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意味付けと客観視
年末は毎年なんだか忙しくなりますよね。
そんな日常で僕たちが、やっている作業が、意味付け。
しかも、ほとんど意味ないことにまで意味づけしてしまう癖があります。
ある意味それは人として大切なことで、
それができなければ仕事や勉強や社会生活ができないことになります。
だけど本来は外界のすべての出来事に意味など付いていないにもかかわらず、
過去の経験に基づき自分固有の意味付けを形成しまう。
この過去の経験に基づいた意味付けの癖によって、
ある人は心に揺らぎや囚われが起こってしまう訳です。
例えば、雨を認識すれば傘をさすという行動をとりますね。
ただそれだけでいいのに、
雨だと嫌やなあ〜とか、憂鬱だな〜、
と心は不機嫌な状態になってしまうことはないでしょうか?
それは今までの経験により雨は嫌だとか憂鬱だという意味づけを形成してしまっているからで、
嫌だとか憂鬱だなどという雨は降っていないのです。
雨はただ水が落ちているだけなのですが、
そのような意味付けを脳がしてしまうわけです。
電車に乗り遅れれば残念とかチッってなりますが、
ただ電車は待てばいいだけであって、
残念などという電車は走ってないのです。
環状線ならいつも3分から5分毎に来て行くだけなのです。
決して意味付けしないなどという人にはなれませんが、
まずは意味の付いてないものに意味付けして人は苦しんでいるんだ、
そして自分もその例外ではないんだということを知ること。
自分の癖を客観的に見れるようにする事がひとか成長するすべての始まりなのです。