家族関係での厭わないとは?
こんにちは。
夏の暑さに蝉が鳴り始めましたね。^ ^
今日はご相談の内容をブログにしますね。

よく親子関係について、
ご相談をいただくことがあります。
多いのは、
「子どもにどう関わっていいかわからない」
「何を言っても聞かないことが多くて、疲れてしまう」
など、
身体の不調とあわせて、
心のしんどさまでもが、
かぶさってくる事も少なくありません。
このような場合、
整体という関わりの中で何ができるのか?
今日はたくさんある物の見方の中から、
厭わないという視点から、
一つの見方をご紹介したいと思います。
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家族というのは、
もっとも近く、もっとも自我まみれで、
もっとも感情の揺れが出やすい場です。
だからこそ、
こんな思いも強くなり易いです。
それは、家族だからこそ、
嘘をつかれたくない、
分かってほしい、
傷つけられたくない、
感謝されたい、
助けてほしい、
そんな思いが自然に湧いてきやすいです。
でもその分だけ、
そんな「期待」どおりに『ならない』と言う、
現実に出会いやすくもあります。
そんな際には、
一つの問いを置いてみます。
この状態を、
この子の姿を、
この自分の気持ちを、
厭わないとはどういうことだろう?

例えば、
あなたは、
こっちの大変さを全然理解してくれない!
なんでそんな言い方するの!
そんな思いが湧いたときに
わかってもらいたいを傍に置き、
『わかってもらえないことを厭わない。』
みたいな。
そんな選択はどうでしょうか?^^
わかってもいたい。
理解するべきなど。
その物の見方に力を込めるのをやめた瞬間、
理解されないことに、
振り回されない自分が立ち上がるんですね。
すると不思議と?
求めていた優しさや、
共感が、想像とは違うかたちで、
訪れることもあります。

感情が出てしまったとき、
こんなことでイライラする私はダメ!
親なのにどうしてこんなに反応してしまうんだろう!
と、自分を責めてしまうこともあります。
でもそこに、
『イラッとすることもあるよね^ ^
それでも自分を厭わない!』
というスペースをつくると、
感情そのものが穏やかになっていきます。
不思議ですね。
自分の反応を受け入れることは、
自分を深く知ることにもつながります。
それが
家族の言動に振り回されない、
静かなありようを育ててくれます。
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また、
もう何度言っても変わらない!
どうしてもっと良くなろうとしないの?!
と、感じる相手がいるときには、
このままでもいい、
変わらなくても私は自由でいる。
変わらないことすら愛の一部かもしれない。
そんなふうに
『相手の不完全さを厭わない。』
という視点を持ってみると、
変えようとする圧が抜けて、
かえって関係が変化していくこともあります。
厭わないというのは
無関心になることではないんです。
またすべてを許すことでも無いです。
ただ、
今ここにあるこの現実を、
否定せずに見るという姿勢みたいな。
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その上で
距離を取る、
言葉にする、
境界線を引く、
それらの行動は
いわゆるスペースからの選択として機能していきます。
最後に。
家族は
自我を熟成させる発酵の場かも知れません。
発酵とは、腐敗と紙一重ですよね。
でも、
厭わない温度と湿度で関わると、
ちゃんと旨味に変わります。
家庭という場で、
厭わない自分として在るだけで、
空気が変わり、
時間が経つごとに思いもしない
豊かさが育っていくのかもしれませんよ。
そして
家族という関係の中で
生まれる日々の小さな緊張や反応は、
肩や首から、
腰やお腹といった
身体の内側にも静かに影響を与えています。

厭わないという意識は、
身体にも伝わり
ふっと力が抜けたり、
呼吸が深まったりすることがあります。
整体という場でも、
そのゆるむ瞬間を
一緒に味わっていけたらと思います。
今日も、ご自身の感覚をそっと感じてあげる時間になりますように。( ^ω^ )




























































