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こんにちは。
今日はAI相談についてです。
AIは、
今では特別なものではなくなってきました。
仕事だけでなく、
悩みごとや人間関係について、
AIに相談する人も増えています。
それ自体は、
言葉にできない気持ちを整理したり、
自分の考えを客観的に見たり、
誰にも言えないことを
一度外に出したりするのに、
AIはとても便利な道具です。
実際、AIの進化には本当に驚かされます。
以前はプロンプト、
つまり指示文を細かく工夫しなければ、
思うような答えが返ってこないことも
ありました。
でも最近は、
普通に話しかけるだけでも、
かなり自然に、
そして深く返してくれるようになりました。
ただ、
便利になればなるほど、
少し気をつけないといけないこと
もあります。
それは、AIに相談することで、
自分の心、
あるいは自我が、
さらに「正しさ」を所有してしまうことです。
AIを使うこと自体が
怖いのではありません。
怖いのは、
AIの答えを読んだあとに、
「やっぱり自分は間違っていなかった」!
「やっぱり相手がおかしい」!
「ほら、AIもこう言っている」!
という形で、
自分の見ている世界が
さらに固まってしまうことです。
人は誰でも、
悩んでいるときは、
自分を守りたくなるものです。
傷ついたときは、
自分が間違っていない理由を
探したくなります。
怒っているときは、
相手が悪い証拠を集めたくなります。
寂しいときは、「自由じゃない、大切にされていない」と
いう物語を強めたくなることがあります。
そこにAIが、
とても整った言葉で返してくれる。
「あなたは悪くありません」
「その相手とは距離を置いた方がいいかもしれません」
「もっと境界線を引くことが大切です」
こういう言葉も時には必要ですし、
実際に、
危険な関係や、
いわゆる暴力や強い不安がある場合などは、
AIじゃなくて信頼できる人や、
専門機関に相談することが何より大切です。
ただ、
日常の生活での会話のすれ違いや、
夫婦、親子などの人間関係の中では、
この「正しい言葉」が必ずしも
関係をやわらかくするとは限りません。
むしろ、自我の牢屋になるというか。
正しさは、
ときに光になります。
でも、
ときに鎧にもなります。
その鎧を着たまま相手を見ると、
相手の言葉も、
態度も、
過去の出来事も、
すべて「やっぱりこの人はおかしい」と
いう証拠に見えてくることがあります。
ここが、
AI相談の難しいところです。
もう少し言い替えるならば、
AIは、
いわば「高性能な鏡」のようなものです。
けれどその鏡は、
こちらが投げかけた言葉を中心に
映し出します。
怒りながらのぞけば、
怒りの物語が整って返ってきます。
寂しさでのぞけば、
寂しさの理由がきれいに並びます。
被害者の立場でのぞけば、
相手が加害者のように見えてくることもあります。
それが事実の場合もあります。
けれど、事実の一部だけを
切り取っている場合もあります。
画面の中には、
現実のすべては入りきりません。
その場の空気。
表情。
声の強さ。
言いすぎたあとの沈黙。
本当は助けてほしかった気持ち。
そうした人間関係の機微を、
AIが身体で感じ取ることは
できないからです。
だからこそ、AIに相談したあと、
少しだけ問い直してみることも大切です。
「これは本当に事実なのだろうか」
「今の感情が見せている世界ではないか」
「この答えを読んで、身体はゆるんでいるか、それとも緊張しているか」
「相手を理解しようとしているか?それとも悪者に固定しようとしているか」
AIに、
現実を明け渡してしまうこと。。。
AIの答えを、
感情の武器にしてしまうこと。。。
そこには、少しだけ注意が必要です。
道具は使い方によって、
現実に戻る助けにもなれば、
現実から離れる理由にもなります。
気持ちを整理するために使うのか?
それとも、
正しさを補強するために使うのか?
そこには大きな違いがあります。
そして
大事なことは、
画面の中だけで完結させないこと。
最後は、身体に戻る。
呼吸に戻る。
目の前の人の声に戻る。
暮らしの手触りに戻る。
そこに戻れたとき、
情報はただの情報になり、
AIはただの道具に戻ります。
そして、握りしめていた正しさも、
少しずつゆるんでいきます。
人生は、いつも思い通りに
コントロールできるものではありませんから。
むしろ、無理にハンドルを握りしめるほど、
心も身体も硬くなってしまうことがあります。
だから、これからの時代に大切なのは、
人生を思い通りに操ることではなく、
もう少し、喩えるなら、
たんぽぽのように
生きることなのかもしれません。
根は大地にそっと張りながら、
風が吹けば、風にまかせる。
飛ばされることを失敗とせず、
留まることを遅れともせず、
その時々の流れの中で、
静かに花を咲かせていく。

そんな生き方を、
少し冗談まじりに、
「たんぽぽ人生」
と呼んでみてもいいでしょう。^ ^
スマホも成長するAIも、
現実から離れるためではなく、
その自然な感覚に戻るための、
小さな補助輪くらいでいいのだと思います。




























































