母には母の、
育ってきた環境があります。
そう考えていくと、
「自分だと思っているものは、いったいどこからやってきたんだろう?」
という問いが出てきます。
ここは、大事なところです。
今の悩みや、身体の不調、人間関係などを、
全部、先祖が原因なんですー!と、
言いたいわけではありません。
何代前の誰かがこうだったから今の自分がこうなっているんだー
ということでもありません。
ただ、
自分が「私の考え」だと思っているものにも、
自分より前から流れてきたものが
含まれているかもしれないですね。
そして、ここが面白いところです。
親や、その前の世代から、何かを受け取っていたとしても、
それを全部、そのまま次の世代へ渡さなければならないわけではありません。
たとえば、
「弱音を吐いてはいけない」
という考えを、自分もどこかから受け取っていたとします。
それに気づいた時、
「ああ、こんな考えが自分の中にあったんだな」
と一度見ることができる。
そのまま持っていてもいい。少し変わってもいい。
次の世代には、違う形で渡してもいい。
受け取ることと、
そのまま採用し続けることは、
同じではありません。
お彼岸だからといって、何か特別なことをしなければならないわけでもありません。
お墓参りに行く人もいる。
仏壇に手を合わせる人もいる。
行けない人もいる。
気づいた人、それぞれでいいと思います。
ただ少しだけ、自分より前を辿ってみる。
父や母、祖父母。
そのまた父や母。
名前を知っている人もいれば、知らない人もいる。
どんな人生だったのか、まったく知らない人もいる。
でも、
その人たちの流れの先に、今の自分がいる。
そう考えてみると、
いつも「自分」から始まっている世界が、
少し違って見えるかもしれません。
「ここまで、いろんな人がいたんだな」
それくらいでも、いいのかもしれません。
そして、
もし興味が出てきたら、
両親や祖父母に、昔の話を聞いてみたり、
家系図を作ってみたりするのも面白いと思います。
どこまで辿れるのか。
どんな人たちがいたのか。
知らなかったことが、見えてくるかもしれません。
お彼岸なので、
たまには、
自分のこれからだけではなく、
自分より少し前を眺めてみる。
そんな時間があってもいいのかもしれません。 ^ ^




























































