Blog記事一覧 > リトリート | 淀川区・十三で評判の荻野接骨院の記事一覧
身体には、予定のない4日間が必要だ。
と言う事で、
もうすぐ沖縄で、3泊4日間の合宿をします。
まあ、なんか変わった台風が近づいてますが。
合宿と言っても、
朝から晩まで予定を詰め込んで、
何かを勉強するわけではありません。
観光地を回る予定も、
今のところありません。
海に入ったり、
身体を動かしたり、
話したり、
ぼーっとしたり。
お腹が空いたら何か食べて、
行きたいところが出てきたら行く。
そんな4日間です。
考えてみれば、
普段の生活は予定だらけです。
仕事に行く。
人と会う。
家事をする。
子どもの予定に合わせる。
LINEを返す。
買い物に行く。
次に何をするかが、
だいたい決まっています。
休みの日でさえ、
「せっかくの休みだから」
と予定を入れてしまうことがあります。
旅行に行けば、
何時にここへ行って、
次はここを見て、
何時に予約した店へ行く。
気づけば、
休みに行ったはずなのに、
予定をこなして帰ってくる。笑
もちろん、
それも楽しい旅です。
でも時々、
人生には、
予定のない時間も必要なんじゃないか
と思います。
予定がないということは、
何もしないということではありません。
「次はこれをする」
というレールが、
少しなくなるということです。
すると、
今まで予定の陰に隠れていたものが、
出てくることがあります。
本当は疲れていたこと。
意外と海をずっと眺めていたいこと。
誰かと話したかったこと。
逆に、
誰とも話したくなかったこと。
身体を動かしたくなることもあれば、
何もせず、
ただ風に当たりたくなることもある。
それは、
頭で考えて決めた
「やりたいこと」とは少し違います。
予定がなくなったところに、
今の自分が、
そのまま出てくる。
そんな感じです。
だから今回の合宿も、
何かすごい答えを
持って帰る必要はありません。
人生を変える必要もない。
成長しなくてもいい。
海に入って、
身体を使って、
飯を食って、
話して、
笑って、
眠る。
その中で何か起きれば、
それを見ればいい。
何も起きなければ、
それもいい。
もしかすると、
僕たちは普段、
人生を良くしようとして、
少し予定を入れすぎているのかもしれません。
何をするか。
どこへ行くか。
何を学ぶか。
どう成長するか。
どう変わるか。
それを決めることも大切です。
でも、
何も決めていない時間にしか
現れない自分もいます。
空白は、
何もない時間ではなく、
まだ何になるか決まっていない時間。
だから時々、
人生には、
予定のない4日間くらいが
必要なのかもしれません。
普段の整体の教室や、武術稽古では、
やりたくてもやれないところになります。
さて、
何が起きるんでしょうね。
決めてないので、
誰にもわかりません。😊
ただ、整体技術にせよ、
身体の在り方にせよ、
余白という可能性の中から、
たくさん降りてくる気はしています。
^ ^
こんにちは。
今回は「リトリート」というテーマです。
ただ、なんか難しくなっちゃったかもで。
すみません。
とりあえず、
身体と自律神経、
そして今の季節の視点から
紐解いてみたいと思います。
リトリートと聞くと、
どこか遠くへ行き、
非日常の中で休息をとるイメージが
あるかもしれません。
ですが、
その本質は
「どこかへ行くこと」ではなく、
元の状態に戻っていくことにあります。
春になると
春眠暁を覚えず。
と言われるように、
強い眠気やだるさを感じる方が
多くなります。
たとえば、
生まれたばかりの赤ちゃんは
1日に17時間も眠ると言われていますが、
起きている間に受ける視覚や
聴覚の膨大な情報を処理するために、
頻繁に意識をシャットダウンして、
脳内で整理整頓を行っている時間なんですね。
実は、今の私たちの身体にも、
これと全く同じことが起きています。
春は、
景色に色が増え、
新しい匂いや音が生まれ、
社会的にも人間関係も交差する季節。
空気も濃密になり、
脳に入ってくる「情報量」が
爆発的に増えます。
脳はその情報を処理するために、
強制的なシャットダウン、
つまり眠気を要求しているのです。
同時に、
冬のあいだ寒さから身を守るために
固めていた皮膚の境界線が、
少しずつほどけていく移行期でもあります。
だから、
春の眠気やだるさは
不調ではなく、
身体が自らスペースを作ろうとしている
正常なサインなのです。
春の風物詩である「お花見」も、
実は日本人が古来から無意識に行ってきた
リトリートの一つかもしれません。
日常の建物や街のノイズという「圧」を、
圧倒的な桜の淡い色が覆い尽くす。
あの色の空間に包まれることで、
自分と外の世界との境界線が曖昧になり、
強制的に「個」から
「空間の一部」へと意識が移っていきます。
桜の下でふっと身体が緩むのは、
強烈なスペースの確保が行われているからです。
スペース、余白、間、
これらは、勝手に自律神経を調律する働きがあります。
お花見で余白をつくる。
素晴らしい文化ですね。
話は変わり、
よく山が良いか、海が良いか?
みたいな質問をされることがありますが、
答えは、
どちらも良いです。^ ^
どちらも
自然自体に自律神経は調律する働きがありますから。
ただ、自律神経を調律する時、
特徴としては、
大きく二つの働きがあります。
例えるならば。
山は「充電」。
重力に対してまっすぐに立ち、大地に根を張り、内にエネルギーを集める垂直のエネルギー。
そして、
海は「解放」。
境界をほどき、外との区別をゆるめていく水平のエネルギー。
特に海のような水平線は、
脳の認識の枠を外し、
身体の中に広大なスペースを生み出します。
と、するなば、
情報と外圧でキャパシティが
いっぱいになっている現代の人達が、
無意識に強く求めているのは、
何かを足すことではなく、
海のような力がもたらす圧倒的な「解放」かも
知れませんね。
ただ、
わざわざ遠くの海へ行かなくても、
日常の中でこの「海の解放」を
起こすことができます。
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それが「ゼロ圧」の感覚です。
私たちはストレスや外圧にさらされると、
無意識に自分を守ろうとして、
皮膚という境界線をバリアのように固く張ってしまいます。
壁があるからこそ、
外からの情報がぶつかり、
重さや摩擦と私が生まれるのです。
そんな私という
限られた器の中で情報を処理しようと
頑張るのではなく、
むしろ
その境界線を溶かしてしまうこと。
自分が何かを受け止める
個別の存在ではなく、
意識を水平線のように広げ、
空間そのものになる。

自らが透明な空間に溶け込んでしまえば、
春の膨大な情報も、
日常の重圧も、
引っかかる場所がなくなり
スッと透過していきます。
摩擦も、
重力さえもです。
春の眠気も、
動けない時間も、
無理にコントロールして
整えようとする必要はありません。
「今はまだ不完全だ」
という前提を手放し、
起きている反応をそのまま置いておく。
日常生活の中ふと立ち止まり、
何となく息を吐ききって、
内側に広がる静かな水平線を感じてみる。
あなたが勝手に空間になっている際に、
身体は自然と、
最も心地よいゼロの状態へと
調律されていくはずです。




























































