Mr.Children『産声』を聴いて感じた、身体の奥から生まれる声
こんにちは。
以前、Mr.Childrenの『ヒカリノアトリエ』についてブログに書いたことがありますが、
あの曲には、
日常の中にある小さな光を見つけていくような温かさがありました。
そして今回、Mr.Childrenのアルバム『産声』を聴いていて、
また違う形で身体の奥に触れられるような感覚がありました。
特に表題曲の『産声』を聴いたとき、
なぜか涙が流れました。
悲しいという感じでもなく、
感動したと簡単に言えるものでもなく、
何かよくわからないところに触れたような涙でした。
頭では説明できないのに、
身体の奥では先に何かを受け取っている。
そういう反応だったのかもしれません。
「産声」という言葉に感じたもの。
産声というのは、
生まれた瞬間に出る声です。
それは、
誰かに評価されるための声ではありません。
何かを達成した声でもありません。
上手に話そうとする声でもありません。
ただ、生まれてきた命が、
世界に触れたときに出る声です。
大人になると、
社会の中でいろいろな役割を持ちます。
仕事をする自分。
親としての自分。
子どもとしての自分。
誰かに迷惑をかけないようにする自分。
ちゃんとしていようとする自分。
そうした役割は、
もちろん大切です。
でもそれが重なりすぎてると、
なんだか、間が埋まり、
「本来の声」が奥の方に隠れてるというか、
わからなくなってしまうことがあります。
しっかりしなければいけない。
前向きでいなければいけない。
人に迷惑をかけてはいけない。
ちゃんと結果を出さなければいけない。
そんな自分を保っているうちに、
身体も心も少しずつ力んでいく。
気が付かないように。
『産声』を聴いたときに反応したのは、
そうした役割の奥にある、
もっと裸の生命のようなもの。
頭の中では、
記憶や後悔や願いがめぐり、
いろいろな意味を探し続けています。
あの時こうすればよかった。
もっとちゃんとできたのではないか。
これでよかったのだろうか。
そうやって考えたり、
意味を探したり、
過去を振り返ったりすること、
けれど、
それらの言葉や思考の奥にも、
言葉になる前の命の響きのようなものがあるのかもしれません。
「考える私」の奥にある
「ただ生きている命」
今回はそこに音楽を通して、
触れたような感覚がありました。
あと、
アルバムの中には『Again』という曲もあります。
なんかのドラマの主題歌になってたんですかね。
「もう一度」という言葉を聞くと、
つい、もう一回頑張ること、
立て直すこと、
前を向くことを想像します。
だけと身体の世界では、
変化は必ずしも「頑張ること」だけで起きるわけではありません。
むしろ、力が抜けたとき。
守っていたものが少しゆるんだとき。
もうどうにもならないと感じたあとに、
ふっと呼吸が戻るとき。
そういう瞬間にこそ
身体が静かに変わりはじめることがあります。
「もう一度」って、
自分で無理やり人生を動かすことだけではなく、
なんだか奥の方から、
自然に動きが戻ってくることなのかもしれません。
暗がりの中で、
ふっと灯りが戻るように。。
それは、日々人の身体に触れている中でも
感じることがあります。
こちらが無理に変えようとしすぎると、
身体はかえって身構えることがあるんですよ。
けど安心できる余白が起こった時、
身体はちょうどのタイミングで反応しはじめます。
それは奥の方から小さな産声が上がるように。
言葉になる前のもので、
うまく説明できないものですけどね。
でも、わからないから
意味がないわけではなくて。
むしろ、
言葉になる前のところにこそ、
身体の本音が隠れているというか、
生命が現れているというか。^ ^
痛みや違和感も、
嫌ですけどね。
そやから
消そうとするだけではなく、
身体からの、
小さな知らせとして聴いてみると、
そこには筋肉や関節だけではなく、
緊張、我慢、不安、寂しさ、責任感、
そういったものも
含まれていることを感じれたりするかもです。
身体には、
その人が生きてきたおもいが静かに刻まれていますから。
これまで守ってきたもの。
こらえてきたもの。
言葉にできなかったもの。
それらが、
身体を通してね。
しずかーに。
そこでふっと戻ってくる瞬間は、
余分な緊張がほどけていくような。
無理にポジティブになるのではなく、
今の自分の状態を静かに感じられるような。
小さな反応ですよ。
それは。
大きな変化ではなくて、
小さな、身体にとっての「産声」のようなもの。
何者かにならなくても、
ちゃんとしていなくても、
今ここに生きていることそのものからやってくる。
そんな感覚です。
痛みを消すだけではなく、
自分の内側の音を聴き直せる状態へ。
本来施術とは、
身体を外側から思い通りに変えることではなく、
その人の中にすでに芽吹いている小さな声が、
そっと聴こえてくるための間なのかも、
そんなことを感じました。^ ^




























































